20.アノレキシアの百合


 お盆明けの出勤日、私は店長に釘を刺されるのです。


櫻井さくらいさんは非常に、よくやってくれている。けれども、その働く姿にね、何と言うか、御意見オピニオンが寄せられたんだよ」


 お幸せ思考のフレンドリーな店長にしては、回りくどく神妙な切り出し方。


「あんな痛々しい店員さんをレジに立たせるな。どうぞ、お大事にしなきゃいけないのは櫻井さんだろう。そのとおりだよ。前にも言ったよね。オレたちは美と健康に奉仕する職種。だから外見そとみ、健康に見えるよう頑張っていこうと」


 そんなにも痛々しい姿でしょうか。分かりません。


 私は月彦つきひこより二十センチも身長が低いのに、彼と同じぐらいの体重なのです。

 BMI換算すると少し細い程度で、病的に細いはずは無いのでした。


「それで考えたんだけど、シフトを半分に減らしてみよう。日にちも時間も半分に。出勤してもらったら、バックヤードで伝票と、発注のチェックと、ポップ作成をしてくれるかな? 座り作業だし、身体への負担は少ないはずだ」


 此処ここは愛の器ですね。

 店長が好んで担っている引きもり作業を、私に譲ると言うのです。


「元気な姿に戻ってください。あの子たちも心配しているよ。大学生の皆。櫻井さんは身を粉にして助けてくれる。櫻井さんが病気になったのは、私たちが負担を掛け過ぎたせいではないかと思って、心配しているんだ。オレは店長として反省している。新人への教育係も、クレーム処理も、推売も、櫻井さんの人の好さに甘えて、つい押し付けすぎた。せめて待たせてくれ。病気が治るまで待っている」


 待っている。家では月彦が待っている。


 日にちも時間も半分の出勤をありがたく受け入れ、週二日、十四時から十六時のシフトに入ることになりました。もはや、働いているとは言えないでしょうけれど、かろうじて社会との接点は保たれたもようです。




 暇な時間が増えました。

 月彦と私は、図書館や公園にデートを重ねています。現実の向こう側で遊んでおります。移動は徒歩です。歩くとおなかが空くものですが、ごはんが特に美味おいしいと思うこともなく、空腹であることが快楽になりました。


 残暑も過ぎ去ろうとするころ、私たちは市立図書館の『医学』の棚の前で、摂食障害関連の書籍を読み漁りました。


 何故なら、月彦の通院日、彼の保護者として同行した私に声が掛かったから。


「キミも危ないんじゃないかな」


 彼と共に通院しては如何どうだろう。医師の提案でした。

 これは屈辱的です。店舗への誰から寄せられたのか分からない御意見オピニオンではなく、確かな知識を持つ医師が憂慮ゆうりょしたのですから。


日芽子ひめこさんは医療従事者なんだ。自分の身体のことは分かっている人だよ。必要なときがきたら、お願いします」


 その場は月彦が、お茶を濁したのでした。

 私は摂食障害の彼氏を支えている身です。

 そんな私が危ないなんてことはない。

 証明したくて図書館を訪れたのです。


『摂食障害に陥り易い性格の傾向

 ①他人の言うことをよく見聞きして、理解して、

 ②周囲に気を遣って

 ③なるべく身の周りに波風を立てまいとする

 ④わば心優しい

 ⑤気が小さい』


「見てよ、これ、日芽子さんのことみたいだ」


 確かに、私は摂食障害に陥り易い性格の傾向をすべからく充たしておりました。

 残念なことに。情けないことに。


『心の葛藤に惹起じゃっきされる問題行動

 ①退行(不登校・万引き・虚言)

 ②性的逸脱行為

 ③アルコール・薬物依存症

 ④自殺企図

 ⑤家庭内暴力』


「これは僕のことみたいだ」


 月彦は私と出逢う前、精神科と心療内科を梯子はしごして、睡眠薬を集めて喜んでいたそうです。昨年度の『トキメキ❤フルール・コレクション』を予約したころの話。


「去年の夏は、精力的に治ろうとする気持ちと破壊衝動を同居させていたんだ。お母さんは、僕の心が悪いのだから、心を治す医者に行きなさいと万札をいとわないのさ。医者やカウンセラーは言う。僕が『女性』という性を受け入れられないことが病原で、性同一性障害であることが、拒食症につながっていると」


『強迫・固執行動

 ①カロリー計算

 ②食事へのこだわり

 ③下剤・利尿剤の乱用

 ④不潔恐怖症

 ⑤おまじないめいた儀式』


「これも僕のことみたいだ。数字をどんどん減らしたくなるんだよね。決められたものしか食べられなくなり、一日に何回も体重計に乗り、一喜一憂するのさ。ほこりの無い部屋をあまねく掃除する。お出掛けの際は除菌ウェットティッシュが必需品で、自分の範囲にとどまらず、頼まれていないのに公共のスペースまで拭いてしまうんだ。下剤への依存が高じて危なかったころ、救ってくれたのは日芽子さんだった。おぼえている?」


 月彦は私の口調を真似ます。


「お客様、失礼ですが先週も同じ、おくすりをお買い求めでしたよね? 此方こちらは常用されますと、やがて腸管が麻痺して、おくすり無しでは動けなくなる危険性が伴います。したがって、お勧めできません」


『何故、お金に執着するようになるか

 ①カロリーや金銭といった数字に価値を見出すから

 ②自分の生きる道を自分で決定することができないために、将来に対して大きな不安を持っているから』


「これは、どうだろう。不安ではない人なんて居ないんじゃないかな。僕は、リサイクルショップにて、ゴシック・パンクやエレガント・ロリータ衣装を虎視眈々こしたんたんと眺める。そして、値下げ時期を見定めて購入する。それって、金銭に価値を見出しているということかな?」


 私は戦慄しました。常に店舗の割引除外品を徹底的に頭に入れて、よりお得なクーポンの使い方を模索して、よりに価値を見出しているのです。


 の恋愛。その価値観に迎合することが難しく、この先、どうやって生きていけば良いのか、その場しのぎのバイトを続けつつ不安で、じたばたと、もがき苦しんでいるのです。


 傍目はため、苦しんでいる人には見えないでしょう。

 幸せそう。私を見る人は悪意なく、そう言います。

 何が幸せなのか分からない。けれど、月彦と過ごす時間は幸せです。

 二十五年の慎ましい人生の中で、彼と出逢い、彼と過ごした時間は、私の心に華麗なブーケを咲かせております。


 一方いっぽうで、出逢いがあれば別れがあることを知っており、好きになればなるほど、別れがつらくなることが予測できます。


 未来への不安が強過ぎて、心が破壊を叫ぶのです。リセットと。

 月彦と出逢う前の私に戻って、淡々と生きることを。

 まさに、将来に対する大きな不安。

 自分の生きる道を自分で決定できていない、もどかしい暗闇。

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