第二十章 松虫草(1)

 近頃は、日中は食事の支度、夜は繕い物をしていることが多い。


 夜の裁縫は才四郎の着物を仕立ている。拷問を受けた際に、修繕不可能な程傷んでしまったからだ。傷んだ着物を解いて見たところ、あまりにも特異な着物だった。裏地は柿渋色で表に返しても着れるようになっている。上着に物入れが数ヶ所ついており、暗器のようなものが隠せるようになっている。店で仕立ててもらうのは難しい。幸い私は母や梅に裁縫については仕込まれている。古着はある。型紙があるようなものだから、仕立てるのは、それほど難しくない。


 私は外に出るのは難しい。着物好きな師匠様にお願いして、町で布地を用立てしてもらった。兄が残してくれた幾ばくかのお金をくだんの件の礼として、全てその購入に当てることにした。とはいえ。あのお師匠様のことである。奇抜なものを買われては困るので、細々と指示したところ、思いの外よい物を購入して下さった。上着は紺地に薄く唐草の絣の入ったもの。袴には深緑のもの。裏地は少し赤が濃い柿渋色。そして木綿布。これだけあれば、上と、下、そして下着何枚かを仕立てられる。


 日中は洗濯。

 そして炊事。予てよりお師匠様から、ひな様に食事の作り方を教えてやって欲しいと頼まれていたからだ。先日まで才四郎のために粥などを作っていたのだが、それを盗み食いしたお師匠様に、ひな様の食事について、愚痴を聞かされたのだ。彼女の料理を頂いてみたが、盛り付けも見た目よく、切り方も丁寧だ。ただ出汁などについて、少し頓着がないらしい。魚の湯引きなど小さなことなのだが、知らぬようでお教えした。初めは面倒であるのか、「文句言わないで食べればいいのに」と不満そうであったが、「医食同源とも言いますし」とお伝えしたところ、少しやる気が湧いたようだ。朝昼晩と、三食食事を準備し、夜は早めに部屋に失礼する。そのような生活が続いている。


 ……数日前の夕顔様の件から、私は彼、才四郎と顔を合わせていない。


 あの夜、私は泣きつかれて自室に戻り寝てしまった。朝方、廊下で何か物音がしたように思ったが、起きる気力もなく確認せぬまま眠ってしまった。朝起きたら既に夕顔様の姿はなく、立たれた後であった。私から彼の部屋まで行くこともなく、彼の方からも私の部屋へ来ることはない。

 体のことは心配なので、ひな様にお願いして診てもらっているが、順調に快方に向かっているとのことだ。数日もすれば、普通に歩けるようになるらしい。ひな様も、誰から聞いたのやら、私たちの一件を知っている様子で、この情況に関して何も言わない。ただ時々、「一度だけ会ってあげたらどうですか? 彼にも言い分がある様ですし」、「仲直りしないと。鎌倉に行けなくなっちゃいますよ」など言われるが、「そうですね……」とだけ、お答えし、話さぬ状況が続いている。もし、ひな様の言う通り何か事情があるのであれば、彼はすでに私に説明にきているはずである。そうでないところをみるとやはり……。私は謀られていたのだろう。


 怒っている訳ではない。

 ただ。とても恥ずかしく、彼に合わせる顔がないだけである。


 私は元来、人に甘えたり、本心を見せる様な事が得意ではない。なのに彼、才四郎には今思えば随分と甘え、好き勝手したものだと恥ずかしくなる。彼は私を欺き取り入るため、あの様に優しくしていたということだから、内心私のことをとても滑稽に思っていたのだろう。そう思うと消え入りたい程恥ずかしく、どうしようもなく惨めな気持ちになるのである。それだけ私は彼を信じていた。いや、今この時も心の何処かであれは嘘であったのではないか。というような気持ちに苛まれることがある。随分と手前勝手な感情だ。彼もいい加減迷惑であろうなと自らを戒める。


