6.ドラッグストアは宝箱


「僕は入院させられて大きくなったのに、日芽子ひめこさんは小さくなった?」


 布団の上で、小動物のようにドレッシングをかけないレタスをかじりながら、月彦つきひこきました。私は彼に隣り合って、布団の上に足を伸ばして座っています。同棲を初めて四ヶ月が経過していました。


「小さくなっていないわ。今だって白米とお魚を頂いたのよ。おなかいっぱい」

「そうだね。日芽子さんの髪に青魚の臭いが残っているよ。イヤな臭いだ。でも、日芽子さんだから許せる。お仕事の話、聴かせてよ」


 彼がマスカット味やレモン味のゼリーに口を付けているあいだ、職務を報告するのが日課でした。


「今日はね、期限切れチェックをしながらレジを見ていたの。消費期限、あるいは賞味期限から逆算するのよ。医薬品は六ヶ月前、健康食品は三ヶ月前。それらは返品乃至ないし値下げ販売になるの。置き換えダイエットのプロテインドリンクが半額になったわ。月彦くん、要る?」

「プロテインか。あれって一食百六十キロカロリー前後だよね。僕にはハードルが高過ぎる」


 コンビニのおにぎり一個分のカロリーにさえ、おびえる月彦でした。


「ゼロカロリーゼリーに期間限定でライチ味が入荷するの。月彦くん、どう?」

「それは欲しい。日芽子さんの職場、いいなぁ。ドラッグストアはダイエッターの宝箱だよ。ゼロカロリーゼリー、脂肪を落とすお茶、糖の吸収を抑えるコーヒーに、カロリーオフの甘味料。そんなものみんな社員割引で買えるんだもの。本当に、いいなぁ」


 百七十センチで三十キロ台後半の体重しかない彼。働ける場所は、ありませんでした。不健康そうに見えて、実際に不健康な彼は、書類選考通過後の面接で断られてしまうのです。しばしば三十七キロを切っては入院させられ、四十キロに戻って退院して、また節制する日々。まったく懲りないのです。


 月彦は病識を持ちません。これは立派なアノレキシアの証明でした。

 アノレキシアとは往々にして、自分がせているという状態を周囲に警告されても、絶対に認めないのです。彼がゼロカロリーゼリーを呑み干すのを見届けて、私はトレイを片付けました。




「今日は九州の温泉にしようよ」


 淡鈍色うすずみいろの入浴剤を溶かせて、互いの身体が曇って見えない湯に入り、骨を確認します。こうして一緒に入浴するのは、かつて月彦が浴場で、カッターナイフを用いて胸部の脂肪をぎ落とそうとして気を失ったという残念な履歴のせいでした。


「僕、肥っていない? 胸、大きくなっていない? 骨のカタチが分かるかな? 僕の骨を抱いて」


 月彦にハグをして言うのです。


「肥っていない。胸は小さい。頸椎けいついのカタチが分かる。皮膚を突き破りそうな骨が見える」

「大好き、日芽子さん」


 私の言葉に安心する月彦に添い寝します。彼は入浴後、オーガニックのボディバターを栄養不足で乾燥気味の皮膚に塗り、真っ黒なパジャマの下に着圧レギンスを付けていました。


 バリエーションで、着圧コルセットに着圧オーバーニーソックスもあります。いずれも彼に頼まれて、社員割引で求めた品。彼は腰痛持ちでもないのに、ぎゅっと締めつけていないと、とめどなく身体が膨らみそうで不安という理由でコルセットをめ、メディカル発想の長靴下を履かないと、原形を留めていられないと感じるそうです。


 パジャマのゴムさえ不快な私には、理解し難い感覚でした。私の定番はウエストの緩いネグリジェ。透ける素材のものではなく、もっと純朴な綿素材が最適でした。意外に、そういう品は探せども無く、仕方なくジュニアサイズから大きめのネグリジェを求め、着用しているのです。


「僕も、日芽子さんぐらい小柄だったら、そういうの着てみたい……って嘘だよ。僕は、ヒラッとしたの許せないんだ。あっ、日芽子さんが許せないって意味じゃないよ。僕が、ヲンナヲンナした服を着ることが許せないんだ」




 同棲を始めたころ、彼不在の食卓で、お母様から聞いたことを思い出します。


月子つきこは幼稚園の制服のスカートを嫌がってね。男の子の服装を好んでいたの。自分を僕と言い始めたのも、そのころ」


 女の子のボディに、男の子のスピリットを植え付けられたアンドロギュヌス。

 何かが欠如した生命体ではなく、両方を持ち合わせる生命体。

 私は月彦をそのように認識しています。


「女の子の、おともだちを招くなんて、日芽ちゃんが初めてよ。私、嬉しくて嬉しくて。だけど、お付き合いさせて御免ゴメンなさいね。こうしているあいだにも、日芽ちゃんの時間は流れて、うちの子のせいで婚期を……」


 蝶よ花よの籠の鳥の私に良かれと思って、両親が御膳立てした男性と、お付き合いしたことがありました。何度目かのデートの後、男性は「プレゼント」と言って私の唇にキスをしたのですが、何故でしょう。不快感しか残りませんでした。


 アンドロギュヌスと交わすキスに、不快を感じることはないのに。




 私たちの愛のしとねは、永遠とも思えるきよらかさに充ちているのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る