45.編み込まれる愛


「ねぇ、日芽子ひめこさん。ボンネットを可愛かわいく被ってほしいんだ。此処ここの髪、真っ直ぐにしてもいい?」


 月彦つきひこは、赤ちゃんのような帽子をボンネットと呼びました。それを可愛く被ってほしいと言い、私の前髪をつまんでいます。眼球に被さり気味の不揃ふぞろいな前髪です。


「月彦くんの思いどおりに、どうぞ」


 美容師並みに腕とセンスが良い月彦に任せました。彼は自分の髪も自分でそろえているのです。男の子を志向する彼ですが、極端な短髪にする気はなく、かと言って長髪にする気もないのでしょう。髪型は、いつも前下がり気味のボブでした。


「日芽子さんの髪、綺麗だよ。髪だけじゃなくて顔も綺麗だ。さすが昔の女優さんと言われた美貌ルックスだね。だけど、昔の女優さんって誰だろう。謎過ぎる」


 昨年の出来事を回想して笑う月彦は、あっというまに所謂いわゆるぱっつん前髪を作って、私の長い後ろ髪を編んでおります。


「あのころの店長は月彦くんのこと、ヴィジュアル系バンドマン志望の若者と言っていたわ。不思議ね。少し前のことなのに、凄く昔のことみたい。月彦くんの髪だって綺麗よ。真っ直ぐでつやがあるわ。伸ばしてみたらいいのに」

イヤだよ。僕は長い髪なんて大嫌い。あっ、日芽子さんの長い髪は大好きだよ。イヤなのは、それなりに髪を伸ばすと、うっかり美人に成ってしまう僕自身の姿だ」


 そうでした。月彦つきひこ月子つきこと言う女の子で、二十六歳の今、女性誌に載っているようなメイクをすると、性別と年齢に見合った美人に成るのです。


「美人。お嬢さん。お姉さん。そんなの御免ゴメンだ」

「美少女は?」

「少女だろう? 女性よりは少しマシな気がしないでもない。けれど、やっぱりイヤだ」

「じゃあ、美少年は?」

「美しい少年だものね。おこがましいほどの褒め言葉さ。完成だよ。疲れたでしょう? お出掛け直前まで寝ていよう」


 月彦はシザーズセットを片付けて、電気毛布の余熱の残る布団に潜り込みました。


「おいでよ」


 私は折角せっかく、編み込んでもらった三つ編みが、ほつれるような気がして遠慮していましたが、月彦は見透かすように断言します。


「ちょっとぐらい乱れても、ボンネットで隠せるから平気さ。おいでよ」


 月彦の隣に潜り込みました。時刻は十六時です。明かり取りの小窓からは春を思わせるこぼれています。キラキラと白い敷布しきふにもこぼれていました。


 私たちは布団という完全に安心できる場所に寄り添い、かくかくまわれ、互いの指をつないでいました。エアコンは、そよそよと適温の微風そよかぜを送り、月彦に揃えられたばかりの前髪を揺らめかせます。


 彼の声は子守唄を歌うトーン。私がおびえないで済む雛鳥ひなどりの声。


「実はね、日芽子さんの入院に、お付き合いしていたころから、僕は着実に体重を増やして、今では四十二キロなんだ。これは運動不足にるところも大きい。昔の僕は、暇さえあれば身体を動かしていた。主に、あてのない散歩だったよ」


 私の勤務時間中、気紛れに店舗に立ち寄っては、風に吹かれれば飛んで行きそうな繊弱あえかな身体で、お散歩を欠かさなかった月彦を想います。

「入院させられて、三キロも肥らされちゃった」と、不満気にあかくて小さい唇をとがらせていた、あのころの彼。


 そんな彼が約一年を経て、自らの心がけで体重を増やしたと言うのです。実際には良い栄養が行き渡り始めて、電解質異常が改善されて、浮腫ふしゅが取れて、すっきりとした体型に成っており、重みが増加したようには見えません。


「あのころは人生を彷徨さまよっていたんだ。日芽子さんと暮らし始めて、僕は変わった。少しずつ、日芽子さんの人生の苦労に共感して、以来、役目を見付けた。目的と言うべきかな。僕は日芽子さんを守る王子で在りたいんだ。彷徨さまよわずに、揺らがずに、しっかりと人生を歩きたいと思えるように変わったんだよ。勿論もちろん、すぐには上手うまくいかないけれどね、そういう気持ちを与えてくれた日芽子さんに、感謝しているんだ。ありがとう」


 月彦の言葉が今、私の栄養に成ると信じられるのです。

 この布団の中は完全栄養食品と呼ばれる卵のようで、生きていくために必要な必須アミノ酸が着実に私たちを充たすのです。


「もう少し体重が増えたら、社会に出て働いてみたい。アルバイトから始めるのさ。でも、その重みを引き受けるってことは、女性としての生理的機能と、オトナとしての責任を引き受けるってことでもある。拒食という手段でもたらされた栄養失調は、一時ひととき、僕を穏やかにした。月の巡らない身体に安楽を思った。僕は無月経という安楽を手離すであろう未来も、日芽子さんを守る王子で在りたい。認めてくれる? 僕がオトナのヲンナのフォルムに成っても、好きでいてくれる?」


 首肯うなずきます。

 横たわった姿勢で首肯うなずいても、よく分からないでしょう。

 でも、月彦には伝わりました。


「ありがとう」

「こちらこそ」

「これからも」

「よろしくね」


 やがてときが充ちます。


 私たちはフルに充電した身体に、とっておきの衣裳をまとって、チェルシー先輩のホームへ出発するのです。

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