44.フィアンサーユへの招待状


『ジュ・テーム❤

 いとしい愛しい月彦つきひこちゃん。

 可愛かわいい可愛い日芽子ひめこちゃんのこと、大事にしてあげている?

 お見舞いに来てもらったのに、お見舞いに行けなくて、御免ゴメンあそばせ。

 チェルシーってば、殺傷入院騒ぎで延期していたツアーの真っ最中だったのよ。ツアーだけどね。

 仲間に誘われて対バン、やらかしまくっちゃった。超楽しかったわよ。

 月彦ちゃんと日芽子ちゃんにも、私の勇姿を見て欲しかったのに残念。


 さて、久々にホームで爆発しちゃう。勿論もちろん、うちあがっちゃうから。

 場所は「フィアンサーユ」よ。フランス語で「婚約」という意味だけど、婚約記者会見はしないわよ。なんちゃって。

 私が晴れて初舞台を踏んだライヴハウスなんだけどね。

 二十時開始。夜を徹して、うちあがるわよ。花火じゃないわよ。ホームが灰と化すなんて悲惨だもの。まぁお気楽に、飲んで食べておしゃべりして、まったりしましょうよ。そんな、お誘い。


 リラックスして、おいでなさいな。

 いとしい可愛かわい雛鳥ひなどりたちに会えること、楽しみにしているわ』


 月彦が眠る前にチェックした端末に、チェルシー先輩からのメールが届いていました。


「わぁ、このノリ、久々だ」

「月彦くん、私に合わせて入院していたせいで、東名阪ワールドツアーに行けなかったのよね。御免ゴメンなさい」

「悪くないのに謝るの、日芽子さんの悪い癖だよ。長年、店員さんを演じると、そういうふうになるのかな。たまには考えることをめて、うちあがっちゃおう」


 夜天そらに飛来して瞬間のきらめきを発する流れ星の如く、月彦ははかない、けれど力強い笑顔で言いました。


 チェルシー先輩のホーム。それは、夏の日に貸し切っておられたベルサイユ宮殿の趣きのパウダールームを持つ会場なのかと思いきや、月彦いわく、もっと小さくて狭くて雑多なところだそうです。


「マダム・チェルシーが、マドモアゼル・チェルシーだったころに、好んでいた場所さ。暴れていたねぇ、あのころ」


 目をすがめる月彦は、まだ二十数年しか生きていないはずですが、計り知れない年月を懐古するような調子でした。一日が一ヶ月に値する。そんな濃密な人生を送ってきたのかもしれません。月彦の横顔は若者なのに、人生の玄人のように見えることが多々、あったのです。




 三月初旬、春の訪れは遠いけれど、桜のつぼみがほころび始めるように、心ほぐれておりました。耳の具合が改善して、メモ帳と万年筆を使わずに月彦と会話ができます。イヤーマフも必要無くなりました。


 毎朝、月彦が衣装を並べて、私の顔色をうかがいます。


「日芽子さん、今日は血色がいいね。さくらんぼの色の頬に似合う、チェリーブロッサムがモチーフのジャンスカにしようか。バックリボンが開花する。これはせるためのリボン。外套コートで隠しちゃ勿体無もったいない。ボレロまたはケープが好都合。日芽子さん、どっち着たい?」


 身頃が小さくそでの長い生成色きなりいろのボレロと、襟許えりもとと肩先と上膊じょうはくおおう黒いマント。二着を並べた月彦がたずねます。


「中に合わせるカットソーの色が白だから、ボレロかしら」

「僕も、そう思ったんだ。気が合うね。じゃあ髪飾りは、これで決まりだ」


 髪飾りでしょうか。赤ちゃんが被る帽子のようなものが登場しました。

 私は月彦の手で、どんどん幼子還ようじがえりして、しまいには赤子になるのでしょうか。

 だとしましたら、それもまた良きこと。


 月彦は相変わらず、ネットオークションで敏腕を発揮しております。

 フリマやアウトレットも併用して、随時、衣装を新着。

 舘林家たてばやしけの、私が会ったことのないお父様は相当、稼ぎが良い御様子ごようす


 病院やコンビニの、ちょっとした会計の場で、御免ゴメンと謝りながら、一万円札を申し訳なさそうに崩す月彦。金銭に不自由のない生活を送りながら、値引き商品を蒐集セレクトする能力に長けているのは不思議ですが、彼もまたアノレキシアゆえに、少ない数字への偏執を残しているのでしょう。


 拒食症アノレキシアとは観念上の最小限主義ミニマリスト

 地位も名誉も財産も脂肪も人間関係も、持たざる者のさいわい。

 そう言わんばかりに、綺麗さっぱり捨て去りたいとねがうのです。

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