 ……しかし、私はそれほどまでに人を信じることが出来たのだな、と、自分のことながら感慨深く思ってしまう時もあるのだ。


 夕食がすみ、最後にお風呂をいただいて、あてがわれた自室に戻り文机の前に座る。繕い物する前に、引き出しから薬の瓶を出して、炊事、洗濯で荒れてしまった指に軟膏を塗った。ひな様が私の荒れた指を見て、驚いて薬を用立ててくれた。少し染みるがよく効く。だが、ひな様はこの主成分の花があまり好きではないと言っていた。なんという草であったか。



ーーそういえば。そのように考え事をしている暇はなかった。気がついて私は首を振る。今日の晩には服を仕立て終え、ここを出て……。高山と石内が戦をするという、戦さ場へ行かねばならぬのだから。



 夕顔様の一件の際、庭にいた私の横に突き刺さっていた矢には文が付いていた。ひとしきり泣き、それに気づいた際、人を呼ぼうと思ったがこの矢は私を射殺すことも出来たのである。他言無用である気がして私はその文を矢から抜き取り一人で読んだ。


———予想通り。それはあの石内の忍隊の頭からであった。


 今領地は、高山の策略にて、ほぼ彼の支配地となりつつある。戦下手の現領主様は戦うことなく根をあげ、領地を捨てこのあたりの遠戚の大名の所へ逃げ込んだらしい。しかし、私の父がそうであったように支配される側の領主は命を奪われるのが常である。勝敗を民にわかるよう知らしめし、その後の統治をしやすくするためである。縁戚の大名は呆れながらも、兵を援助するから領地とその民を守るように言い聞かせたそうだ。


 それ故、数日後、高山とその大名との戦がある平原で行われることが決まった。私たちが旅の道中で聞いていた戦の予兆はそのことであったらしい。


 しかし。この戦は詰まるところ石内と高山の戦ではない。その縁戚の大名と石内の戦だ。そして両者とも亮太郎様の存在は疎ましい。だからしてこの戦を理由に亡きものとしようする筈であるのだ。このような謀に疎い亮太郎様でもそれに気づいたらしい……。


 そこで彼は、あろうことか敵対する高山に、このような書状を送ったそうだ。


 ———噂に名高い、傾城の美女。吉乃姫が数ヶ月前、城の忍に連れされた。今探している。彼女と引き換えに命を助けてくれないかと。


 女好きと悪名高い高山の領主は数日時間をくれてやると返したそうだ。戦場に正妻を同行するのは難しい。代わりに慰みものとし侍らせたい。連れてこれたなら命は簡便してやると。


———姫様は、前領主様の恩により数年もの間、匿われ命を長らえてこられました。そのご恩は山より高く、海より深い。それはご自身も分かりすぎるほど、存じ上げてておられることかと思し召ます。亡き御領主の忘形見の命を助けるためにも、ご同行を頂けないか。


 恐らく、私が顔に火傷を負ったという話をしていないのではないか。ここまで読むに、随分虫が良い話であるとため息が出る。それに。あのような老獪な大名が女一人で敵対する領主の命を助けるなど……考え辛い。恐らく口約束であろうことは、私のような者でも容易にわかる。


 問題はその先である。


———ご同行頂けない場合は、その寺に、他に回していた石内の忍隊の者と合流し攻め入り、強硬手段を取らざるを得ない。この前のようにはいかない。見習いの忍三人と、怪我人、抜け忍だけで我々とやり合える等と思われるな。小さい娘とともに皆殺し、才四郎も今度こそ姫の前で拷問死させる所存である。返答は明日早朝、この文の裏に書き、塀から投げ捨てられよ。


 無論、他言無用。漏らしたとわかった時点で、攻めいる準備が出来ている。


 奇天烈とはいえ、ここに置いて下さる師匠様。初めての年の近い友人となってくれたひな様に、迷惑をかけるなど出来るものか。


 そして……そして何より。あのような仕打ちを受けても尚。私は才四郎に怪我を負わせたくなどない。


 仕立てる着物のこともあり、数日暇をもらいたいと文に書いた。その間、何度となく人に打ち明けようと思った。本当は誰かにとりすがって泣いて、助けを乞いたい。しかしそうした所でどうなるというのだ。忍隊は数十人となるというのを聞いている。そのうち幾人か更に抜けたとしてもどうにかなるものではない。


 私は急ぎ針を進める。上着と下着は出来上がっている。後は袴だけ。これだけ縫い上げたい。才四郎に、今までの感謝を込めて。私は無心に裁縫を続けた。





 気付くといつの間にやら、眠ってしまったらしい。木菟の鳴き声で目が覚める。妙に空気が微睡んでいるように思えるまるで夢の中のような。


 私は障子を通す白い月明かりに目を細めた。夜が更け、月が高く上がっているのか明るい。いけない。まだだいぶ残っているというのに。


 そう思いふと気付く。違う!


