第二十一話 紫苑(1)
彼らと道を行きながら気付いたことがある。才四郎は思いのほか、私に気を遣って旅をしてくれていたのだ、ということである。
彼らは忍であるから歩みが速い。高山の期限も迫っているのであろう。なんとか追いつこうとするが、歩幅が違い過ぎる。何度も転んで擦り傷を作ってしまった。足の指に出来た血豆が破れ、焼けるように痛む。彼との旅ではこのようなことは一度もなかった。才四郎は、いつも私の歩みに合わせて、ゆっくりと歩いてくれていたのだな、と今更ながら気付かされる。
少しでも遅れそうになると、私の後ろを行く、あの若い男が急き立てる。途中、足を滑らせ、籠からすぐりの実を落としてしまったお婆さんの手伝いをし、それを数個拾っただけで、腕を痣が残るほど強く掴み上げられ、急げと怒鳴り付けられた。才四郎であれば、世間話でもしながら一緒に拾ってくれたであろう。
ーー彼は本当に私を謀っていたのだろうか? いや、私ももう、諦めねば。
今日もただただ山中の道を行く。
あれから何日経ったのだろうか。宿屋があるような道であるはずもなく昨晩も野宿となり疲れが溜まっている。先ほどから何か雑木林の向こうより、尋常ならぬ人の気配や、馬のいななき怯える声。何か金属がぶつかり合うような不穏な物音が聞こえてきているような気もする。しかしそれを確かめるほどの余裕もなく、先を歩く頭に遅れをとらぬよう、ひたすら歩み続けていた。しかし……。その気配があまりにも恐しく、胸を押しつぶすような空気が無視できぬほど濃く漂いくる。気づくと前の頭、後ろの蝙蝠共々、歩みを緩め辺りを伺っている。何が起きているというのだろう。私は二人にならい、ためらいながらも顔をあげ辺りを窺い見た。
と。
辺りの張り詰めた空気を引き裂き、突如法螺貝の笛の音が高々と響き渡った。それを合図に、雄叫び、叫び、唸り声。男どもの荒々しい声がどっと、静かな雑木林に打ち寄せ、満ちる。恐怖を引きずり出すようなおどろおどろしいがなり声。はからずも足がすくみ立ち止まってしまった。
「着いたようだな」
石内の頭が周りの音にかき消されぬよう声をあげた。私たちが歩いていた山道をさらに登った先、少し開けた場所へ向かい歩みを進める。後ろの蝙蝠という男に急かされ、私もやっとの事で足を動かし後を追う。ちょうど山場の岩がせり出した辺り。辺りの視界を遮るように生い茂る低木をかき分け、腰を低くし頭が彼方を伺っている。私も同じようにその隙間から見下ろした。そして。眼下に広がる、まさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい光景に言葉を失った。
そこはまさに戦場であった。
先ほどの法螺貝は戦の始まりを告げる、号令であったのだ。
崖下に広がる、どこまでも広い草地の両側に、赤、黄、白、黒……。様々な色、紋の描かれた上りをあげた歩兵たちが、手に手に槍や、薙刀、刀などを持ち、一気に平地の中央めがけて、騎兵とともになだれ降りる。ぶつかり合うと同時に繰り出される武器。得物がぶつかりあう金属音。飛び交う弓矢の羽音。そして……吹き上がる血液。次々とまるで人形のごとく倒れる兵。その脇をすり抜け躍り出た馬の足に斬りかかる足軽。馬の哀れな鳴き声。転げ落ちた武士に一斉に集り手にした武器を振り下ろす者たち……。
その様子に尻込みし、あらぬ方へ逃げ惑うもの。怪我したものを引きずり後ろへ下がろうとするもの。戦意を失っているにもかかわらず竹柵、土塀から覗く鉄筒。怯んだ敵に向かい火縄銃が一斉に火を噴いた。同時に背後から空を裂き飛びくる白羽の矢。青い草原に舞い上がる大量の血煙。嫌な匂いを撒き散らす真っ黒な煙。折り重なる人々の遺体。
「……なんて……#酷__むご__#い」
私は呻いた。これ以上直視などできない。両手で顔を覆う。込み上げる吐き気、全身を駆け巡る悪寒にめまいがし、その場に崩れ落ちそうになるのを堪えるだけで精一杯だ。このような悽惨な状況の只中であるのに、見慣れているのだろう。頭は何も言わず後ろに控える蝙蝠に静かに命を下す。
「蝙蝠。お前は高山の忍に姫を連れて参ったことを伝えよ」
