第十三章 紫陽花(1)

 ある山道を通っていると、獣道の両側に紫陽花が植わっていることに気づいた。


 すでに皐月も終わりが近づき、紫陽花の花も黄緑色から、本来の青、赤に色を変え、色づき始めている。紫陽花は花が終わるまで、色が変わり続ける。青いものも最後は赤みを帯びて散る。まるで四六時中移ろいゆく人の心のようだと思う。


 前に一度、才四郎から、忍の術を習った時のことについて聞いたことがある。

伊賀の抜け忍で、金髪に碧眼、身長六尺強という、忍らしからぬ容姿の師匠の所で修行したと聞いた。その時師の元には、自分以外に二人の兄弟弟子がいて、三人が三様全く違う、相容れぬ性格。最後の最後まで喧嘩ばかりで、纏まりがなかったという話である。


 しかし最後に約束を交わしたそうだ。


 それは「戦場、もしくはそれに準じたどこかで、互いに敵として再会したならば、謀無しに、一対一、清く戦って勝敗を決めよう」というものであったらしい。


 燕子花のあの一件から、五日程経っただろうか。五月雨が続き、なかなか旅を進められない日が多かった。その日はたまたま朝から快晴で、信濃に入り、細い山道を歩いている時だった。落葉樹が群生した山道を歩いている時に、その樹の木陰に植えられた紫陽花の中から声がした。


「才四郎。久しぶり。相変わらずだね、可愛い女の子を連れて歩いて」


 私が驚いてそちらへ視線を移す前に、才四郎に強く押され、道の反対側の木の幹に思わず手をついた。


「離れておけ」


 才四郎が声を上げた瞬間、私たちが今いた辺り木の枝に、重り、分銅をつけた鎖が絡みつく。そのままへし折られ、鈍い音をたて地面に落ちた。紫陽花の影から姿を現したのは、男だった。

 

 才四郎より少し年が若いだろうか。二十歳前後といったところに見える。背は彼と比べればだいぶ低く、小柄だ。明るい茶色の髪に、青碧の上着に海松茶の下。一見猿楽師のような出で立ち。細く糸の様な目をしているが、瞼の中の小さな黒目が、射抜く様に、鋭い光を帯びて人を見る。手に鎖鎌を携えている。先ほどの一撃は、鎖で繋がれた分銅を、才四郎に絡みつかせる算段であったことがすぐにわかった。


「源内、お前か」


 才四郎から驚きの声が漏れる。どうやら彼の知り合いであるらしい。


「さっき茶屋で見かけてね。ちょっかい出してやろうと思ったのさ。へへ。久しぶりに手合わせでも」


 そう言うと、鎖を左手で回し、鎌の柄を右手で構えて、その長い鎖を彼に向かって投げつける。あれに絡め取られれば、体のその部分は動きを止められてしまう。その後引き寄せられ、鎌で一撃食らうことになるだろう。また分銅が当たれば打身、ひどければ骨が砕けてしまう。

 それが分かっているのか、才四郎も刀を抜いたが、なかなか間合いを詰めない。そのまま後ろに下がり、右斜め前の木の枝によじ登り、長く枝を広げた落葉樹の木々を上に登っていく。鎖鎌はその性質から、両腕を使うため、木の上の戦闘は不利になるのやもしれない。小さく舌打ちをした、源内と呼ばれた男は、自らの傍の木に同じように登ると、才四郎を追い姿を消した。


 それから、残された私にとっては、待つには長過ぎる時間が経った。近辺で二人がやりあっているのが、見え、武器の交わる音が聞こえるが、勝敗がつかない。

 

 才四郎は刀でなく、遠距離武器で間をずらして攻撃するつもりのようだが、敵も手練れであるからして、お見通しである。投げられた手裏剣などは、すべて避けられるか、鎌で弾かれる。

 敵も早くに才四郎に一撃入れたいようで、手数多く、分銅を投げつけてくるが、才四郎は身軽に、それらをかわしている。鎖鎌についている分銅は、相手の殺傷を狙う武器の役目を持ち、相当の重みがある。早めに一撃入れられれば勝敗は早くに決まるであろうが、こう外してばかりでいると、体力の限界も見えてくる。源内と呼ばれた男の方は少し辛そうに肩で息をしている。

