第十九章 夕顔(1)

 寺の周りを探っていた、石内の忍隊のものが仕掛けられた罠に辟易したか、一度引き上げたようだ。という話を聞き、私は初めて寺の縁側に出るのを許された。

 寺の庭にはたくさんの草花が植わっている。ひな様にお伺いしたところ、すべて薬効のある薬草類で、葉や花を煎じたりなどして薬を作り、修行中の忍の方に諜報活動を兼ねて、町で売らせているとのことだった。

 花好きの私は、その飾り気はないが素朴で強さを感じる野草の数々に目を奪われ、時が経つのも忘れ庭でひな様と花にまつわるお話を楽しませてもらった。


 気がつくと夕顔も植えられており、大輪の白い花を咲かせている。夕方に花を咲かせ、夜になるとその白が際立ってはっきりと縁側から見える。古くから源氏物語などでも取り扱われる花であるが、薬効もあるとは知らなかった。ひな様が言うには、秋近くに成る大きな実に、体を冷やしたり、痛みを和らげたり効果があるそうだ。いざとなったら食することもできるらしい。


 そう。ひな様とは年が同じで、炊事、洗濯を手伝ううちに、自然と親しくお話するようになった。


「この葉は、火傷の後遺症に効くのです。小春ちゃんに良いと思って」


 今日は、私のために薬草を摘んでくれるそうだ。さすが医療を志されている方だ。私の顔の包帯の下も診てくださるとのことだった。しかし近しい間柄出会った侍女の梅でさえ、悲しそうな表情を浮かべるほどだ。その酷さに、ひな様の心象を悪くしたくない……怖い。という思いが先立ち遠慮させていただいた。

 彼女は何か言いたげに、そっと私の頬に指を這わせ何度か首を傾げていたが。私の視線に気づくと「怖がらなくても大丈夫です。それならせめて」と後遺症用の薬を煎じてくださるとそう申し出をくださった。

 ひな様の薬草園に興味もあり、色々お話もしたくて、私も共にお庭にでてこうお話をしている。

 

 ひな様は、一年前、遊郭に居たところを、師匠様に助けてもらい、ここで薬草の勉強をしたり、生活の糧となる薬作りをしながら暮らしているそうだ。しかし、師匠様が女性をここに住まわせるのは、くノ一、つまり女忍者になる者を、養成する時だけなのだという。

 しかし、言いつけられる仕事は薬のことばかりで、いつまで経っても忍としての、いろはを教えては、もらえない。

 それは、困りましたね、と私が言った所、どうやら彼女の悩みは、私の予想とは違う所にあるようだった。


「私は嫌なのです。人を傷つけたり、欺いたりするのが」


 薬草園に座り込みながら、ひな様が言った。


「ですから、くノ一になど、なりたくありません」


「そうなのですか……その旨をお師匠様に告げられましたか?」


 薬草採取のお手伝いをしながら、そうたずねると、ひな様は首を振る。


「私、あんなでも譲二のことが好きなのです、もしそれなら「出て行け」など言われてしまったら」


 そう言って、膝に顔を埋めてしまった。


「一年経ってもあなたにくノ一の修行をさせていないのですよね」


 彼女がその姿勢のまま頷く。


「そうであれば、お師匠様は、気づいておられるのではないですか?」


ひな様には、直接申し上げにくいが、金に煩そうなお師匠様である。何の考えなしに、人を手元に置くとは思えない。彼女の薬草が金になり離せないのか。それとも、彼女の愛らしい魅力に虜になられてしまったのか。五人以上居たらしい、忍の輪から、才四郎を助けて来れたほどの腕の持ち主が、彼女に黙って飯釜で後頭部を殴られるというのも……恐らくどちらともなのでは、なかろうか。


「あの馬鹿にそんな機微があるとは思いません。気分屋なのです。ただそれだけです」


 ひな様は気づいておられないようだけれど。彼女は少し膝から顔上げた。私は少し話題を変えることにした。


「ひな様は薬を作られるのがお好きなのですよね」


 彼女は、しっかりと頷いた。三つ編みのお下げが揺れる。


「はい。人を殺すより、助け生かす方が大変です。私はどんな人にでも一度くらい機会が与えられても良いと思うんです。生き直す機会が与えられても」


「ですから、医学を学びたいと思っています。薬だけではなく、医術をきちんと学びたいのです」


 しかし、すこし寂しそうに続ける。


「でも、そうなれば京へ上らねばなりません。でもそれは譲二との別れを意味します。それにその隙に浮気されたりしたら」


 確かに彼女の薬の効能は目を見張るものがある。そのおかげで才四郎は助かったと言っても過言ではない。このままここで、薬を作るだけで一生を終えるというのも、非常に勿体無い気がする。このような時代であるからこそ。救える命を救うというのは、尊く、とても徳の高いことであると思う。出来るのであれば、彼女にそうなって欲しいと思う。しかし……。


