あの人は来ないけど

水谷なっぱ

あの人は来ないけど

 それは小学校で流行っていた怪談の一つだった。暗くなってから下校するときはxx公園を通り抜けていけない。連れていかれるぞ、と。それがどこにかはわからない。人によって言うことが違う。誰にかもわからない。それは怪談に含まれていない。

 その日、ぼくは先生に用事を頼まれて帰りがとても遅くなってしまった。先生はすまんと言うけどそれ以上のことはしてくれない。親に連絡して迎えを頼もうかとは言ってくれたけど両親とも仕事で当分帰ってくるような時間じゃない。仕方ないのでぼくはランドセルを背負って学校を出る。

 秋の日はつるべ落とし。国語で習ったことわざを否応なしに思い出した。5時過ぎだというのに空は茜色を通り越して紺碧へと変化している。急ごうと薄暗い通学路を速足で通り過ぎる。そしてその先でちょっと悩む。このまま道なりに進めば家まで10分ちょっと。横の路地に入ってその先の公園を抜ければ5分ちょっと。どうするどうする。少しでも早く帰りたいぼくは後先を考えることなく路地に向かって駆け出した。

 

 止めときゃ良かった。路地を数メートル進んだところでぼくは早々に後悔し始めた。路地の暗さが通りの比じゃなかった。暗い。めちゃくちゃ暗い。先ほどまでは急ぎ足くらいだったけれど、今は涙目で猛ダッシュで駆け抜けている。こういう時の道のりは普段よりずっと長くて、走っても走っても公園まで行きつかない。気のせいでなく、いつまでたっても暗い路地を駆けている。しかしなんとか公園までたどり着いたところで、ようやく一息ついた。

 公園は暗いものの街灯が点在しているので多少マシと言えた。ぜえぜえと荒い息を落ち着かせながら周りを見回す。薄暗く冷え込む公園に人影はなし。公園の遊具があるあたりには街灯があるものの周囲の街路樹は真っ黒の影となって公園全体を覆っていた。

 正直に言おう。すごく怖い。先ほどまでとは違った怖さだ。木の陰から何かが飛び出してきそうではちゃめちゃ怖い。ここで一息入れたことを盛大に後悔してから、ぼくはまた走って家を目指すことにした。

「ねえ」

「ひいっ」

 突然後ろから話しかけられる。先ほどまで公園には誰もいなかったはずだ。足音だってしなかった。閑静な住宅街の中の公園だから少しでも物音がすればわかるはずで、しかし声上げてしまったからには知らないふりも出来ず、恐る恐る振り返る。

「……?」

 ぼくから少し離れたところに女の人が座っていた。声をかけてきたのは彼女だろうか。とてもきれいな女の人だった。長いストレートの黒髪にきりっとした顔。まっさらのブラウスと、座っていてよくわからないけど青っぽい色の長いスカートをはいているようだ。

「あの、ぼくに話しかけましたか?」

「ええ、話しかけたわ。あなたリョウマという男を知らないかしら」

「?」

 リョウマ? なんだろう。誰かの名前? それともなにか違うものを表しているのだろうか。悩むぼくに彼女は更に話し続ける。

「ではあなたがリョウマなのかしら」

「え? 違います。ぼくはリョウマなんて名前じゃない」

「ではリョウマを名乗る人は?」

「知りません」

「そうなの。困ったわね。じゃああなたでもいいかしら」

 いいかしらってなんだ。良くないです。ぼくはリョウマとやらではない。なんなんだ一体。用事を押し付けてきた先生もこの女の人も好き勝手言いやがって。ぼくの都合をなんだと思っているんだ?

