側仕えの想い





 帰ってきたら、出迎えてやろう、小言を言ってやろうと思って待っていた。

 窓から入ろうとするか、普通に下から入ってくるか。どちらにしろ、私室にいれば戻ってくるから私室にいた。


 ……だが寝てしまったし、風を感じた気がして起きて、窓の外に帰ってきた姿を見つけて小言を言いかけたのに、裸体だと認識して全部頭からすっ飛んだ。

 柔らかな曲線で描かれた女性らしい体つき、白く、触れたくなるような肌、しなやかに伸びる手足。

 一度姿を変えて人の方の姿になると、服はなくなり裸になるというのに、本人は気にも留めないのが難点だ。


「ったく……」


 風呂へと行く姿が消え、ヴィルヘルムは自らの前髪をくしゃりと乱した。

 殴られた痕は、彼女のことだから明日にでもなくなっているだろう。

 本当は、人間を片手で捻り上げられる力を持つという存在だ。

 それにも関わらず、殴られた彼女にももやもやするし、何より殴った相手はどこのどいつだと苛立つ。

 どうせ、探し出すことなど出来やしないだろうが……。


 微かな、あまいにおいが鼻腔を擽った。

 彼女の姿は部屋からなくなったのに、あまい、人工的なにおいがまだ空気に残っているようで、ヴィルヘルムは顔をしかめる。


 においが嫌いだと言ったが、正確には、花街を物語るような香りが不満だったのではない。

 一人で勝手に出ていって、自分が知らない場所のにおいがしたことが、嫌だったのだ。

 そんな思いの自覚があり、自分が嫌になる。


 なんて、餓鬼で、稚拙で、愚かで──愚かな恋をしているのだろう。

 彼女と結ばれることはないとは、分かりきったことなのに。──どうして、自分は人なのだろう。


「……もっと早く帰って来ればいいのに」


 胸に渦巻く激しい感情に嫌気が差していながら、出てきた言葉は子どものようなものになった。


「いえいえ、これでずっとお早い方ですよ」


 自らの呟きに答える声にはっとすると、再びすっからかんになったはずの部屋の中に、老婦人がいた。彼女に仕える者としては古参の人間だ。

 のんびりと部屋の中に入ってきた老婦人は、ヴィルヘルムをよそにテーブルの方へ向かう。


「昔は一ヶ月お戻りにならないこともありました。供もつけず……陛下ですから、身の危険についてはそこまで案じていませんでしたけれど」


 老婦人は、ヴィルヘルムを振り向き、微笑んだ。


「ちょうどヴィルヘルム様が側に仕えるようになってから、お早くお帰りになってくださるようになりました。ヴィルヘルム様のお陰でしょう」

「そうであれば、嬉しいですが」


 ヴィルヘルムはよそ行きの表情で、微笑み返した。

 早く帰ってくるなら、そもそも勝手に出かけるのを止めてほしい。自分を連れて行ってくれるなら早く帰らなくたっていい。

 胸の内ではあれこれと考え続けながらも、ヴィルヘルムは微笑んだまま、何かをしている老婦人に「それは?」と尋ねる。


「お花です。まだ咲ききっていないのですが、咲く頃をぜひ陛下にと。少しだけ中に飾る用を庭師が」

「陛下は、遠くへ行くのに近場の庭には出ませんからね」


 庭で満足は出来ないのだろうかと思うが、無理だろう。そもそも、彼女には限られた庭は似合わない。

 花も、丹精込められ育てられた高貴な花でなくとも、森に咲いているような花が似合う。

 これも庭師によって育てられたからには美しい花が咲くだろうが……。

 なるほど、老婦人は花が入った花瓶を抱えてヴィルヘルムに見せた。

 ヴィルヘルムは、王に見向きもされない花の蕾に触れた。花びらはまだ開いていない──


「あらまあ」


 老婦人が感嘆の声を上げた。

 ヴィルヘルムが触れた先から蕾がゆっくりと開き、花開いたのだ。ひとつ、ふたつ、みっつ。

 やがて、全ての花が最も美しき頃の姿になる。心なしか、普通に時が経って咲くよりも美しいのではないかという輝きを伴っていた。


「陛下のご機嫌がよろしかったのですね」


 老婦人は、楽しそうに微笑む。


 蕾だった花が咲いた。

 この現象は人の目には見えない精霊によりもたらされたものだ。この部屋にまだ残っているらしい。

 彼女は去ったが、彼女の部屋だからか。

 精霊とは自然に実りをもたらし、結果的に人に恩恵をもたらしている存在だ。しかし人個人には何かをもたらそうとしない。

 彼らが個々に何かをもたらすとすれば、それは人ではなく、『彼女のような存在』だ。精霊を見て、精霊と話し、精霊を従える種族。


 そういえば、とヴィルヘルムは思い出す。

 彼女が以前、盛りを迎える前の花の蕾である頃を、あまり見たことがないのだと言っていた。精霊が、彼女を喜ばせようと花の最も美しいときをと咲かせてしまうからだ。


 精霊の姿が見えないヴィルヘルムは、花に触れていた手を離した。

 何度かこんな風な、不思議なことが起こったことがある。まるで自分が何かを起こしたように見えるものだが、もう慣れた。



 ──女王の影響で、精霊が自分がいるときだけでなく、彼にまとわりついていることを、女王自身は気がつかない

 そして、彼も。








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