第十二章 燕子花
皐月になり、燕子花(かきつばた)、花菖蒲、文目(あやめ)の花が見られるようになった。
燕子花はす湿地に、文目は普通の草地に咲くが、花菖蒲はどちらにも咲くので三者区別が付きづらい。しかし、どれも、大きな花びらを持ちながら、しゃんと背筋を伸ばし、空に向かい真っ直ぐ咲いている姿は美しい。その姿に自分もあやかりたいと、見かける度に思う。
区別が付きづらいと言えば、先日このようなことがあった。
人に紛れて旅をした方が目立たないとのことで、近頃はまた人通りの多い街道をゆくことになった。旅人や僧侶、商人。または町に住まう人々と顔を合わせることも増える。
そのせいでもあるが、女性の着物で旅するようになり、道先々で、才四郎との関係について問われるようになった。勿論女人からである。素敵なお連れ様ですね。羨ましいこと。どこでお会いになったのですか。など。そういえば前に、笛のあの件で、すみれさんと言う娘さんも、そのような話をしていたことを思い出す。
「才四郎は、美丈夫なのですか?」
ある日何気なしに、宿屋で夕食の後、笛の手入れをしながら、聞いてみると、才四郎は、酷く驚いた後、
「今度は何を言い出す」
と、なぜか酷く疲れた声で逆に尋ねられた。
「いえ。近頃立ち寄った先々で、女人の方に言われるのものですから」
「よくわからんが、自分で「はい、そうです」などいう奴がいるのか? 他人の捉え方の問題だろう」
ああそうか、と思う。本当のことを言うと、私は人の顔について他人が言うような判別が全く出来ない。というのも、長らく私は石内の城奥に匿われていた。会うのを許されていたのは、侍女の梅、領主様と、そのご家族。他数名の限られた家臣の人たちのみであった。才四郎も城の前で出会うまで、私の存在を知らなかったことからも、私がどれ程人に会う機会が限られていたか、分かると思う。だからか、私は美醜を訪ねられてもわからない。勿論自分の姿は醜いと思うのだが、それ以外の者については、なんとも判断が付かないのだ。
なので、そのような話を振られて、思案することが多いと、彼に告げると、少しため息をつかれた後に、「そんなのは適当に、はあ、そうですかねとか、合わせておけばいい、小春は真面目に考え過ぎる」と返される。そういうものかと頷くと、才四郎が間を置いて、私にたずねてきた。
「ちなみに、お前は俺のことをどう思う」
参考迄に聞いておきたい、と。何の参考か理解に苦しむが、先も話したように、判断がつかない。
「先も申しましたが、区別が出来ません。強いていうなら、才四郎は才四郎であるということ位しか」
と返す。私にとって、彼の顔は彼そのもなであるからして、そう答えたのだが、なぜか「小春らしい」と笑われた。なぜか小馬鹿にされた気がして、答えなければよかったと少し後悔する。
その数日後、小さな宿場町で、突然才四郎が声をかけられて、私はまたこの時の話を思い起こすことになる。
「三郎様」
覆い被さるように、連なる山間の小さな宿場町だった。夕刻に差し掛かろうかという辺りが少し橙色がかってきた頃合い。そろそろあそこに見える宿を取ろう、という話をしていた時に背後から可愛らしい声がして私達は振り返った。
藍色の着物に、白い頭巾を被った娘さんが立っていた。背中に篭を背負っている。この辺りの宿や店に、花を卸している花売りの娘さんのようだ。年は私より少し上であろうか。丸い愛らしい顔に、すっと切れ長の大人びた目。紅いぽってりとした唇。色白の素敵な女人だ。彼女は確か、三郎と言っていたような気がするが、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳を才四郎に向けている。才四郎はというと、なんとも言えない表情で固まっている。
彼とはこれでも数ヵ月は共に旅している。その表情でなんとなく経緯を理解する。
「かよはずっと、あの夜に交わした約束を胸にお待ちしておりましたのに。その方は? 酷い」
