婚約者





 会議は順調に進まなかった。

 一気に、今まで結んでいなかった交易路を結ぼうというのはそうすんなりとはいかない。どれほど楽をしたくともやはり領地だ。自らの利益が最優先だ。


「今日はここまでだ」


 リリスが言葉を発せば声がぴたりと止む。


「ここでごちゃごちゃ聞くのは飽きた。明日明後日二日の間を置く。その間にそれぞれで話し合い、二日の後の一週間で目処をつけろ」


 本音だった。

 ごちゃごちゃごちゃごちゃと、ごねているところは全ての国の中心のこの国とのことではなく、それぞれの国間でのことだ。

 まず、ここに持ってくるだけの段階にまで話をつけて来るのが先だ。

 どうせこの機会にそれぞれ遊びながらに交流するのだ。その時間を使えばいい。


 リリスは部屋を出た。

 十年に一度程度にしたのは自分で、期間は半月にも満たないし、自分の都合で間に休日を設けているのに早く終わらないかと思う。

 日に日にストレスが溜まっていくばかりだった。疲れた。

 早くこの日々が過ぎろ。そうすればあと十年──いや、もう二十年にでもしてやろうか。

 この期間が来る度にこう思っているから、二十年にしても同じことを思うのだろう。そもそも、同じ場所にいることが苦痛で一日でも耐え難いのだから、期間を広げて好転するはずがないのだ。


「陛下」


 呼んだ声は前からで、リリスを待ち構えていたようだった。

 ヴィルヘルムの声ではない。置いてきている彼は、リリスが部屋に戻る道中で会うのだが、彼ではない。

 アレクセイだった。

 アレクセイは、国の主ではなく息子であるため、あの場には参加していなかった。他に来ている竜人と、交流しているだろうはずだが……。


「何か用か」


 リリスはため息をつきそうになりながら問いかけた。

 やっとあの部屋から出たのに、また竜人か。


「明日から二日のお休みを置くとか」


 聞いていたのか。

 扉一枚くらい、竜人の聴覚はものともしない。小声でならまだしも、場に通るくらいの声で話していれば聞こえるものだ。


「それがどうした」

「その二日の陛下のお時間を、私に下さいませんか」

「……何だと?」


 聞きたくないことを聞いたように耳を疑い、リリスが聞き返すと、アレクセイは胸に手を当て恭しく言う。


「陛下と、しばし共に過ごすことをお許しいただきたく」

「……なぜ」

「婚約者と、この機会に時間を共にしたいと思うことはおかしいでしょうか?」


 普通ならおかしくないのかもしれない。

 しかし、申し出を耳に入れたリリスはあり得ないと思った。


「わたしは、おまえと時間を共にしたいとは思わない」


 率直に言った。

 その直後だった。アレクセイがリリスの腰を抱いた。ぞわりと肌が粟立つ。


「アレクセイ、離れろ」

「いいえ」

「わたしが離れろと言っている。聞かないことが、許されるとでも思っているのか」

「いいえ」

「ふざけているのか」


 またいいえと返る。

 リリスは拳を握る。

 アレクセイは首を傾げる。


「伴侶とは、隣に並ぶ存在です。私はあなたに仕え続けますが、他の誰よりも対等になる者でもあります」


 竜人の伴侶とはその通りのものだった。

 竜人の王が絶対的に上の立場であるが、伴侶は特別とされていた。相応しい相手なのだから。相応しい相手の自覚が芽生えるらしい。


「陛下、私はあなたを敬愛しています。それは揺るがぬものですが、私は、婚約者です」

「……」

「そして、私以外にあなたに相応しい者などいない。私は、あなたの側にありたく、あなたのことを知りたくあります」


 アレクセイが、リリスの手をそっと取り目を見つめる。


「いつ、私にお心をお許しいただけるのでしょう?」


 心から心酔する目付き。

 ゾッとした。鳥肌が立つ。

 決して、リリスはその竜人に恋をしてもらいたいとか愛してもらいたいとか思ったことはない。そして、その目はどちらでもなく、ただリリスを崇拝する。


 ──この目が嫌いだ。いや、この目も、か


 リリスは、凍りついた。今動こうとすれば、とんでもないことをする気がした。今まで我慢していたことを。

 触れている手、腰を抱く手、近い体。目の前の目、空気、雰囲気、全てが、要因となり、リリスは手に爪を立て──


 リリスの手とアレクセイの手が、離された。

 リリスが離したのでもアレクセイが離したのでもなく、横から伸びてきた第三者の手による出来事だった。

 アレクセイの蒼い目がそちらを見る方が早かった。次いで、リリスも。自らの手を掴む手を辿る。


「──ヴィル」


 ヴィルヘルムがリリスの手をぎゅうと握った。

 反対に、リリスの手からは力が抜けた。ほっとした。伸びかけていた爪が戻る。


「召し使いが何の真似だ」


 突然現れ、リリスを引き離したヴィルヘルムに、アレクセイが剣呑さを帯びた目を向けた。瞳が、そんな目付きになるだけで、常人であれば恐れおののいただろう。

 対してヴィルヘルムは視線を少しも外さず、リリスの手も離さなかった。


「陛下があまり良い顔をされていなかったので」


 そうして、ヴィルヘルムは断ち切るように一礼し、リリスとその場を離れた。









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