同じ塾の水川さん

さーしゅー

同じ塾の水川さん(前編)

「私、今回のテストで学年一位になったら、好きな人に告白します!」


 隣に座る明るい笑顔がよく似合う水川瑞季 は、みなちゃん先生に向かって、元気よく言った。


 だから、僕も負けじと、みなちゃん先生にむかって言う。


「じゃ、じゃあ僕も学年一位が取れたら好きな人に告白する!」

 

 僕が遅れながらに口にすると、彼女はくるりと振りむいた。小さくなびいた髪からは、甘い香りがふわっと舞う。


「じゃあ、岡田君は私とライバルだね! 私、絶対負けないよ!」

 

 水川さんは明るい声で言うと、僕にニコッとさわやかな笑顔見せた。その笑顔はとてもまぶしくて、つい目を逸らしてしまう。そして心臓はうるさいほど脈を打ちはじめて頬が熱くなっていくのがわかる。まぶたの裏に彼女の笑顔がしっかりと焼き付いて、頭の中は水川さんのことでいっぱいになっていく。


 こうなると学習プリントなんて手がついたもんじゃない。これじゃあ、何のために塾に来ているかわからない。



 僕はあまりにも進まない学習シートから目を逸らし、気を紛らわせるように塾の中を見渡した。



 そこはたたみじきの和室で、生徒用の背のひくい長机が二つと、先生用の小さな机一つが並んでいる。壁際には本棚があり、参考書がたくさん並んでいるところは、唯一塾らしいところでもある。

 

 みなみ塾は名前の通り、南先生が個人でやっている小さな塾だ。講師はみなちゃん先生一人だし、場所もごく普通の家で行われている。だから生徒数も少なくて、小学生〜高校生の塾生全員で、二十人にも満たないらしい。


 さらにいえば僕たち高校生は、水川さんと僕の二人しかいない。だから、週二回の高校生の時間はいつも二人っきりだ。


 水川さんが塾に入ったのは三ヶ月前のことで、彼女は大の負けずぎらいだから、学年一位だった僕によくちょっかいをかけてきた。その中で、「岡田君は塾とか行ってるの?」と聞かれ、「みなみ塾」と口にすると、「大学入試に弱いからオススメしない」の言葉を無視して、すぐに入塾してしまった。

 


 そしてたった三ヶ月で、僕はすっかり水川さんに夢中になっていた。



 可愛くて、勉強も運動もできて、やさしくて。でもその裏で努力はおこたらなくて、何事にも前向きで明るくて……


 たぶん好きになる理由なんて、挙げはじめたらキリがないくらいたくさんあって、もちろん彼女はクラスでも人気者である。だから、人気者の彼女を独り占めできる、週2回の塾の時間は、僕にとって幸せのひとときだった。 


 だけど、その幸せな時間は終わりに近づいていた。


 

 水川さんが明るい声で宣言したとき、みなちゃん先生は「あらあら、ふたりとも頑張ってね」と、恋する幼なじみ同士みたいな感覚であしらうけれど、本当は違う。


 彼女は『渡辺君』という名前をよく口にする。


 先生とこしょこしょ話している時も、僕が勇気持って好きな人を聞いた時も、寝言で僕の名前を口にしたと聞いてごまかした時も。いつだって、彼女はかっこよくて運動も勉強もできる渡辺君の名を口にする。


 だから彼女の宣言というのは、学年一位をとったら渡辺くんに告白するということだ。 


 水川さんと渡辺くんが付き合って、手をつないでいる姿はとても簡単に想像できる。明るく駆け寄る水川さんに、さわやかに手をとる渡辺君。優秀なふたりは悲しいほどにお似合いのカップルで、そのシーンの中での僕の立ち位置はせいぜいストーカーだ——

 なんて、ふいに出来上がってしまった最悪のイメージを、首を激しくふって振り払う。そして、頬をつよく叩いて気合を入れた。

 

