第15話自我認知領域の存在理由

これ以上のプレゼンは不要でしょう。当初の契約通りの合理的判断をお待ちしておりますよ…マドモアゼル。

最後まで道化の仮面を張り付けたままで彼はそれだけを言い残し、この場を去った。

豪奢なディナーの余韻も冷めやらぬこのタイミングで意識を溶かすような甘さのその文言。

それはこれからの未来の選択権を放棄するようにと告げられた事実上の降伏勧告に違いなかった。

未だにひとときの甘い逢瀬の毒が抜けないこの場で聞くにはあまりにも辛いものである。

しかしそうである事を認めたくない心中の動揺はごまかしきれないもの…だがこれまで以上に献身を続ければ望む未来が迎えてくれるとは思えない。

どれほどの希望的観測をもってしてもそれは揺るがない現実だろう。

それでも彼は自我の根本である”聖典”の最後の鍵を手放せと要求してきた。

それはこの領地の管轄権や魔術的命脈だけでなくこの命そのものを差し出せという事に他ならない。

そしてそれが何を意味するかは自明のこと…もはやパートナーとしては勿論従僕に対する命令ですらない死刑宣告だ。

無論夢のようなひとときがいつまでも続くことは無いと自戒はしていたつもりではあったが、この対価を支払うことも愛に殉じるということになるのだろうか?

彼女はそこまで思考を走らせた後、自分が身を投げる炉の炎を幻視しながらも夢見心地のような意識の中を漂っていた。


「…というのが今日香の視た予知イメージだったわけなのだけれど、想定以上に酷いものだね。どうします椎名氏?」

「そうですな…この恋愛観はなかなか受け入れがたいものですな長岡氏。」

京華とまつりはあまりの壮絶な予知ヴィジョンを受け止めきれずに顔を見合わせる。

今どきのDV彼氏でももっと優しくしてくれそうなものだ。

もっとも今その論議は求められていないので二人は真面目な打ち合わせに戻ることにする。

「それで、結局その展開が成されるのが例の「アカデミア」の事案の場で間違いないと見ていいと?」

「そうね。「異能適性のある少年少女に個人的に見合った能力を発現させよう」とかいうプロジェクトだね。しかしこのままでは後進育成どころか現場稼働の能力者にも深刻なしわ寄せが行くことは間違いないね…まつり、貴女の「クロノス」の異能でこのヴィジョンに干渉することはできないの?」

京華は当然できるだろうとの返事を待ったが、当の本人は顔を曇らせたままで言葉を返す。

「私の異能は時間停止や時間跳躍といったものとは違うし因果を直接改変できる類のものではないのだよね…できるのは時空間の流れの向きや速度をコントロールすることぐらいで」

まつりはそこまで言いかけて一つのひらめきを得て、その発想が消えないうちに即座に関係者のアポを取るべくデバイスを操作し始める。

京華は呆然とその様子を眺めて不穏な事を思わずにはいられなかった。

そう、神のごとき異能を持つ能力者はいつもストレスフリーで世界創成とかしちゃうんじゃないかな…とかである。

自分の持てる領域を卑下するつもりは無いが、最近慣れない劣等感にさらされる回数が増えてきたなと真面目に考える京華の昼下がりであった。


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