側仕えとお出かけ







「陛下、そろそろお目覚めに……」

「……今日は会議も何もない。放っておいてくれ」


 そちらに背を向け、侍女を追い出した。

 部屋は薄暗い。

 リリスはベッドの上に丸まって、クッションに顔を埋めて微動だにしなかった。今日は何もしたくない。部屋に籠っていたい。


 今の城は、リリスの苦手な場所になってしまっている。竜人がおり、顔を合わせるかもしれない場所だ。

 昨日から誰も取り次がないように申し付けてはいるが、落ち着かない。この期間はずっとそうだ。


 昨日のことを思い出して、クッションを握る。

 もしかして今回あのような議題を持ってきたのは、伸びるであろう日にちのためなのだろうか。

 アレクセイに前もって持ってこさせたのも、本当は集まりまで滞在させるつもりだったからか。

 約十年前、婚儀の件はどのようにするかと聞かれた。王の義務だと認識されることだ。こればかりは、全員機嫌を損ねるとは念頭に置かず、話に出す。

 当然の義務だからだ。共通の認識であるという意識があり、恐れを抱かないのだろう。


 だからと言って──昨日のようになる自分が結婚など出来るだろうかという疑問がある。疑問と、それから……。


「陛下」


 ピクリと、体が反応して震えた。


「……放っておくように、言っておいたはずだ」

「聞きました」


 ベッドの側に来た気配がしたが、ヴィルヘルムはそれから何か言おうとしなかった。

 静寂が満ち、しばらくして、頭に触れる手があった。

 手はリリスの荒んだ心をあやすように動く。


 リリスは顔をますます柔らかなクッションに埋め、目を閉じる。ゆっくりとした眠りに落ちられそうな心地だった。

 少し安堵した。今、この部屋だけは身を委ねられる空気がある気がした。


「陛下、城を出ませんか」

「……?」


 空気に溶け込むように静かに出された声に、クッションからわずかに顔をずらす。

 銀色の髪の間から少しだけヴィルヘルムが見えた。彼はベッドに座り、こちらに手を伸ばしていた。

 指が、リリスの顔を遮る髪を避ける。視界がクリアになった。


「せっかくの休日でしょう。街に出かけませんか」


 今のリリスには、逃げ道を作られたような気分だった。

 こちらを覗く顔を見て、小さく頷いた。




 ヴィルヘルムが、リリスに外へ誘うことはあまりない。リリスはしょっちゅう外に出るし、彼が稀にそれについてくることがあるからだろう。

 まして街へと言われたのは、初めてだった。

 ようやくベッドから起き上がると、どうも時刻は昼過ぎだった。外はよく晴れ、太陽は高い位置にある。

 集会期間の最中ということで、夕刻には戻ると約束して街に出かけた。


「ここに入りましょう」

「服?」


 街へ下りるや、一つの店に連れていかれた。

 ショーケースには紳士淑女が身につける衣服が一組飾られていた。

 なぜ服?と思うリリスは、中に促され、とりあえず入る。中にも壁際に衣服がかけられ飾られている。


「一着、目立たないドレスを彼女に見立ててほしい」

「畏まりました」


 聞こえてきた言葉に、ヴィルヘルムを見上げる。


「なぜ着替えなければ──どうしてドレスなんだ」

「変装です。どうしてドレスかと聞かれると、機能性なんて今日はいりません。身軽すぎるとどこかに行かれると困るのでドレスです」

「変装なんて、服装でそこまで変わることもない」

「帽子も被ってもらいます。へい──あなたは美人すぎて、目立つので」


 何やら準備をしている内の一人の女が、「あら」と高い声を上げた。


「わたしはドレスなんて」

「単純に俺が一度くらい見てみたいから、もあります」


 見てみたいから。

 虚を突かれて、リリスが何も返せない内に、店の者に引っ張られ奥に行くこととなった。









「衣服はお連れ様だけでよろしいのですか?」


 リリスを見送ったヴィルヘルムは、店の者に尋ねられて肯定を返した。

 ではしばしお待ちを、という言葉に頷く。

 店の中には完成した衣服が飾られているが、それのみを売っているわけではなさそうだった。

 待つ流れでオーダーメイドも可能なのかと聞いてみると、予想通り可能だった。

 ヴィルヘルム自身、実家がずっと使っている店があるが、この店はさっき見かけたから偶々入っただけだ。


 飾られているドレスを見て、ふと魔が差したとでも言おうか。変装だというのは口実に過ぎない。

 見てみたくなった。