「距離は遠く離れても、心はつながっているとは申しますが」


 私はそう言って、手に摘んだ薬草の葉を彼女の横に置かれた籠に入れつつ、そっと彼女の肩に手を置いた。


「やはり気づいておられるのではないですか。あの容赦ないお師匠様が一年間薬草学しか教えないのですから。難しいかもしれませんが。一度ゆっくり、くノ一になりたくない、医学を志したいと、本心を打ち明け、お話しされてみるのも良いかもしれませんね」


 私は俯いた。


「私はひな様が羨ましいです。きちんと夢を持って日々過ごされている。私は数ヶ月後尼になるつもりなのです」


 ひな様が、弾かれたように顔を上げ私を見た。


「出家されるんですか?」


「ええ」


 彼女は、才四郎が寝ている部屋の方を見遣りながら口を開いた。


「才四郎さんは、どうされるんですか?」 


「彼には護衛をお願いしています。鎌倉で別れる事になっています」


 彼女が驚いたように身を乗り出す。


「そんな……あのような怪我をしてまで、あなたを守って。小春ちゃんを深く想っているのに」


「いえ。彼の想い人に私が生き写しなのだそうです。それ故……たまに彼女の姿を私に重ねてしまうと。彼と私はそのような関係ではありません」


 私の言葉に、ひな様が、心底驚き、なぜか憐れんだような表情を浮かべ、


「まるで。あ………よ………」


 何か呟いた。……聞き直そうとしたその時、向こうから才四郎の呼ぶ声がする。何か体調の変化でもあったのだろうか。ひな様に促され、私は場を辞して、才四郎の部屋に急いだ。


 彼女の薬のお陰で、才四郎は目を覚ましてから、順調に回復に向かっている。部屋の障子を開けると、彼が今にも飛びかからん様子で、私の方へ向き直った。


「才四郎。どうしたというのです」


 彼が私の腕を掴み、声を荒げた。


「小春。話が違うではないか」


 なにごとであろうか。彼に嘘をつくようなことは、していない筈なのだが。


「師匠に俺を助ける変わりに、小春の大事な形見の帯を」


 才四郎が、酷く混乱した様子でそう言った。よく聞いてみると、先程師匠様が、早速身に付けて、彼の所へ見せに来られたようである。その行為に私は思わず吹き出してしまった。


「笑っている場合か。辻が花の着物まで、切り裂こうとしたんだってな。今から取り返してくる」


 飛び出しそうな、彼の寝巻きの袖を強く引く。


「良いのです。帯よりも生きてこのように、私と一緒に居てくれるあなたの方が、私は大事なのですから」


 才四郎が、売り言葉に買い言葉のように言い返す。


「何を言う。俺の命など、あの帯の一尺の値段にも満たんだろう」


 これには黙っておられず、今度は私が語気を荒げてしまった。 


「あなたこそ何を言うのです。帯一本で済んで奇跡なのですよ。足りぬなら辻が花の着物を引き換えにしてもよかったのです」


 私の剣幕に一瞬、才四郎が怯んだ。


「包帯が足りたので、そうしなかっただけです」


 彼が落ち着いたのを確認し、私は彼の袖から手を離し、彼の隣に座した。


「才四郎は、私の身を守ってくれました」


 私が言うと、彼が口を尖らせて言う。


「当たり前だ。理由は知らんがお前を拐おうなど……。高山のすけべじじいの所にお前をやるつもりだとしたら、なおさら……」


 何か独り言ちる才四郎の言葉を切り、私は口を開く。



「私もあなたの命を守りたかったのです」


 私の言葉に、才四郎が口を閉じ、じっと私を見つめた。


「あなたが死んでしまうと思ったら、怖くて、悲しくて。何としても助けねばと思いました」


私はあの時のことを思い起こそうとして辞めた。きっとまた怖くて怖くて、泣いてしまうような気がしたからだ。


「あなたが傍に居てくれなくては、困ります」


 才四郎は、ふっと目を細めた。そして私から顔を逸らすと遠くを見ながら、口を開く。


「小春。大事な形見の帯はなんとかする。俺を信じて少し時間をくれ」


 良いと言っているのに、私も人のことを言えたものではないが強情な人である。これ以上言い争いをしてもしようがないので、私は静かに首を縦に振った。それを確認すると、一変。彼は相好を崩し、ちらちらと私を見ながら、続ける。


