中①

あれはいつだったか前に付き合っていた彼が

行為が終わったあとの余韻つまり

ピロートークがいいんだよねなんて

そんなことをいっていたが私にはさっぱり

理解できない。

ただ行為が終わったあとの煙草はなぜだか無性に美味しく感じられる。

ほのかにライトが照らす中ベットサイドに座るとpeaceの箱から煙草を一本取り出しジッポで火をつけるとふっと煙をふかしてその味を胸一杯に流し込んだ。

そうしてうんやっぱり美味しい。軽く頷きながら部屋にあるガラスの灰皿にタバコを押し付け火を消すと背中に暖かさが伝わってきた。



「君もシャワー浴びたら?」


「私は適当にやるのでお構い無く。」


首にまわされた腕をやんわりと払い除け後ろを振り返り営業用の笑顔を向けた。


「あの、さっさとかえっていただけませんか。もう仕事は終わりましたので。」

ニッコリと笑顔は崩さず突き放したように

そう言うと彼は一瞬目を丸くしたがすぐにあぁ、そう。と案外あっさりそう答えた。


今日の客は当たりだなと心のなかでそう思い

箱からもう一本煙草を取り出している間に

客はたんたんとジーンズを履き

ワイシャツを羽織るとじゃあまたね。と

言い残しバタンとドアが閉まる音が聞こえた。


(じゃあまたね‥か)


馬鹿みたいと独り言を呟きながら

ふっと笑いまた煙草をグリグリとおしつけ

火を消すと下腹部の痛みと気だるい気持ちが抜けないまま身体をベットに投げだして

天井を仰ぎ見た。

またねと言って本当にまた来た客と言うのは

ほとんどいない。

所詮またねなんて安っぽいテンプレートな言葉にすぎないのだ。


(なんて思ったところでどうしようもないのだけれど

‥仕方ないシャワーでも浴びようか。)