 彼女はいつも男装だ。大して疑問を持つこともなかったが、この前ドレスにするかどうかという問いに、ひどく気分を害したような声を出していた。

 けれど、見てみたいからと言ってみたときの彼女の顔は──。


 これだから、駄目なのだと自嘲したくなる。今日連れ出したのも、半分彼女の気分転換のためで半分は自分勝手な感情からだった。

 連れ出したかった。城から離したかった。出来ることなら、街からも出てしまいたい──


「貴族のお嬢様でしょうか」

「その辺りは深く聞かないでいただけると助かります。お忍びだから」


 微笑み、ヴィルヘルムは話題を流した。

 店の者もそれ以上は聞かなかった。単なる世間話の話題に出しただけで、わきまえているのだろう。


「ですが、あれほどお美しいのなら目立たないドレスはもったいないと思ってしまいます」


 心底残念そうな声色だった。

 ヴィルヘルムも同意だった。けれど、彼もそこはわきまえていた。彼女は目立つ目立たないを気にしなかろうと、ヴィルヘルムが同行しているのなら目立たないようにするべきだろう。

 彼女は、ドレスを着ると変わるのだろうか。思いを馳せて、店員と緩やかな会話をして待っていた。








 藍色のドレスを着ることになった。目立たない色合いながら、繊細なデザインのレースや飾りとしての作り物の花があしらわれたものだった。

 ズボンとは異なり、腰の辺りできゅっと絞られた下からは、ふわりと控えめに布地が広がる。


「とてもお似合いです。こちらになさいますか?」

「むぅ……」


 落ち着かない。こんな格好いつぶりだろう。

 ずっと着ていなかった姿を鏡で見て、リリスはちょっと唸る。果たして、似合っているだろうか。


「お連れ様にお聞きしましょう」

「え? あっ」


 横に引っ張られ、鏡が前からなくなった。

 止まろうと思えば止まれるし、振りほどこうと思えば簡単に振りほどけたが、力加減を誤ると……。

 と思っている内に部屋を戻った。


「こちらでいかがでしょう」


 前から女が退き、リリスは前に晒された。

 ヴィルヘルムの姿が見え、彼はリリスを見て──しばらく瞬きもせずそのままだった。リリスも何となく動けず、そのままだった。


「いかがでしょう?」

「──え、ああ、これをもらおう」

「ありがとうございます。あ、帽子もでしたね。揃いのものをすぐにお持ちします」


 帽子が持ってこられると、店の者が何やら惜しそうにしつつ帽子を被せてくれた。

 店を出ると、再び人の通る道に。


「どちらに行きますか?」

「うん? うーん、とりあえず右に行ってみよう」

「分かりました。ああ、そうだ」


 後半の言葉に、リリスは隣を見上げる。が、帽子のつばが邪魔をして上手く見えない。


「俺が言っておいて何ですが、中々邪魔そうですね、これ」


 つばを避ける手があって、ヴィルヘルムの顔が見えるようになった。


「そうだぞ。ヴィルが帽子を被るように言ったし、……ドレスも見たいなんて言ったんだ」

「そうですね。着てくださってありがとうございます」


 すんなりと礼の言葉が述べられるが、リリスはちょっと不満である。

 久しぶりに着ると、ドレスは窮屈で、裾は長くてまどろっこしい。靴もブーツのままでいいのに、変わったし。

 いつもより不自由な思いをしているのに、反応がこれで、釣り合いが取れていないような気がした。むっ、と拗ねて、帽子のつばを下げてしまおうかと思う。


「似合ってる」


 しかし、付け加えられた言葉に視線を上げる。


「可愛いよ、リリス」


 可愛いという賛辞に心が浮わつきそうになる前に、──名前を、再会してから初めて呼ばれた。

 リリスは王で、ヴィルヘルムは臣下で。

 初めに何も語らず過ごしたときは名前も呼ばれ、話し方も気安いそれだったのが、首都ではこれまで違っていた。

 特に名前を呼ばれたことに思ったよりもびっくりして、目を見開くと、


「ここで陛下と呼ぶわけにもいきません。どうせ民はあんたの名を知らないですし、いいでしょう」


 ヴィルヘルムは薄く微笑み、首を傾げた。

 その言い分が嬉しくて、心が勝手に浮わついてしまう。

 駄目だと思う部分が確かにあるのに、ヴィルヘルムの言い分を盾にして、


「うん」


 小さく頷いた。

 今だけは、いいだろう。







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