手を柔らかさ





 しばらく泉でちゃぷちゃぷ遊んでいたのだけれど、ヴィルヘルムは泉には入らなかった。


 一人でいるなら未だしも、ヴィルヘルムもいるのに、一人で遊んでいるのは何だか物足りなくなって、リリスはほどなくして泉から上がった。

 大きな泉の周りは、柔らかな黄緑色の草で覆われている。森の真ん中にぽっかり空いた場所にある泉なので、もっと奥の周りは全部森だ。


 その、森に入りそうな位置に一本立っている木の根元にヴィルヘルムは座り、泉の方を見ていた。

 リリスが歩いていくと、荷物から取り出したタオルでリリスを包んだ。準備がいい側仕えである。

 タオルにくるまったリリスは、ヴィルヘルムの隣に腰を下ろし、一緒になって穏やかな風に吹かれていた。


 こういう空気感は、なつかしい気分になる。城でいるときには形作られない空気で、──まるで出会ったときのことを思い出すようだった。

 それを口には出さず、胸の中に留め置くようにリリスは目を閉じた。このわずかな時を取り零さないように。


 そして、いつしか、リリスは眠っていた。







 葉が揺れる音を聞いた。泉で遊んでいるのか、精霊の楽しそうな声も。

 それから──


「──に、ここにいられたらいいのに」


 その声を捉え、リリスはゆっくり目を開いた。

 視界は横を向いていた。リリスが横たわっているのだ。

 けれど頭を預けているのは地面ではない。何かの上に頭が置かれ、頭を柔らかく撫でるものがあった。ゆっくりと優しく、髪を梳る。


「……ヴィル?」


 寝起きの声で名を呼びながら、頭を動かした。


「お目覚めですか」


 上に見えた。ヴィルヘルムだった。

 太陽の元で見ると青みがより際立ち、今のように木の陰で見ると少し深い色味になる瞳が、リリスを見下ろす。

 頭から、頭を撫でていたものがなくなった。同時に、ヴィルヘルムの手のひらが見えた。


 離れていこうとする手を半ば無意識に追い、捕まえた。

 手は、リリスより一回りも大きい。ちょっと固い手を捕まえたリリスは、まだまだ寝ぼけ気味に何となくにぎにぎと、手のひらを握る。


「……俺の手が、何か?」

「うん」


 にぎにぎ。

 ぼやけた返事をして、なおも握り握りする。何度も。

 しばらく経つと反対に握られた。指が手のひらに触れ、手のひらをなぞる。何度も手のひらを往復する。


「……なんだ?」

「竜の姿になれば全身鱗で固いのに、人の姿のときは普通に柔らかいよなって」

「ああ、そうだな」


 竜の姿になれば、この手は何倍にも大きくなり、武装するがごとく鱗に覆われる。何かを簡単に裂き、仕留めるためにあるような鋭く太い爪も加わる。

 その手に比べると、小さく、無防備とさえ言える皮膚しかもたない手を眺める。


「わたしは、こちらの姿の方が好きだ。誰も傷つけない」


 鱗はない。あらゆる生き物が敵わない巨大な体でもない。鹿や、馬、言うまでもなく人間の体──そして時に同族をも容易に傷つけ重傷を負わせることが可能な爪もない。

 ヴィルヘルムの手に取られていない方の手を上げる。爪が沈み、肌に食い込み、肌の限界を破ってやれば、傷が出来る。赤い血が溢れてきた。


「──おい」

「こうして容易に血も出る」


 わたしはこちらの姿の方が好きだ、とリリスはまた呟き、ヴィルヘルムを見上げてへにゃりと笑った。


「ヴィルともおそろいだ」


 けれどリリスは人間ではない。今の姿さえ、人間と同じような姿に見えるだけで、竜人なのだ。

 生まれ持った性質は、大きく異なる。









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