街を歩く
リリスは、意外と首都の城下の町にはあまり行かない。もちろん行くこともあるが数えるほどで、遠出の帰りに寄ることがほとんどだ。着替えがないときはさすがに城に戻るが。
国内の遠くへ遠くへ行く方が圧倒的に多い。
街をヴィルヘルムと歩いた。民に混ざり、見て回った。
広場で小さな芝居をやっていた。広場の一部が劇場となり、物語の世界が作られていた。
通りの一角で、怪しげな装いをした女に会った。占い師だという。占いとやらをして運勢を占うと言った。
やってもらった。たぶんインチキだ。取り締まらねば。まあ、今回は見逃してやろう。
「ほう、これは見事だな」
精巧な人形を前に、リリスは感嘆の声を上げた。
人形を売っている店の中にいた。店の中から出てきた少女が大層喜んでいたので、興味を抱いて入ってきたのだ。
中は、不思議な雰囲気を持つ空間になっていた。人間が着るような見事な服を身につけ、所謂「完成品」の人形が座る横に、途中過程であろう何も身につけない人型が座っていた。
そうかと思えば、布で作られた可愛らしい生き物っぽい何かや、大きなレースに縁取られたクッションなどなど、色々なものがあった。
「いらっしゃいませ」
店の奥から一人、男が姿を見せた。小綺麗な服装に、眼鏡をかけている。店の者らしき男は、リリスの手元を見て表情を和やかに話す。
「そちら、最近小さなお子様から貴族の淑女方にも人気の品です。ここに飾っている見本もお求めになれますが、オーダーメイドで瞳の色や髪の色などご注文をお聞きして作ることができます」
「おまえが作っているのか?」
「はい」
「見事だな」
「ありがとうございます」
瞳は本物であるはずがないのに生きているようで、肌も石か何かで体温などないのに生きているような色味だ。
「注文していきますか?」
ヴィルヘルムに問われるが、リリスは首を横に振る。見事だが、買っても使い道が思いつかないし、オーダーメイドでどんな注文をつけるかイメージが湧かない。
「こういったものは、買ってどうするものなんだ? 飾る、のか?」
人形を丁寧に戻し率直に尋ねてみると、店の者がちょっと考えて口を開く。
「そうですね……最近はご婦人方がご購入される場合が多い傾向にあるのですが、そういった場合お子様へのプレゼント用の他にご自分用にご購入される方もいらっしゃいます。お子様ですと、遊びに使ったりという実用的な部分もあるかと思うのですが、ある程度大人の方になりますと完全観賞用にされているようです」
コレクションしている者もいるのだと。
ふぅん、と答えを受け取ったリリスは店の中を見て回ることにした。
店の者は気配を読み、一礼して一旦下がっていく。
「これは、何を模しているのだろう」
「熊だと思います」
「くま?」
リリスは「布で作られた可愛らしい生き物っぽい何か」を見つめた。精巧な人形のようなまるで生きているような目も、見た目も持たないもの。
くま。
「くまとはこんなに可愛らしいものだったか」
「よくあるぬいぐるみ用の外見ですよ。そんなに本物っぽいくまを子どもは欲しがらないでしょう」
ぬいぐるみ。
今まで出会って来なかったものだった。ヴィルヘルムの言い方ではこの世にありふれているもののようだが……。
「これも観賞用であるとしたら、花を飾るようなものなのだろうか」
クッションのような柔らかさを持つが、クッションにするには形が歪だ。
「……リリスは、こういうものを持っていなかったのか?」
「?」
「子どもの頃とか」
「いや? そんな記憶はないな」
子どもの頃から今まで、部屋にあるものや生活で使うものはあまり変わらない。変わったとすれば、ドレスがなくなったことくらいか。
でも確か子どもが、とか言っていた。
「ヴィルは持っていたのか?」
「ええ、まあ。親が買ってきたものですが」
「人形も?」
「人形は、俺は……。ですが、姉が与えられていました」
そういえば姉がいるのだと聞いたことがあった。以前の旅路でだったか。仄かにだけだけれど。
「それで、ぬいぐるみや人形はどう使っていたんだ? 飾る?」
「飾ったり、ベッドの上に寝かせていたり……子どもの俺の使い方なんていいでしょ。一つ買いましょう。どれがいいですか」
「えっ。いや、どれがいいと言われてもな、わたしには使い方が思いつかない」
「ベッドにでも置いておけばいいんです。くまにしますね。人形や他のものはどうします?」
頭を振り答えに代えた。
くまの首もとには、大きなリボンがつけられた。ヴィルヘルムが城に届けるように言うと、店の者は驚いていた。
