招かれざる客
日を跨がずして、行きと同じく飛んで城に戻った。
来たときとは異なり下の入り口に降り立ち、竜の姿から人の姿に戻ると例のごとく裸になり、すかさずヴィルヘルムが衣服を被せる。
「部屋に戻ってからきちんと着替えて下さい」
「分かった分かった」
「いい加減な返事ですね」
だって面倒だ。このままでもいいではないか。
「仕事もして下さいよ」
「む……」
さらなる面倒が積み重ねられ、リリスの声が詰まる。
その様子を察し、ヴィルヘルムが言う。
「そもそも俺は、陛下の側仕えとしてここにいるわけですから。国内に出かけるのは常識的な日にちの範囲でなら構いませんが、城の中では怠けさせません」
淡々とした言い方と言葉が合わさり、リリスはむっとなって、拗ねた子どものように黙る。
正論なのだ。分かっている。
通常であれば、リリスは仕方ないとそこそこ素直に執務に向かっただろう。
けれどこのときの気分の傾きで、素直はねじ曲がった。とはいえこの気分のままでも執務に向かっただろう。
多少ヴィルヘルムとギスギスするだけで。
実際、すでに間に漂う空気は柔らかとは言い難かった。
精霊が落ち着きなさげに、リリスとヴィルヘルムの間をさ迷う。
「──そういえば、今庭園の花が見頃だそうです」
前方の床を見つめていたリリスは、顔を上げる。
一瞬ヴィルヘルムと目が合ったが、彼はすぐに前方に目を向けてしまった。
しかし。
「たまには庭を散歩して、庭師の努力を見てはどうですか」
「……? つまり?」
「仕事はしてもらいますが、休憩はいるでしょう。今日のお茶は外でしましょう」
理解したリリスは顔を明るくした。内容はもちろん、ヴィルヘルムに言われたことが嬉しかった。
そしてそのヴィルヘルムがリリスの機嫌が傾いたため言ったのではないかと気がつき、ふふふ、と頬が緩む。
自分は単純だ。仕方ない。これは自分ではコントロールできないのだ。
「ふふっ」
「……何ですか」
「いいや、何も」
何もと言いつつ機嫌よく笑みが際限なく零れるリリスに対し、ヴィルヘルムがわずかに口元を緩めた。
もっと笑えばいいのに。
リリスはそう思う。
初めて会い、十日旅路を共にしたときのように──
「陛下!」
向かう方から人がやって来た。どうも、政務に関わる役職についている男とリリスの侍女である。
この組み合わせと慌てっぷりはどうしたことか。
「何だ、慌ただしい」
リリスは首を傾げ問う。
「誰か、とんでもないミスでも仕出かしたことが判明でもしたか?」
全てを任せ外出した自分だ。どんなミスが見つかろうが構わないが、くらいの気持ちで聞いた。
小走りでやって来た臣下が立ち止まり、「お帰りなさいませ」と今さらのように言ったあと、これが本題だという顔をして続けた。
「アレクセイ様がいらしておられます」
その名を聞いた瞬間、リリスの顔から笑顔が消えた。
アレクセイ。リリスの『婚約者』の竜人の名だった。
他国の主として国一つを領地として与えられている竜人の内、この国に接する国の主の息子だ。
強さを重んじる竜人、王であるリリスに最も相応しい伴侶だとされているのがアレクセイだった。資質のみでなく、年齢の釣り合いから考えられた相手でもある。
だが『婚約者』の状態が続きもうどれほどか。
「何用だと? 集まりは、まだ少し先だろう」
「先程到着されたばかりで、お部屋にお通しし、おもてなししているところでございます。未だ、用件は……」
「そうか」
この国にはリリスしか竜人がいない。
竜人の総数は少なく、全てが人間より高い地位にあり、他国の主も皆竜人だ。
各国の王と王族、もしくは側近としている彼らは昔々は一族の王がいるこの城に集まることがよくあった。
しかし現在はほとんどを書簡でやり取りし、集まるのも十年に一度かという程度だ。その集まりが、一ヶ月ほど先に迫っていた。
各国で王を勤める竜人たちが集まるとあって、準備で城は忙しくなっているようだが……。
アレクセイは一体何用を掲げて、先に来たのか。
「お召し替えを」
「そうだな、とりあえず着替えよう」
「ドレスもご用意できますが、いかがしましょう」
「ドレス?」
リリスは聞き返した。
「なぜ」
声は冷たさを含んでいた。
「どうしてわたしが、わざわざドレスなどという動き難いものを着なければならない? 不要だ」
いつも着ない者がドレスとは、アレクセイのために着るような提案ではないか。
本音は直接は口に出さなかったが、思ったよりも刺々しい言い方になった自分に舌打ちしそうになる。
悪いのは侍女ではない。侍女ではないのだ。
「それで、アレクセイはどの部屋にいる」
部屋を聞いたが、今会う気はなかった。
通した部屋が近ければ、自分が他の区域に移ろう。それくらいの気持ちで事を片付けようと思考を巡らせる。
「リリス」
普通なら、誰もが爽やかな風を思うだろう声がした。
ただし『普通』に入らないリリスは、聞こえた声に不快さを感じた。
声に反応し、臣下が振り向き、横に退く。
従って、リリスからその姿がよく見えるようになった。
金色の髪に、蒼い瞳をした男がいた。
顔立ちは整っていたが、薄く笑みが浮かべられているのに、整った顔立ちのわりに表情が薄すぎてか、冷たい印象を受ける容貌でもあった。
背は高く、衣服は最高級のもので隅々まで凝っている。着る者を誤れば不自然に見えてしまうであろう服を、男は自然と身に纏っていた。
遠目で見れば単なる人に見えたかもしれない。
男の蒼い目の瞳孔は細く尖っていた。竜人。それも、たった今話題に出ていた者が彼であった。
「……アレクセイ」
男が、歩いてくる。
「面倒だな……」
姿を捉えた途端、リリスの中にどうしようもなくふつふつと沸き上がる淀んだ感情があった。目を瞑って蓋をしようとする。
──近づくな、近づくな
定期的な集まりでもなく、十分な先触れがあった訪れでもない。急な訪れ。
心の準備はなく、会おうとも思っていなかった。
心を穏やかにしようと勤めるリリスの前に、アレクセイがやって来た。
背はアレクセイの方が高い。ヴィルヘルムよりも高いだろうか。
「久しぶりだな」
「その口の聞き方を改めろ、アレクセイ」
声を出すのに、少し苦労した。
何も緊張したのではない。身に淀み溜まっていくばかりの感情のせいだ。溢れないように気を付けている。
とは言え、出す言葉は変わらなかっただろう。
リリスは王、アレクセイは臣下だ。リリスは彼に、そのような軽い口の聞き方を許した覚えはない。
指摘を受けたアレクセイはわずかに笑みを深め、目を細めた。
「随分久しぶりに会ったものですから、つい。昔の気分のままでした」
「『随分久しぶり』、か。たかだか十年ほどしか経っていないと記憶しているぞ」
「婚約者に会えない期間は、私にとって十年でも長く感じました」
色素の薄い金色の髪を揺らし、アレクセイは首を傾げた。
恭しく接する態度が本物だと知っている。竜人はそういう生き物だ。リリスの方が上だと本能から判断されている。
それが嫌だった。
リリスを見る瞳孔が細いその瞳に、竜人の独特さが宿っている。
リリスは竜人が嫌いだ。
同族でありながら、嫌悪していた。
側にいる他の者を思い、ぎりぎりと奥歯を噛み締めわき上がる衝動に耐えた。
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