そうして気力をなんとか奮い立たせ仕方なく立ち上がりバスルームへと向かいシャワーの蛇口をキュッと捻った。


シャワーを頭から浴びるとポタポタと水がしたたり落ちてきてこうしていると

先程までの熱がだんだんと覚めてきて

なぜだか無性に虚しくなってくる。

どうして自分はこんなことをしているのだ

ろう。

こんなはずじゃなかったのに。と

けれどそんなことを考えたところで結局答えなんて見つかるわけもない。

私にはこの道しかいない。

ただ、それだけなのだ。




私は東京の八王子で生まれ育った。

けれど一口に東京とは言っても八王子は

23区外であのキラキラした東京のイメージとはだいぶかけ離れているし

都心部に出るにはなかなかに大変だが

そんなところもまた魅力だとも思う。


そしてそんな私の両親は近所でも評判の

おしどり夫婦だった。

元々幼馴染みだった父と母は

お互い独身だったら結婚しようという

お決まり文句の約束通り結婚し

それからもうかれこれ30年以上の付き合いになるらしかった。


厳しいけど頼りがいのある警察官の父と

物静かだけど優しい看護師の母

そんな両親が私は自慢だった。


母は父の後ろを三歩下がって歩き

朝は家族揃ってご飯を食べ

何をするのも父親のことを一番に考える。

‥なんて今思うと昭和的な家だったが毎日幸せだったし、将来は私も両親のように

素敵な人と出会い結婚して子供をつくるのだとそう思っていた。

けれどそんなささやかな幸福は

ある日を境にもろくも崩れ去っていった。


それは忘れもしないクリスマスの日。

朝からしんしんと雪が降り積もりホワイトクリスマスになった。

毎年クリスマスには家族皆で母の作ってくれるクリームシチューとタンドリーチキンを食べながら穏やかな時間を過ごすのが定番だった。

なのにその日朝から母は普段着ないような

黒いレースで胸のざっくり開いたワンピースを着て夜には戻るからねと言って出ていった。

私はそんな母を不思議に思いながらも

いってらっしゃい。と見送ったけれど

その日母は帰ってくることはなかった。



そして次の日早朝に帰ってきた母は父に頭を下げた。

「愛している人がいるの。別れてください」と。

耳を疑った。

虫も殺さぬようなそんな穏やかな母がまさか浮気をしていたなんて。

そしてその言葉を聞いた父は拳で母を殴り付けた。

当時高校生だった私はそのときの光景を

いまでもはっきりと覚えている。

頭を床につけ必死に謝る母に

父はまた殴りかかろうとして

私は自分よりも一回り以上大きな体の

父を必死に止めた。

けれどやはり父に力で敵うはずもなく

私は何度も何度も床に体をぶつけながらも

それでもなお父を止めようとした。

このままでは母が死んでしまうかもしれない

そう思うほどに父は泣き叫びながら

母を殴り続けていた。

そうしてようやく父の怒りがおさまった時

父はただ悲しい顔を浮かべながら

バタリと扉を閉めた後

交通事故で帰らぬ人となってしまった。

恐らく愛する母に裏切られた思いと

正義感の強かった父は浮気という不道徳な

行為自体が耐えられなかったんだろうと思う

そして、当時高校生だった私は母親の方に引き取られることになった。

しかしそんな父を殺した母親と

浮気相手の男と私がうまくいくはずもなく

結局高校を卒業してすぐに家を出た。

そしてその後は行くあてもなく夜の道を彷徨った。

初めのうちは漫画喫茶に泊まったり

友達の家を転々としたりしたけれど

結局今まで贅沢な暮らしをしてきた私はお金がないことに耐えられず流行していたパパ活をしてみることにした。

手で顔を隠しワイシャツのボタンを二つ三つあけ胸を盛った写真をSNSに投稿すると

結構な数のDMが来た。


「君が莉子くんだね?」


一切シワのない灰色のスーツを

バッチリと着こなしオールバックに白髪、そして笑うと目尻に皺ができる柔和な顔のおじさんだった。

誰に似てるかと言われればあのケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースに似ている気がする。


「そこの喫茶店にでも入ろうか。」


カランカランという音ともにその喫茶店へ入るとお昼頃だったからかわりと混んでいて

私たちは唯一空いていたテーブル席へと案内された。


「君はお金がほしいんだね?」


「‥はい。」


その言葉にはっきりと答え大きく頷く。



「君にいい仕事があるんだ。

君ならきっとNo.1になれるよ。」


「なんですかその仕事って。」


「はっきり言ってしまうと娼婦だよ。

いや、ただの娼婦じゃない

芸能人専用娼婦。会員制高級娼婦だよ。」



芸能人専用娼婦という聞き馴染みのない言葉に思わず顔をしかめるとそのおじさんは

スーツから出した名刺を差し出した。


「芸能人専用娼婦Secret 社長

渡邊三千男‥」


「これで少しは信じてもらえたかね?」


「信じるも何も‥芸能人専用

しかも娼婦って、私みたいな

たいして可愛くもない普通の子には

無理ですよ。」


「いや、そんなことはないよ。

事実ウチに勤めている子は皆一見どこにでもいるような普通の子ばかりだ。」


渡邉さんはそう言うとスマホを取り出して

私に女の子達の写真を見せてくれた。

確かにそこにうつっているのは

一見してどこにでもいそうな女の子ばかりだった。


「これで少しは興味をもってくれたかな。」


「‥あの申し訳ないんですけどやっぱりそんな仕事私には出来ません。」


そうして顔は伏せたまま勢いよく立ち上がり

歩き出そうとしたその時だった。



「時給八万。」


その言葉にピタリと足が止まる。

時給八万円。

その辺のキャバクラや風俗で働くより

ずっといい給料だ。

頑張ればエリートサラリーマンの月収だって

夢じゃない。


「とりあえず話だけは聞きます。」


そうしてまた椅子に腰かけると渡邉さんは

そうかそうか。と頷きながら

店員さんにイチゴパフェを二つ注文していた。


「ここのイチゴパフェは絶品なんだよ。

君は甘いものが好きだろう?」


「‥どうしてそれを?」