あのくまが自分の部屋の中に加わると思うと不思議な気分だ。
今日は、いつもは見回らないような店にばかり行った。
と、言うより、いつもは小休憩にと座ってくつろげる店に行くか、歩いて散歩のように見回るだけが、細かく見て回っていることになるか。
途中、小休憩にバルに立ち寄った。
テーブルの一つに案内され、向かい合って椅子に落ち着く。
メニューを見て、リリスの目はおすすめと書かれてあるメニュー名に吸い込まれた。
「これは?」
「はい、それは、最近流行りのケーキです。当店の者が開発したケーキなのですが、今では首都でお菓子を出している店すべてに広まってしまったほどですね」
「へえ」
「じゃあ、それを一つと」
「ヴィルは食べないのか?」
「俺は甘いのはあまり」
それは初耳だった。
せっかくこういう店に来たのに得意でないのだと思うと、前もって聞いておくべきだったなと思った。
一緒にお茶が出来るのに、食べれないのは何だか妙な心地ではないか。
「そういう方もいらっしゃるので、おすすめがありますよ」
リリスとヴィルヘルムの会話に、店員が店員らしく機転を効かせてお勧めを示す。
「こちらのパイなんですが、ナッツ類をふんだんに使ったもので、自然の甘さがほんのりとするくらいのお菓子になっています。甘いものをあまり召し上がらないお客様からもご好評をいただいています」
「……じゃあ、それを」
注文を聞き終え、店員が去る。
「甘いものは、どこが得意ではないんだ?」
「甘いからです」
ヴィルヘルムは苦い表情をした。
どこがも何も、だったか。リリスがくすくすと笑うと、青い瞳がふいっと逸らされた。
ほどなくして紅茶と共に運ばれてきたケーキは、形からして目新しかった。
「おいしい」
「良かったですね」
「これはいい」
「城で出せるように修行にでも来させますか?」
ヴィルヘルムは紅茶を飲んでいた。
リリスはそんな彼に一口切り分けたケーキを差し出す。
「おいしいぞ」
「それなら自分で食べ──」
はぁ、と息を吐いて、ヴィルヘルムはカップを置いて身を乗り出した。
ぱくりと、ケーキが消える。
椅子に戻ったヴィルヘルムは少しして、一言。
「あまい」
「でもおいしいだろう?」
「まぁ。丸ごと一つを食べようとは思いませんけど、一口ならおいしいです」
そうだろう、そうだろう。
リリスは美味しさが共有できて満足だ。城でも菓子を食べるが、負けず劣らずだ。これはいい。
リリスの前では、紅茶を置いたヴィルヘルムがやっとフォークを手に取り、パイを切る。一口。
その一口をリリスに向ける。
「お返しにどうぞ」
リリスは、ぱちりぱちりと瞬く。
さっきのケーキのお返しにパイをくれるというのか。理解して、リリスは瞳を輝かせぱくりとパイを口にした。
甘いケーキと比べると、なるほど甘さは控えめで、ナッツが香ばしく美味しい。
「おいしい」
「それは良かった」
ヴィルヘルムは仄かに微笑んだ。
店を出て、一旦脱いでいた帽子を被り直してまた何となくの方向に歩きはじめた。
もしかすると同じ道を歩いているかもしれない。
「帰ろ!」
横を、子どもが走り抜けた。
街の子どもだろう。貧しくもなければ、高価ではない衣服を身につけた子どもたちで、年の頃は人間で十に満たないくらいか。
それよりも、リリスは彼らの言葉ではっと気がついた。建物も地面も、空も、橙の光にうっすらと染まってきていた。
太陽も空を移動し、空の端へ沈もうと向かっている。
夕刻だ。
「そろそろ、戻らなくてはいけませんね」
もう戻らなくてはならない。今日中に戻ると約束をして出てきた。
ヴィルヘルムの口からも、決定的な言葉が出て、リリスは帽子の陰で地面を見る。
城に戻るのは気が進まない。今の城は、リリスが落ち着ける場所ではない。集会の期間はまだ続く。
もっと言うなら、首都に他の竜人がいるから今こそ本能から首都を離れていってしまいたい。
「まだ、帰りたくないなぁ」
ぽつん、と呟いた。
どうせならこの期間終わる日まで、城から離れられたらいいのに。遠い場所で、全部が過ぎ去るまで待つのだ。
そうはいかないことは分かっている。それは逃げだ。逃げることはあり得ない。避けてはならない。
竜人の性を勝手に嫌っているのは、リリスだ。
それでも億劫で仕方ない。街を行く間中軽かった足取りが嘘のように重い。
「ヴィル、城に戻──」
手を掴まれ、強く引っ張られ、言葉は途切れた。
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