 なぜだろうか。殿方は同じ位の力量の相手と試合を行うと、周りが見えなくなる嫌いがある。お互いじゃれあいのつもりが、段々のめり込み、本気の果し合いとなってしまうのだ。どちらかが怪我をするまでやりあってしまう。


「才四郎。源内様、手合わせはそろそろ」


 と私が声をかけても、全く聞こえていないようだ。


「才四郎、聞こえているのですか」


 私が上に向かって声をかけても、お互い、武器を苦無に持ち替えて、打ち合っている。


「才四郎!」


 少し大きな声を出しても全く意味がない。私は辺りを見回した。どなたか殿方の大きな声掛けで、二人の気を削いでもらえれば止まるであろうが、こういう時に限って全く人通りもない。どうしたものか。このままでは素人目で見ても、おそらく源内様が才四郎に木から蹴落とされるなどして、怪我をされることになるだろう。戦でもないのに、ただの手合いで傷を負うなど。放ってはおけない。


 何か大きな音が出るもの。大きな音が出るもの……。


 私は懐にしまっていた笛の存在を思い出す。才四郎、そしてあの様子からして、源内様も、忍であるに違いない。彼らは耳がいい。小さい音まで子細に聞き分け、夜の任務を遂行する。この笛で、耳が痛くなる様な高音を出せば、少しは効くかもしれない。私は木の上で、果し合いを続けている二人を見ながら、懐から笛を出し、少し小さく音を出した。これでは低い。もう少し、高く。もう少し。調整を重ねると、鼓膜が震えるかの様に響くある音階を見つける。いつもの通りに音を出せば、心地よい音だが、思い切り息を吹けば、耳をつんざく様な音になるはずである。

 音階に当たりをつけ、そして息を思い切り吸い込み、吹き入れた。静かな山の中に、気が狂れた鳥の断末魔の様な音が響き渡る。


「なんだ小春! どういう音を出してる!」


 やっと気づいたのか、才四郎が耳を押さえつつ、私に声を上げた。隣にいる源内と呼ばれている人も同じ様に耳を押さえている。苦無を幹に突き立てている所を見ると、あまりの驚きに木から転げ落ちそうになたのであろう。


「才四郎。聞こえなかったのですか? 私はもうお止めなさいと言うているのです。それ以上無益な手合いで怪我をする位であれば、あなたから刀を取り上げて、ここで任を解きますが、いかがしますか」


 才四郎の表情が、険しくなっていくのが見える。それをちらりと見ていた源内様が、腹を抱えて笑い始めた。


「へえ。珍しいや。才四郎尻に敷かれてるんだ。まあいいや。確かに彼女の言う通りだ。手合いは終わりっと。久しぶりに少し話でもしよう」


 私はほっと胸をなでおろす。才四郎は私の隣に降り立つと、むっとした表情であったが、見ないことにする。年が八つも上であるのに、子供のようなことをする、彼が悪いのであるから仕方がない。



「少し先に行くと、小川がある」という、源内様の案内で、私たちはそこから少し行き、道を外れた所、清水が湧き出ている小川の側で、休憩を取ることになった。辺りがだんだん薄暗くなってくる。


「今日は宿がある町に、着けそうにないな」


 才四郎がぼやく。元々、そろそろ日が傾いてきたので先を急ごう、と歩いていた最中であった。二人の手合いが長引いてしまったため、到着が難しくなったというのが本当の所である。しかしなってしまったことを、責めてもしようがない。


「それではここで野宿ですね」


 私がそういうと、少しバツが悪そうに才四郎が頷いた。川原のそばの、紫陽花が高く群生している影に、私たちは座り、焚き火を囲んだ。





「二人はお知り合いなのですか」


 私が聞くと、前に座っていた源内様が頷く。


「そう。昔ね、一緒に忍の修行をしていたのさ」


 細い目は、こうしてみると、まるで開いていないように見える。話し方は砕けて、軽く、親しみやすい調子だが、なぜかその奥の目が笑っていないような気がして。私はあまり彼を見つめないようにして、「そうですか」とだけ答えた。


