放課後の屋上での茶番

横糸圭

君の気持ちが知りたい

 自分は本当に愛されているのだろうか。自分は本当に他人から必要とされているのだろうか。


 僕はそんなことをふと考える。

 思い付きというにはあまりにも望外なところから訪れる発想だし、気まぐれというにはあまりにも望んでいない思考。

 だけど僕はこの疑問と切り離されることもなく、多分この先もないのだろうなという予感がある。


 そしてこの考えは不定期に自分の頭にやってきて、厄介なことにしばらくの間、頭の容量の大半を占領してくるのだ。

 漠然とした不安で物事が手につかなくなり、どうにかして何かをやらなければという気持ちになっても、しかし果たして自分にはやるべきことがあるのだろうかというさらにネガティブな発想に陥る。

 結局、一度このことを考え始めると、自然に時間が解決するまでは自分ではどうしようもないというありさまだった。


 こうした体験は、だれにでも訪れるようなものではないと思う。というより、普通の人間には無縁のことなのかもしれない。


 たまたま僕には普通の人が得るような成功体験がなくて、必要とされている実感がないから。特別他人より秀でていることがなくて、特別誰かに愛されたこともない凡百で矮小な人間だから、こういった考えに定期的にとらわれているのかもしれない。

 そういう生い立ちを考えれば、やはり歓迎されるような考えではないのだろう。


 まあ、そんなことはどうでもよくて。


 大事なのは、僕がこの考えにハマるとき、いつもきまって悪魔的な実験を思いつくことだった。


「――実際に死んでみればいい。この世から消えてしまえばいい」


 簡単な話だった。


 なくなってからその大事さに気が付く、という経験はこれは人間だれしもが持っていて経験則とも呼べるものだ。

 つまり、本当に必要だったら、それを失ったときに何かしらの不便が存在するものである。


 じゃあ、僕の命は失ったときどうなろう?

