背後では
平賀・仲田・香菜
背後では
「だるまさんが転んだ!」
ついにアレは、俺の目と鼻の先まで近付いてきた。俺よりも頭一つほど小さいコイツは、べっとりとした白い装いと、更に言えば裸足であった。俺のことをじぃっと見上げている。鼻先まで伸びた前髪は目を覆い隠し、表情はうかがい知ることができない。しかし、青白い肌に浮かぶその唇は鮮血のように紅が差し、不自然に口角が上がっている。笑っているのだろうか。
共に遊戯に興じていた友人たちは、気付けばみな消えてしまった。残ったのは俺と、コイツだけだ。友人たちはどうなったのだろう、まさか死んでしまったりなどしていないだろうか。この『だるまさんが転んだ』に負ければ、俺も消えるのだろうか。どうなるのだろうか。
もう一度目を離せば、もう一度振り返る頃には、俺はどうなってしまうのだろうか。
***
『登下校中にふざけたり遊ぶことなどなきよう』
昨日の全校集会でそう注意された。
市内の小学生が登校中、自動車事故にあって亡くなったという。被害者が、数人の友人とふざけあっていた故の事故とも聞いた。
とはいえ俺たちは高校生なのである。そんな下らない忠告をするために呼び出されたのか? みくびられたものだ。
そう言われてしまうとやりたくなってしまうのは、男子高校生のサガでもある。俺たち五人は、今日の登校を抜群に満喫してやろうと画策していた。
「グリコはどうだ」
「それは階段でやる方が楽しいだろう」
「石蹴り」
「それは普段からよくやる」
「影以外踏んではいけないやつは?」
「今日は曇りだ」
「で、電車ごっこ」
「常軌を逸している」
学校までの道すがらにできる遊びというと、中々に条件が絞られてしまっていた。うむむ、と俺たちは頭を抱えていた。
「だるまさんが転んだ?」
「僕もそれを提案しようとしていた」
「え? 俺もだよ」
その提案には天啓があったのかも知れない。俺を含んだ三人の脳裏に、全くの同時に浮かんだようであった。それはまるで、空間によって阻まれている我々のシナプスが、何者かの手で強制的に接続されたかのような感覚であった。その連結は次々と続き、残る二人もこの提案に大手を振るって賛同を見せた。
鬼の選定もまた、スムーズだった。俺が一番槍を引き受けだけの話ではあるが。
俺は一人、通学路を百メートルほど先行した。声が届くかどうかを確かめて、だるまさんが転んだは開始された。
「だるまさんが転んだ!」
皆、動かない。皆、横並び。ゆったりとした始まりだ。まだまだ、近づかれてはいない。
山内、加藤、中村、高橋、動かない。
「だるまさんが転んだ!」
皆、動かない。少しずつ進行に差ができてきた。高橋だけ出遅れている。
山内、加藤、中村、高橋、動かない。
動かない、が、高橋の様子がおかしい。まだ距離があるため、あやふやにしか見てとれないが、彼の肩に手を置く白い服の人が見える。そして高橋の表情は、血の気が引いてるように見える。
「だるまさ」
「ぎっ!」
「んが転んだ?」
山内、加藤、中村、動かない。
高橋、いない。白いワンピースを纏った少女が、高橋に位置にとって変わっている。
「高橋? どうし……」
加藤は振り返り高橋を探そうとしたようだ。
瞬間、白い奴の股下より赤いまだら模様をした紐のようなものが飛び出し、加藤を捕らえた。
「うわああああ!」
加藤の悲鳴が響く。加藤はそのまま、紐に引き摺られて白い奴のワンピースに吸い込まれていってしまった。
だるまさんが転んだに負けたからであろうか。
山内と中村もそう感じたのかも知れない。振り返り、様子を確認するそぶりを見せないからだ。あるいは、得体の知れぬ恐怖に心と身体がすくんでいるだけなのかも知れない。
俺は背後から目を逸らす。ゲームを続けなければ俺も高橋や加藤のようになってしまうと恐れたから。
「だるまさんが転んだ!」
山内、中村、動かない。白い何か、動かない。
山内は順調に、順当に近付いてきている。
中村は道を逸れ始めた。白い何かから逃げようとしているようだ。