 それを見た隣の水川さんは、「岡田くん気合入ってるね! 私も頑張ろう!」と、まぶしい笑顔で元気よく言った。


 だけど、僕は目が眩まないように、その輝きから目を背けて、学習シートに目を落とした。彼女を告白させないためには、今は手を動かすしかないのだから。


* * *


 水川さんの宣言から数日が経ち、テストまでちょうど一週間にせまると、僕は最後のつめ込みとして塾を休んだ。彼女に会ってしまうと、また勉強に手がつかなくなるから、自分の部屋でただ一人机に向かった。だから、彼女がその間に塾に通っていたかはわからないし、彼女が今どんな気持ちで勉強しているかは分からない。だけど、テスト当日までふたりが顔を合わせることは無かった。


 それでも彼女の本気度は、クラスメイトの『部活に熱心な彼女がテストを理由に部活を休んでいたらしい』という噂からもわかる。つまり、これまで以上にハイレベルな戦いとなり、たった一つのミスでも命取りになる。


 だから僕も、いつも以上に気合を入れて、眠くてしんどい身体にムチを打ちながら勉強をした。


 そして、運命のテスト当日を迎えた。


 テストは三日間あり、その最初のテストは国語だった。僕の中で1番に苦手な科目で一番多くの時間を使って勉強をしてきたけど、不安が消えることはなく、ノートを抱え込んでギリギリまで復習をする。


 ノートの隅から隅までにらむように文字を追い、左手でページをめくり、また新たに隅々まで睨む。そして、左手が三ページ数えた所で、教室の後方がざわつく。


「頑張ってる?」


 突然後ろから、明るくて甘い声がした。その声に、僕の背中に悪寒が走る。


 その声はこの教室であまりにも聞き慣れなかった。それはクラスメイトも同じみたいで、すぐ後ろにいる水川さんに、教室中の注目が集まっていた。


 僕は水川さんの問いを無視することができず、「ぼちぼちかな……」と適当に返事をする。彼女は「私は凄く頑張ってるよ、だから……」と言うと、一呼吸して……


「私は絶対に負けないからね!」

 

 力強い声でそう言った。そして「じゃあ、お互い頑張ろうね」と口にして手を振ると教室を後にしてしまった。クラスメイトが「何事だ?」と少しざわつく中、一分も満たない突然の来訪に、僕の心は大きくざわついていた。


 そして、そのざわつきに負けた僕は、あまり復習に集中できなかった。



* * *


 国語のテストを終えると、英語や歴史などのテストをサクサクとこなし、順調にテスト一日目を消化した。

 

 朝の一悶着ひともんちゃく以降、水川さんがテスト前に現れることは無かった。だけど、日が変わって二日目の最初、数学のテスト前には、また彼女の明るい声を聞いた。彼女は昨日のように僕の前に現れると、今度は昨日よりも真剣で、逼迫ひっぱくしたような表情で言う。


「私は絶対に一位を取って、告白して付き合ってみせるから!」


 彼女の目は真剣そのもので、僕に対しての宣戦布告よりも、自らを鼓舞こぶするための宣言のように見える。彼女はしばらく僕を真剣な目で睨んだあと、そっと目を逸らし、教室を後にした。



 そして迎えた最終日。物理のテスト前にもやっぱり彼女は僕の所へと来た。だけど、ここ二日間とは様子が違い、ずいぶんやつれているようにも見えた。普段キチッとしている水川さんが珍しくカッターの一番上のボタンを開けていて、いつもよりずっと近い距離感でせまる。そして、大きな声で宣言することなく「お互い頑張ろうね」と耳元でささやくだけにとどまった。


 彼女の後ろ姿には疲れが見えいて、彼女のテストに対する本気度がうかがえる。でも、それは渡辺くんへの本気度とも取れて……


 僕はまた首を振ると、目の前の教科書へと向かった。いくら彼女が渡辺君に本気だろうと、彼女に絶対告白はさせない!


 僕はラストスパートをかけ最終日をまっとうした。

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