「それと、その……心配をかけた詫びと言ってはなんだが。俺の傷が癒えたら、今度は奴らの目を欺くのに、海岸沿いの道をいこうと思うんだが。小春は海は見たことがあるか?」


 思いもよらぬ発言に驚き、私は首を降った。


「ないです。湖より大きいのですか」


 私の言葉に、才四郎が大げさな口調で答える。


「比べ物にならないほどでかい」


「天気がよければ、空の色を映して美しい群青色になる。どこまでも青くてな。砂浜の白さと相俟って、輝いて見える。気持ちがいいぞ。波は湖より強く寄せて返す。潮騒は日もすがら辺りに響いている。風も潮風が吹く。少し湿っているが、磯の香りがしてな。魚もうまい」


 彼は目を閉じた。きっとその、海を思い浮かべているのだろう。


「これからの季節、いいかもな」

「どこまでも青いのですか」


 私が繰り返すと、才四郎がこくりと頷く。


「ああ。自分が小さく思えるほどにな」


 私も彼を真似て目を閉じて想像してみる。見たこともないものを想像するのは難しい。私が思い浮かべたのは広くて波が少し高い位の湖だ。


 そのような私をしばらく見ていた才四郎が咳払いをする。


「そこでお前に話したいことがあるのだ」


私は目を開いた。そして辺りをうかがい彼を見た。この部屋には彼と二人きりの筈なのだが。


「今ではいけないのですか」


 私が言うと、才四郎は苦虫を噛み潰したような表情できっぱりと否定する。


「いけない。確実に邪魔が入る」


「どんな話なのでしょう」


 二人きりでならねば話せない話とは、一体どう言ったものなのだろうか。純粋に気になる。


「とても大切なことだ。きちんと、お前に話しておきたいことがある。二人きりで話がしたいのだ」


 そう言いながら彼は、今まさに閃いたというような表情で微笑みながら私を見下ろした。


「そうだな。晴れ渡った星が綺麗な夜に、海で言う」


 海に星空。見たことのない景色を思うと、楽しみで胸が弾むような気持ちになる。


「わかりました」


 私は胸を押さえて、微笑みながら彼を見上げた。


「海ですか。今から楽しみです」


「だいぶ寝てばかりで体力が落ちてしまったからな。後五日ほど休み、三日ぐらい体を動かせば、元通りになるはずだ。そうしたら此処を出て向かおう」


「約束だ」


 彼が手を差し出した。私はそれを見下ろす。指切りをするつもりなのだとすぐに気付く。しかし私はそれに応じず、才四郎から目をそらした。


「嫌です。才四郎はすぐに約束を破るのですから」


 彼が私の身を案じて私を置いて行こうとしていたのは、言わなくとも誰よりも深く理解しているつもりである。そうだとしてもやはり感情の端に、「置いていかれた」という悔しさと途方に暮れてしまうほどの悲しさが残っていないと言ったら嘘になる。それを彼に当てつけていうことなど到底出来ないが、少し位の意地悪許されるだろう。そう思って言ってみたのだが……。そのような私の態度を全く予想していなかったようだ。彼はだいぶ狼狽えたような表情をした。が直ぐに居直る。そして口を開いた。


「あれはお前の身の安全を第一に考えたからで。俺は……結果、約束は破ってないぞ」


 苦し紛れの彼の表情に、思わず負けてしまい笑みを溢してしまった。確かに。彼は大怪我を負ったが、逝かずにいてくれた。あの時の約束を違えることなく。私を守り、今この時も傍にいてくれている。もう一度彼が、私の目の前に、手を差し出した。


「指切りだ」

「指切りです」


 私は彼の右手を握った。彼も握り返す。まるで子供のように無邪気に、私の手を握っていた彼の姿がとても印象的だった。




ーーそれなのに。


 この後すぐに、彼は私との約束を反古にした。あまりにも早く、あまりにも残酷に。

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