 障子の外、縁側から漏れるこの明かり橙がかっている。木の爆ぜる音がする。


 これは! 火事?


 私は、立ち上がって障子開け放ち、縁側越しに外を見回した。寺の門の方より火の手が上がっている。


「小春ちゃん!」


 突如として向こうから寝巻き姿のひな様が、走ってくる。私が部屋を出ると、彼女が私の手を引いた。


「石内の忍びが攻めてきたの。急いで! こちらに抜け道があるから」


 私は思わず口を開いた。


「才四郎は?」


「あっちで戦っている。あなたに先に行けって。早く! こっちへ」


 後ろ髪を引かれる思いであったが、彼女に引き摺られるように、廊下の奥の部屋へ通される。寺のお堂であったろう場所だ。天井が高く、見上げる程大きな錆びた菩薩像が置かれている。ひな様がその台座の裏の床板を数枚抜いた。そこに地下への抜け道とおぼしき隠し扉が出てくる。


「ここから急いで外へ」

「ひな様は?」


 私が聞くと、彼女はまるで澄んだ月のように、美しく儚い目をして首を振った。


「私は、譲二を置いていく訳にはいかないから」


それなら私も、と言いかけた刹那だった。突如彼女の後ろが暗くなる。人影。


「ひな様。伏せて」


 その影の主が、彼女の細い首目掛けて手を伸ばしたのを私は思い切り払った。一瞬の隙に、腕を脇に挟み、梃子を使い、相手を投げ飛ばす。


「小春ちゃん」


 ああ。しかし、この者一人ではなかったのだ。既にここに身を潜めていたらしい忍が、彼女の腕をひねり上げてその首に苦無を突きつける。


「小春ちゃん逃げて」

「吉乃姫。一緒に来ていただこうか」


 柿渋色の着物を着た男から、低い声がする。姿はまさに闇に同化している。まるで夜の闇から湧いて出た、物の怪と話しているかのようだ。恐ろしさに震えながら、私は負けじと声を上げた。


「私は参りますから。その人を傷つけないで」


 私がその言葉を言うよりも早く、先ほど投げ飛ばした筈の男が、私の腕を後ろでにひねり上げた。あまりの痛みに思わず呻き声が漏れる。


 そのまま私達は、元来た方、土間の方へと彼らに引きずられていった。


 土間に入る前に、ひな様が隣の部屋に引き込まれた。思わずそちらへ手を伸ばすが、虚しく空を切る。閉じられた障子の向こう。耳を覆いたくなる彼女の悲痛な叫び声が聞こえてくる。


「その娘さんに乱暴をしないで!」


 私が叫ぶと後ろの男が、私の顔を、手のひらで強くつかみ、土間の奥へ無理やり向けた。


「あれを見ろ」


 土間の奥の梁に何か吊るされている。私は目を見張った。


 ああ。


 そして、思わず目を閉じる。しかしそれを許さぬように、男が私の頬をさらに強く掴んだ。両手首を縄で縛られ、吊るし上げられているのは、才四郎だ。


 ほとんど半裸の状態で、全身を鋭い刃物で傷つけられ、吊り下げられた爪先から、地面に血が滴り落ちている。


「吉乃姫。高山の所へ行くに当たり、未練無きよう、この男も始末をしてあげましょうぞ」


「やめて! お願いですから止めて下さい! 才四郎!」


 私が叫ぶと、才四郎の目が薄く開いた。唇が小さく動く。



『小春……』



 私は全身全霊の力を込めて叫び続けた。


 お願いだから止めて下さい!


 止めて下さい!


 止めて……。

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