「さっき君がメニューを見たときに

僅かだかイチゴパフェとスフレパンケーキを見ていた時間が長かったからね。」


「‥はぁ。」


確かに甘いものは好きですけどと言って

出されたお冷やを一口飲んだ。


「それでその仕事内容なんだが

まぁぶっちゃけていうと仕事自体は風俗と

変わらない。ただ君たちはプロだから

プロとしての仕事をしてほしい。

あと相手は皆芸能人だから

相手の個人情報は絶対に守わないと困る。

SNSでこの人としましたとか匂わせるような写真を投稿するなんてもってのほかだからね。」


「‥もしそういったことをした場合どうなるんですか?」



「なに、その時はこの世から消えてもらうだけよ。」


そうしてお待たせしましたとタイミングよく運ばれてきたイチゴパフェを何事もなかったようにニコニコとしながら大きな口を開けて食べている渡邉さんを見て

私は恐怖のあまりたいして寒くもないのにブルリと身震いした。



「君、そういった行為はしたことある?」


「‥一応ありますけど。」


伏せ目がちにそう答えると渡邉さんは

そうか。とてっぺんにある

イチゴをあーんと口にいれた。


「でも君はまだ未成年だ。

だから23になるまでの間

私のプログロムを受けてもらう。」



「プログラムってなんですか?」


「エステやジムあとは徹底的な食事管理。

とにかく君のその美しさにさらに磨きをかけないとね。」


渡邉さんはニコリと私に笑いかけ

おもむろに財布をとりだして釣りはいらないよと言って伝票に千円札を三枚挟んだ。



「あのSNSでの写真を見たときから

君のこと気になっていたんだ。

君は人を魅了する不思議な魅力がある。

男がほうっておけないようなそんな魅力が

あるってね。」


私人を見る目はあるんだよ。といいながら

渡邉さんは笑って私に一万円を渡してくれた。


「え、これって」


「なに、今日のタクシー代だと思ってくれ。じゃあまた君に会えるのを楽しみにしているよ。」


そして渡邉さんは手をヒラヒラとふりながら

颯爽と歩いていった。



でもまさかこんな長く勤めることになるとは

思わなかったけど。

ふぅとため息をこぼしながら

自宅マンションに戻り鍵を開けると

長く真っ暗な廊下を進みリビングへと

向かう途中でエルガーの愛の挨拶が

流れた。

これは渡邉さんからの電話だ。


「はい。もしもし。」



「やぁ、今日はどうだったかね。」


「そこそこですかね。まぁあの人とは‥

もう会うことはないでしょうけど。」


「娼婦だからと言って安売りする必要は全くない。

嫌なことがあったときは私にきちんと言いなさい。

一番大切なのは君たちなんだから。」


―大切なのは君たち

本心なのかそれとも私を喜ばせるためなのかはわからないその言葉に私はいつも通り

「ありがとうございます。」と平然と

答えた。




「次の仕事の日程をメールしておいたから

よろしく。あぁ、それとこの間の分

まとめて振り込んでおいたからね。」



「はい。承知いたしました

ありがとうございます。」


「ん。ではまたね。」


ピッと通話が切れる音が聞こえると

私はソファに座りテレビをつけそれを

ボーと眺めた。

今テレビに出ているあの芸人もあのアイドルも皆私のお客さんだ。

今真面目に語っていてさも聖人君子のような顔をしているのに夜になるとまるで別人のようになるのだから面白い。

憧れの人と結婚しないほうがいいとは

よく言ったものだと思う。

クッションを顔にうずめながら

パチパチと色々なチャンネルを回し

結局NHKの動物ドキュメンタリーで

チャンネルを止めた。

芸能人タレントが出てくる番組やドラマは

仕事のことが頭をよぎり最近クスリとも笑えなくなった。

そして結局いつも動物もののドキュメンタリーや世界の美しい建物や風景、美術品などを

好んでみるようになった。

今までいろんなお客がいたけれど

誰一人としてそういった恋愛感情をもった

ことはなかった。

愛のあるセックスなんていらない

そう思っていたから。



ある日私はいつものように通いなれたホテルへ行きその扉を開いた。

今日は雨だからか頭がズキズキと痛む。

天気病かもしれない。

そんなことを思いながら渡邉さんからの

メールを改めて確認するとふとあることに気づいた。

いつもなら時間やコース、好きなプレイなど詳細が事細かに書いてあるのに

今日はなぜだかただ時間と場所が書かれているだけなのだ。

(‥?もしかして書き忘れ?でもあの真面目できっちりとしている渡邉さんに限ってそんなことないはずなんだけど。)


不思議に思いながらも今日来てきた

格子がらのワンピースを脱いで

ベットサイドへと腰かけると

とんとんと優しく扉をノックする音が聞こえた。


「空いてるので中へどうぞ。」


そう答えゆっくりと扉が開くのと同時に

私は目を丸くした。



「はじめまして。如月葵です。

今日はよろしくね。」


そこにたっていたのは女性、しかも

あの如月葵だったからだ。

いくら普段テレビを見ない私でも

その名前は知っている。

彼女はその美しい容姿と高い演技力で

数々のドラマや映画に出演している女優だ。

けれど彼女はテレビで観ていたよりもずっと

美しかった。

華奢な体を強調するようなそのざっくりとした紺のニットのワンピースは

まるで彼女のために作られかのように

似合っているしその長いロングヘアーはまるで一本一本が絹のようにさらさらと靡いて

鳴き僕炉のある少し伏せ目がちな目元がまた艶っぽい。

女の私でも吸い込まれてしまいそうだ。

(こんなにキラキラした人世の中にいるんだ‥)

けれど‥

「その顔はどうして私がここにいるのかしらって顔ね?」


「えっ‥あぁ、はい。」


戸惑いながらもそう答えると

如月葵は怪しげな目でニコリと微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は今日も彼女に抱かれる夢を見る 石田夏目 @beerbeer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