白い何かは中村を見ている。逃げることも許されないのだろうか。
「だる」
「がっ!?」
「まさんが転んだ」
山内、動かない。二、三回も続ければ俺にタッチできるだろう。
中村、消えた。
白い何か、動かない。
そういえばおかしい。さっきから悲鳴が響いている。この異常事態に誰か気付かないのだろうか。叫び声をあげながら人間が何人もいなくなっているのだ、道行く誰もが疑問に思わないものだろうか。通学路だぞ、同じ学校の学生や、車通りだって少なくないはずなのに。
俺は、ふと車道に目を向ける。車は一台も通っていなかった。歩道を歩く人間も俺たち以外は誰もいなかった。まさかとは思うが、これもアイツの仕業ということだろうか。
「だるまさんが転んだ!」
山内、動かない。あと少しだ。山内がこの勝負に勝てば何か変わるのか? それもまだ分からない。だが、今、俺たちはその希望にすがるしか道はないように感じる。
白い何か、動かない。中村に気を取られていた為に山内とは距離ができてしまったようだ。
「だるまさんが転んだ!」
まだか、山内。誰も俺の身体に触れなかった為、振り返る。
山内、いない。
白い何か、動かない、俺の目と鼻の先で。
ついにここまで近付かれてしまった、みんな消されてしまった上で。
至近距離で見て気付いたが、白い何かは俺よりもだいぶ背が低い。小学生の高学年ほどだろうか、俺の顔を見上げている。ペンキでもぶちまけたかのような、白いワンピースを纏い、真っ黒い髪の毛はその顔を隠している。不健康なほど青い肌に浮かぶ紅い唇は不自然な笑みを浮かべ、はたはた不気味としか言えない。
みんな、友人たちはコイツに消されてしまった。追い付かれた高橋に山内、逃げ出した中村、ゲームに負けた加藤。
では、鬼の俺はどうなる?
やはり、だるまさんが転んだに負けた時、コイツに消されてしまうのだろうか。つまり、もう一度コイツから目を晒して瞬間だ。この距離ではその一瞬に負けが決まってしまう。
ならばどうする?
この化物から目を離さなければいいのではないか? そう、コイツが痺れを切らして動き始めるまで睨みを効かせればいいのではないか?
コイツも律儀なもので、だるまさんが転んだのルールに準じて俺たちを襲っているのだ。だから、コイツから目を離さなければきっと負けることはない。
五分、十分。一時間、二時間。どれほど経ったであろうか。
俺、白い何か、動かない。
この化物に見入っているのも大変に辛い。恐ろしいのだ。友人を飲み込み、今にも俺へ襲いかからんとしているのだから無理もない。脂汗が頬を伝わり、顎に溜まる、自らの重量に耐えられなくなった汗が地面に滴る。呼吸も荒くなってきた。このままでは体力が持たないかもしれない。
コイツも辛いのか、上がっていた口角が随分と下がった。つまらない、そうとでも言いたげに。
「……ィ」
喋った? 驚きに俺が動揺するや否や、新たな衝撃が俺を襲う。
通学路が、コンクリートの舗装道路がガラガラと音を立てて崩れ始めた。俺は、地面から更に、下へ下へと落ち始めていく。
俺を見下ろすアイツを見ながら、アイツの足元、ガードレールに備えられた、小さな倒れた花瓶を見つめながら。そうして落ち続けていくうちに、俺の意識も深い地の底に溶けて無くなっていった。
***
俺は目が覚めた。どうやら俺は、俺たちは、通学路で、歩道のど真ん中で意識を失っていたらしい。
山内、中村、加藤、高橋、動かない。が、どうやら眠っているだけのようだ。
ふと、ガードレールへと目をやる。そこには小さな花瓶が倒れていた。いくつかの菓子も備えられているようだ。俺が、だるまさんが転んだのオニを始めた場所の足元だ。もしかしたら、倒してしまったのは俺だったのかもしれない。
今日の放課後にでも、友人たちと共に花を備え直そう、そう思った。
背後では 平賀・仲田・香菜 @hiraganakata
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