 誰かが泣いてくれたり、その死を惜しんでくれるのだろうか。

 誰かにとって、僕の死は不都合になりうるのだろうか。


「ただ、この実験には決定的な誤りが二つある」


 屋上に吹く乱暴な梅雨の風に紛れて、僕は独り言を吐いた。

 じめっとねばりつくような熱風が、僕の言葉をからめとって流していった。


 ――この実験は決して成功することはない。そのことだけは、明確に分かることだった。


 一つ目に、自分が死んだ後の世界は自分自身の目では見ることができないということ。もし誰かが泣いていたとしても、死んだ後ではだれが泣いてくれていたのかわからない。


 ――そして二つ目に、たとえこの実験で自分が必要とされていることが分かったとしても、死んでしまっては意味がないということだ。


 だからこそ、この実験には何の意味もないのだ。


「はあ」

「――ちょっと、石谷くん! 屋上に勝手に出ちゃダメって、言ったでしょ⁉」


 ゆっくりと思考のループが終わりへと近づいていた時、ドアががたっと開いて、甲高い声が聞こえてきた。


「委員長、か」

「そうです、委員長です! ……まったく、いつもいつも言ってるのに」


 委員長はこれ見よがしにため息をついて、スカートと髪を抑えながらこちらに向かってきた。


「委員長、パンツ見えてるぞ」

「なっ……⁉ 石谷くん、デリカシーってものを知らないの⁉」

「さすがに、委員長が黒い大人っぽいパンツを履いていることは誰にも言わないさ」

「もう言ってるじゃない‼」


 顔を真っ赤にしてかんしゃくを起こす委員長。素直で品行方正、とにかく校則に厳しい委員長との対話は、いつもながらに胸が弾んだ。

 求めている以上の突っ込みを入れてこないし、かといって僕のボケに飽きて無視したりすることもない。……たまに、呆れられることはあるのだけど。


「まあ委員長みたいな優等生がエロい下着を履いているのは、ぶっちゃけ興奮するけど」

「あけすけすぎる‼ もうすこし隠すことを覚えなさい‼」


 むしろ隠せていないのは委員長のほうなんだが。まあ、僕が突っ込むのはキャラではないのでしない。 


「あと委員長。委員長は顔が小さいんだからショートカットのほうが似合うと思う」

「~~~~~っ‼ からかってるんでしょ、ねえそうなんでしょ!」


 半分あたりで半分外れだった。本心から言っているのは事実だが、その中に委員長の怒っている姿を見たいという願望がないといえばうそになる。


 まあ、そんなことはさておき。


「それはともかくだな、委員長。すぐに戻るから先に帰っておいてくれ。カギは返しとくから。……もう少し一人にしてくれ」

「……そもそも生徒が鍵を持ってるはずがないんだけど。まあ、返すならいいの、かな? じゃあ、すぐに返しておくよーにね!」


 最後にはあどけない顔でそう言い残すと、委員長は屋上の扉を開けっぱなしにしたまま姿を消していった。


「はあ」


 もう一度ため息をついた。今度は、不愉快なため息だった。


 一人でいたいから屋上にきているというのに、委員長が来ると喜んで話に興じてしまう。

 そんな一貫性のない自分に嫌気がさしたのだった。


 不愉快は不快に変わり、そしてやがて。


 苛立ちへと変わった。


 誰への苛立ちかと言えば、当然自分……ではなく、委員長への苛立ちだった。


 なぜ屋上にやってくる。なぜ僕を一人にしてくれない。


 ただの八つ当たりは、身近なところから始まり、そして根幹部分へと続いていった。


 ――なぜ、僕の心をつかんでは離さない?


 どうして僕の心をいたずらに揺さぶる? 何のとりえもなく何の才能もなく、生きる価値はなく存在する価値もない僕に、何故そのような苦行を強いる?


 細い枝先から始まった苛立ちは、徐々に太い幹のほうまでやってきて怒りへと膨らんでいく。

 怒りがふつふつと湧き上がって、それから刹那、先ほどの思考実験が頭をよぎった。


 ――委員長は僕のことを必要としているのか?


 薄っぺらい表面的なものではなく、本心からそう思っているのか?

 たとえその嘆きが屍に伝わることがないことを知っていながらも、僕のために泣いてくれるだろうか?


 頭によぎってしまってからは、一瞬だった。


 僕は屋上を囲んでいる柵に足をかけた。

 足をかけ、そこを起点に体を横に滑らせて柵を超える。止まれない。止まったら、冷静になってしまったら、自分のことがさらに情けなく思えるから。


 こんなにも驚くほど女々しく、驚くほど自分勝手な理由で僕は命を投げ出そうとしている。


 下は見ない。死ぬ恐怖で足がすくんでしまったら、ばかばかしい。

 どうせ何物でもない自分だ、最後くらいは狂っていたい。変な奴だったくらいの印象を持ってほしい。


 まあ、誰も見ていないのだから意味はないんだけど。


「――ほんと、馬鹿なことをするなあ、石谷くんは」


 だが、そんな僕を咎めるような。いや、悪戯をした子供をあやすような。

 そんな音色の声が後ろからかけられた。


「いいん、ちょう……?」


 そこにいたのは紛れもない委員長だった。先ほど僕の目の前から姿を消したはずの。


 両手には、季節外れの温かいココアの缶。この学校には冷たいものが売っていないはずなので、間違いなく「あたたか~い」やつである。

 しかも、両手がそれで占領されているため、髪の毛は風の吹くままにたなびいているし、紫色のレースのパンツがほぼ丸見えになっていた。


「ほら、一緒に帰ろ?」


 彼女の目には柵の外にいる僕の間抜け面がきちんと映っていただろう。委員長の登場はあまりにも予想外だったので、そうとう阿呆な顔をしていたに違いない。


「ね?」


 何をしていたのか、詳しいことは聞かれなかった。

 ただ、いつも通りの声音で、普段は言わないようなことを口にした。


「………………」

「どうしたの?」


 いまだ柵の外にいる僕に対し、委員長はゆっくりと何食わぬ顔で歩いてくる。

 まだ僕が自殺する可能性があると知っているはずなのに、あまりにものんきに見えた

 あまりにも普通で、あまりにも自然だった。


「……いや、別に」


 そんな委員長の行動に毒気を抜かれたように、僕は柵の中に戻っていた。

 自分のしている行動があまりにもバカらしくて、そしてもっとしょうもない理由だが、委員長の顔があまりにもかわいくて。

 そんな簡単な理由で、僕は自殺を諦めた。


 そして。


 それを見た委員長は、突然抱き着いてきた。


「――石谷くんっ‼」


 背中に触れていた小さな手は小刻みに震えていた。押し付けられた柔らかな感触もそっちのけで、僕は罪悪感を抱いた。


 まったく、馬鹿なことを考えるものだ。好きな人の気持ちを知りたくて、好きな人を困らせるなんてどうかしてる。

 

 どうやら、さっきまでの僕はどうかしていたらしい。

 というかまず、委員長のきれいな顔にはどう考えても涙も腫れも似合わないだろう。自分は、本当に委員長の顔を見たことがあったのかと疑問に思いたくなるくらい僕の目は節穴だったみたいだ。


「黒じゃなくて、紫だったんだな。僕が女性のパンツの色を見間違うなんて」

「そこはどうでもいいでしょうが」


 どうしようもなく馬鹿な僕の言葉に、委員長は困ったように笑っていた。

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放課後の屋上での茶番 横糸圭 @ke1yokoito

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