第5話俯瞰する海と不可侵の意思

現実を受け入れるということは自ら檻の中に閉じこもる事と同義だ。

そう言い残して皆の下を去った彼女の消息は未だにしれない。

作りかけの楽園は求められた機能を持たない事は勿論のこと、内部の日常すらまともに整備されていない有様だ…そして残された夢の残骸は昔夢見たひと時の栄華を過剰に主張している。

あったかどうか知れない黄金期の話は今になっても関わった者の中に在りし日の幻像を崇めていた。

…この状況になって初めて彼女が求めた理想のカタチが日々の必需品であったと感じうるのは皮肉以外の何者でもなかっただろう。

それでも日々を過ごす為に皆はそれぞれの理想を持ち寄り始めた…

彼女が歯車としての永劫を受け入れたのを誰もが知らぬままに。


「救いを受け入れるか、それとも自らの意識内で皆の苦しみを受け止めるか。選ぶのは貴女ですよ?ミス・ヴィルノア。」

強烈な既視感を焼き付けられたフィンセントは眩暈をこらえて思考を組みなおす。

…たかだか300ページ程度の容量では望む世界の摂理を設定しきるのは無理だった。

それでも最低限の日常を営める概念質量はあった筈だ。具現化させた日々の日常は稼動に際し不手際は無かった筈だ。

意味を成さない自問自答がフィンセントの精神状態を揺るがしている。

目の前の「御使い」はその様子に何の興味を持つ事も無く、彼女の返答を待っている…当然のごとく意思の自由や尊厳が差し出されると確信しているその佇まいは不遜という言葉では表せないほど尊大に感じる。

意識の傍らから観念して闇の呪縛に身を委ねて…という囁きもどこからか聞こえてくるようだ。

今やバラバラになった理想の欠片だけがフィンセントの持ちうる拠り所だが、それらは皆の望む現実を組み上げてくれないことは明白だ…いっそ目の前の存在を取り込むほどの器を自分が持っているかどうか試してみるか?

…現実と非現実、可能と不可能の壁すら認知できなくなった事を自覚できないフィンセントの自我意識はいつまでも「正解」を見つけ出せずにいる。

いつまでも進展が見えないこの場においても「御使い」は彼女の信仰心を試すことをせず、ただ迷い続けるその姿を観測し続けた。

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