「ああ。懐かしいな。もう六年も前になるのか」


 才四郎が、往時を懐かしむように呟いた。


「僕達、本当に仲が悪くてね。才四郎は昔から女好きで遊女の取り合いで喧嘩してたし。もう一人の奴は優秀過ぎるんだけれど頭固くて譲ることをしないから喧嘩してたし」


「女好きじゃない。師匠から、そういう仕事が多そうだから慣れとけ、と言われて、遊女をつけられてただけだ。誤解を招くようなことをいうな」


 仏頂面で言う、才四郎の言葉を聞いてか聞かずか、


「まあ、一番劣等生だった僕が、結局殴り倒されて終わるんだけどさ」


 と呟く。その自嘲と侮蔑を込めたような表情が、焚き火の炎に揺めく。何かを抱えているかのような表情。


「何を言う。お前がわざと負けて、場を収めてくれなければ、俺も奴も修行が終わる前に死んでた」


 才四郎が、彼を見つめながら続ける。


「俺達は、お前の優しさに何度も救われた。師匠に、任務に失敗して殺られるほど殴られた時に、薬をこっそり持ってきてくれたりな。あいつもそうだろう。お前に感謝しているはずだ」


「へへ。どうだかね。今言われてもね」


 聞いているだけでも想像を絶する。忍の世界とは厳しいものなのだなと実感する。その後二人は、世の中の情勢などの話をし始める。どこの大名が、どこの国を取るつもりであるとか。どの武将がどの大名についたのかなど。難しい話であるが、聞いていると、どうやら世は、統一の方向へと向かっているらしい。ただその統一までの道のりがあまりにも遠く、混乱をきたしているようだと。夜明け前の闇が一番深いとはよく聞く話である。今がその時なのかもしれない。一日も早く、夜明けが訪れることを祈るばかりだが、その夜明けのために散らなければならない命があるのかと思うと、悲しく途方に暮れてしまう。


「小春、おい、小春」


 ふと物思いにふけ、才四郎に声をかけられていたことに気付かなかった。肩を掴まれて顔を上げる。


「念のために、警戒線を張ってこようと思うのだが」


 警戒線とは、忍が敵を察知するために張る細い糸のような線のことだ。彼と行動を共にし、時々野宿することがあり、知ったのだが、それに高い音がなる鈴や木の札をつけて、誰かがその糸を踏んだり、足をかけたりすると、こちら側がその存在をいち早く、知ることができるというものである。彼はいつも私を連れて、野宿の前は辺りにこの線を張りに行くのを常としている。


「はい、わかりました」


 私が立ち上がろうとしたときだった。


「いいよ。その子、僕が見ててあげるから行ってきたら」


 源内様が私たちを見上げて声をかけた。才四郎が、少し眉をひそめる。


「いや、いつものことだ」


「でも連れて歩いていたら、もしもの時危ないでしょう。今日は僕がいるし」


 私は彼を見て、才四郎を見上げた。先程から、彼の。源内様の目が気になる。失礼至極とは思うが、なにか。油断出来ない何かがある気がする。なるべくなら才四郎といたい。


「あの時の約束。忘れてないから」


 源内様が駄目だしのように漏らした。約束。恐らく、才四郎から前に聞いた、再会したときのあの話のものであろう。これまでの話の流れで、ここで私を連れていっては、才四郎も面目が立たないのではないかと思案する。彼の旧知というのであらば、私も信じるべきであるのかも知れない。


「才四郎。では折角ですから、私は残りましょう」


 才四郎が、低く唸ったあと、小さく頷いた。


「では源内にお願いするか。小春を頼む」「了解」


 源内様の所へ戻ろうとした私に、才四郎が小さく耳元で呟く。


「奴の目を絶対に覗き込むな。すぐ戻る」


 私が頷く前に、彼はすと身を翻して森の中に姿を消した。


「こちらへどうぞ」


 源内様が、彼の目の前を指して座るように促す。私は才四郎の言ったことを心に言い聞かせ、焚き火を挟んだ彼の向かい側に腰を下ろした。

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