「違いますし良くないです。ぼくはリョウマじゃない。あなたはそのリョウマをずっと探してるんだろ。なのにそんな妥協していいんですか」

「……」

 女性は意を突かれたように目を見開いた。そんな簡単なことにも気づかなかったのか? こんな暗いとこで、ずっと座り込んで待つくらいの相手なのに。

「そのリョウマはあなたにとって大事な人なんじゃないの。だからずっとそうやって待ってたんじゃないの。だったらちゃんと本人を見つけなよ。妥協なんてしたら、そのリョウマにもずっと待ってる自分にも失礼だろ」

 なにを言っているんだぼくは。怖い思いをしたり驚かされたり、いろいろありすぎて疲れてきたせいだと思う。それに訳の分からないことを言われてイライラしてきた。

「そうね。そうなのよね。わたし、いつまで経ってもあの人が見つからなくて焦っていたみたいだわ」

「そりゃよくないよ。どれだけリョウマを探してるかは知らないけどさ。少し休んだら。ぼくだってそうだけどさ、あまり頑張りすぎても疲れちゃってうまくいかないよ」

 半ばやけくそで説教めいたことを言ってしまう。ぼくみたいな子供が何言ってんだって思われるかもしれない。でも子供だって嫌になるときくらいある。しかし女の人は怒るではなく考え込むような顔で黙り込んでいる。

「あの?」

「あ、ごめんなさいね。悪いことをしてしまったわ。脅かして怒らせて」

「い、いえ」

 なんかいきなり女の人の態度が殊勝になって拍子抜けする。一体どういう心境の変化だろうか。まさかぼくの勢いだけの説教が心に響いたのだろうか?

「確かになって思ったのよ」

「え」

「だってあなたリョウマじゃないし」

「そうですね」

 もう少し早く気づいてほしかった。

「リョウマ以外の人のことなんてどうでもいいのに、リョウマの代わりなんて誰もいないのに。なんでわたしはそれを忘れちゃってたんだろうね。ありがとね。思い出させてくれて」

「……」

 そんな良いことを言ったつもりはなかったんだけど。なんか申し訳なくなってきた。でもそんなぼくのいたたまれなさを他所に女の人は晴れ晴れとした顔で笑っていた。

「だから、ちゃんと本人を探しに行くよ」

「そう、ですか」

「よくよく考えたらあの人がここにいるわけないんだ。やることがいっぱいある人なんだから。きっと今でも忙しく飛び回ってるに違いないんだ」

 そう言って女の人は立ち上がった。笑顔でぼくに手を振って歩きだして、そして消えた。

「!!!???」

 え、なにどういうこと!? 消えた!? 辺りをどれだけ見回しても女の人の姿は影も形もない。頭が混乱してうまく考えられない。しかし女の人はいない。それどころか公園の中には人っ子一人いないし、なにより気づいたらそうとう暗くなっている。

 なんにせよ帰らねばと公園を出ようとして入り口で公園の名前を見て気付いた。

「ここ、xx公園だ……」

 つまりそれがどういう意味であるかと言うと。あの女の人が学校で噂されていた怪談の一つ、"連れていかれる"の正体? 犯人? ということなのではないか? 女の人がリョウマ判定した人が"連れていかれる"と。実際のところ本当に連れていかれていたのかはわからない。でも少なくともこれから誰かが連れていかれることはないと思う。女の人が何者であるかも探しているというリョウマのこともまったくわからなかったけど。

 その日は走って帰宅して、幸い時間はそんなに経ってなくて、両親とも帰宅してなかったので誰にもなにも言われずに済んだ。次の日学校で友達に少し聞いてみる。

「リョウマって名前で思い浮かぶものってなに?」

「リョウマ? リョウマって言ったら坂本龍馬が有名じゃん?」

「あ、そうだね。じゃあリョウマに関係ありそうな女の人ってわかる?」

 友達は首をかしげてから教えてくれた。

「お竜さんかな?」

「オリョウ?」

「坂本龍馬の奥さん」

 あー、なるほど。そっか。坂本龍馬は若いうちに暗殺された。先に死んだ旦那さんを探してたのか。いっそ誰でもいいと思っちゃうくらい必死に探してたんだ。なんか切ないな。しかしだからといってぼくがひどい目にあったことに変わりはないのであまり同情はできないのだけど。そもそもあの女の人がそのお竜さんであるかも探している相手が坂本龍馬であるかどうかもわからない。

 とりあえずこれからの時期は先生に頼まれごとをしても断ろう。そう心に強く強く決めた。

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あの人は来ないけど 水谷なっぱ @nappa_fake

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