49.永遠と束の間の、あわいに


 メメント・モリを象徴するような髑髏ドクロがモチーフの指環リング

 それを右手くすり指にめた月彦つきひこが、ジュースをはこびます。


「お待たせ」


 咽喉のどが渇いていました。ストローに吸い上げられる濃厚なピューレは、半固形状のシャーベットの如く、冷たく甘く、私の渇きをいやします。月彦も美味おいしそうに飲んでいました。ふたりして、こんなふうにカロリー不明のものを、恐れず飲めるようになった奇蹟げんじつ


『アタシの連絡先、送ってもいいかしら? また会えたら仲良くしてよ』


 私たちは端末の連絡先を交換します。届いた孫娘くんのプロフィールの名は『ミロク』でした。性別を超越した菩薩ぼさつと同じ名前。その名は、三つ編みの美少女風美少年に、たいへん似合っておりました。


「開演前にパウダールームに行きたい。日芽子ひめこさん、一緒に来てよ」


 カラになったジュースのグラスをカウンターに返した私たちは、またもや、ばったり遭遇しました。何故にチェルシー先輩に御目文字おめもじする際は、洗面所の近くなのでしょう。


「あら、おふたりそろって生まれたてみたい。すべすべして、お元気そうじゃない」


 チェルシー先輩が、私たちの肌コンディションを褒めました。


「うん、卵の中で眠ってきたから」


 卵の中。

 月彦が、完璧な安楽を封じ込めた布団の中を、完全栄養食品の卵の中と表現したことに、私は感動していました。たしかに、あの布団は卵の殻のようです。

 外界からの雑音も余分な刺激も吸収して閉じる完全なる卵殻。

 その中で必須アミノ酸を蓄えて眠るキミは何処までも透明で美しい。


 卵が好きです。

 通常ならば一度、破ると縫合できない卵膜を、つむぐ術を持っているかのような月彦は、もっと大好き。割れた私の心の傷を塞いでください。


「卵から生まれる少年少女。いいわね。日芽子ちゃん、何だか今日は赤ちゃんみたい。ボンネットが似合って可愛かわいいわよ。じゃあ私、メイクがあるから行くわね。月彦ちゃん、しっかりお守りしてあげなさいな」


 チェルシー先輩は親鳥の羽根みたいな腕をひろげて、私たちを抱き締めました。

 懐かしい煙草の香りと『永遠』という名の香水の混淆メランジェした空気が立ち込めます。


 羽包はぐくまれていると感じました。

 新しい力が充ちて、少しずつ向こう側へ、卵の殻を破って未来へ、歩いて行けそうなのです。

 隣には月彦が居ます。生まれたての羽を持った綺麗な少年の姿で、私を守ってくれるのでした。




 ライヴ開始直前。


「最前列に行かなくて、いいの?」


 いたところ、月彦は冷静でした。私と老婦人と共に、椅子席にとどまるのです。


「この身体で最前なんて自殺行為だ。僕、骨密度が七十代なんだってさ。入院中、園田そのだ先生に、真剣に心配されてしまった」


 そう自嘲するのです。

 健康な骨密度を持つであろうミロクは、最前列のスタンディング組です。


「アノレキシア自体、わば緩慢な自殺なんだけどね」


 月彦は聡明な少年にしか見えない、ニヒリスティックな笑みを唇にたたえていました。老婦人には、私たちの会話が聴こえていないのか、聴こえていながら邪魔をしないよう気を利かせてくださっているのか。おそらく後者でしょう。


 老婦人の存在は空気のような悟りの境地。

 月彦と私は、この方卓テーヴルで、ふたりきりでした。


「それに日芽子さん、背後からの視線が怖いって言っていたじゃない」


 骨密度は七十代なのに、脳年齢は十代。それが月彦の不思議。

 私が話したエピソードを、彼はことごとく記銘していました。


「どうして日芽子さんは、背後からの視線なりエネルギーが怖いの?」


 答えようとすると長くなります。何処から手を付けて話せばいいのか悩んでいたところ、暗幕の隙間から『永遠』という名の香水がむせるような密度で解き放たれました。


 マダム・チェルシーの完全復活祭ワンマン・ライヴ。幕開けです。

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