何やら文句ありげに佇む男に、さらに頭が殺気を含んだ低い声で告げる。
「行け」
ずきりと頭の奥が痛む。痛みとともに胸が苦しくなる。戦の空気に当てられたのだろうか。私はこめかみを押さえた。蝙蝠と呼ばれる男がその場を離れる気配がした。
私も。私もこの場から離れたい。この場から走り逃げ出してしゃがみ泣き出したい。うずくまり、吐き気をこらえるため、荒い呼吸を繰り返すだけの情けない姿の私を見下ろし、頭が言葉を投げつけた。
「これが戦でございます」
戦……。私は顔を上げて、頭の顔を見つめた。その表情は無である。その無の中に一体どのような経験、思い、感情が隠されているのだろうか。
私も……理解しているつもりであった。私も自らの実家である館の目前が戦場となった。しかし……いま再度それを白昼の下まざまざと見せつけられ、父が、母が亡くなった時のあの記憶が。胸を抉られるような思いが鮮明に蘇ってくる。
才四郎も戦で大切な家族を、友を、姉上様を失った。神輿草の一件で出会った少年もそうだ。
私は誤まっていた。人は全くの一人で育ち、死んで行くのではない。その生にはまた別の多くの人が関わっている。夫婦、子、父母、兄弟……。今目の前で倒れ死を迎え行く人々の背後にはこのようなたくさんの人の思い、愛があるはずだ。彼らの訃報を聞いたものたちは。訃報すら伝えられず待ち続ける人たちは、これからどのような思いで生きて行くというのであろう。それを思うとただただ悲しく、どうしていいかわからなくなり、私は唇をかんだ。
ーーそのような者。私のような者を増やしたくない。
せめて領地の争いなどという愚かな理由で死に行く人をこれ以上増やさぬ方を考えねば。何か止める方法はないのだろうか。私のような弱気、戦う技術もない非力な人間でも何かできることが。
遺された者には、遺された理由がある。唐突に兄のあの言葉が蘇る。
ーーそうか。そうであった。私がここへ来た訳……。
私は顔を覆っていた両手を払い、まっすぐに身を起こした。そして目の前の頭を見上げ口を開いた。
「亮太郎様の命が救われれば、この戦は多少なりとも早くに終わるものなのでしょうか」
私の言葉に一瞬、頭は言葉をのんだようだった。何か思案を巡らすように私を見下ろす。しばらくしてあの低い声でゆっくりと、
「どうでしょうな。すでに戦いは亮太郎様の関係なき所で行われております。高山の気が変わり、亮太郎様の命が救われ、相互が後見人となることを認めるという形となり、縁戚の大名の納得する譲歩案が出されれば。高山、彼は行動の読めない御仁でありますから」
そう返答した。更に間をおいて、
「可能性はかなり低いですが、無ではない」
そう付け加える。可能性は無ではない。無ではないのなら。
「そうですか……。そうであるなら私は」
私は戦場を再度見下ろした。才四郎のような。あの神輿草の少年のような。そして私のような戦の被害者をこれ以上増やしてはならない。このような醜い見た目で説得などできるかどうかわからない。しかし理由はどうであれ、高山と直接話が出来る機会が与えられたのは私しかいない。
「高山のところへ参り、亮太郎様の命を救い、和解をお願いできないか申し出てみようと思います」
私はまっすぐと頭の目を見つめそ言葉を紡いでいた。
同時にまるでせきを切ったかのように目から涙がこぼれ落ちてくる。そして落ちた涙は醜く巻かれた包帯に次々と吸い込まれていった。これは何故の涙なのかわからない。ただ。ただただ全てが虚しく哀しい。とはいえ、人前でただ、泣き続けるというのも恥ずかしい。どうすれば止まるのかもわからず途方に暮れてしまう。
「吉乃姫殿……」
頭が声をもらした。無表情のままであるが声に先程までの威圧感がない。このようにこどもの如く泣いている私に呆れてたか。そう思うと気恥ずかしくなんとかせねばと、袖で顔を隠しつつ涙を拭おうとした、まさにその時であった。
頭上遥か遠く、空をつんざくような羽音がした。流れ矢……! 避けようにもあの速さでは間に合わない。貫かれる……! 私は目を閉じた。
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