彼女が道に座り込む、肩から落ちかけた篭から、売り残りだろうか、何かしらの花が数本見える。
「才四郎、あなた心当たりはあるのですか」
いくら人通りの少ない道の宿場とはいえ、人目はある。私が小さく彼を見上げて尋ねると、叱られる前の子供のような表情で、唸っている。しようがない。
私は彼女に近づき、倒れかけた篭を起こして彼女の横に腰を落とす。
「落ち着いて下さい。彼は私の従者を勤めてもらっています。私と彼はそれ以外の関係はありません」
私が言うと彼女は少し落ち着いたように下を向き、嗚咽したまま息を飲む。
「彼は才四郎と私には名乗っていますが、本人に間違いないのですか」
聞くと、涙で潤んだ瞳を彼女は私に向け、こくりと強く頷く。私も頷いた。そうであるならば。
「私達は、今晩、あの宿に泊まります。お仕事が終わったら宿をお訪ねください。彼にもそのように伝えておきます」
そう言って私は彼女を支えて立ち上がった。篭を渡す。その時初めて中の花が、燕子花の花であることに気付いた。
「燕子花の君、といったところでしょうか……」
燕子花……艶やかな若い男性、女性の代名詞として、万葉から歌に用いられるほど美しい花。彼女にとって才四郎はまさにそのような人であったのではないか。
宿の部屋に入ってから、私がお茶を入れ、湯飲みを彼の前に出しながら呟くと、途方に暮れた様子で胡座をかいていた才四郎が、恨めしそうにこちらを見やった。
「俺への当て付けか」
寺を出てから彼とは、一つの部屋に衝立をして寝るようになった。追手が掛かっているので、なるべくお互い傍にいた方が良いということでそうしている。男女で一室を取るとは奇妙かと思うが、すでに彼は兄と同じように思っているのでどうということはない。それに不思議なのだが。あの桜の晩から、なぜか彼は女性を部屋に招くこともなくなった。あのように恥をかかせてしまったせいであろうか。いつか謝りたいと思いつつも、話題に出すのも恥ずかしくそのままとなっている。今は同室であるのでむしろその方が、私としてはありがたいのだが……。とにもかくにも、そのような経緯で私達は、同じ部屋でこうして話をしている。
「いえ、そういう訳では」
私はそう言いながら彼をそっと見やった。実際私もなんと声を掛けていいやらと悩み、その上に出てきた言葉だったからだ。才四郎に珍しく、だいぶ堪えているようだ。直接聞いていないがおそらく、石内の忍隊の時に何か忍の任務で、偽名を使って彼女と関係を持ったのではないかと思っている。
「しかも宿屋に呼ぶか、普通」
彼は私のその行動についても言いたいことがあったようだ。こちらに背を向けたまま、さらに非難がましくうめいた。
「才四郎。詳しいことはわかりませんが。暫くあなたと旅をしていますから、先の女人と、任務中になにかあったのかと、想像が着きます」
才四郎は何も言わない。
「私は………叔父上に男女の機微に疎すぎると叱られた身です。よくわかりません。しかし。この場合辛いと思いますがきちんと説明をし謝罪することが、お互いが救われる道かとおもい彼女を呼びました」
一部屋開けて、隣に部屋をとってある。私がそう告げると、彼は観念したように、立ち上がる。
「話をしてくる。何かあればすぐ声を上げて呼んでくれ」
そして部屋を静かに出ていった。
ーーだいぶ夜も更けたころだ。
灯明皿に火を入れて、繕い物をしていると、静かに襖が開く音がして才四郎が帰ってくる。
「まだ起きていたのか」
衝立の向こう側ではあるが、灯りがあるせいで気づいたのだろう。
「はい。少し繕い物をしていたので」
私は衝立から顔を出した。才四郎が襖を閉めて、私を見下ろす。
「話は終わった」「そうですか」
私が頷くと、少し落ち着いた面持ちで、
「最後は笑って別れたよ」
とそういった。その後、何か言いたそうにして言葉を飲んだ。この時間だ。話だけではなかったことは、私でさえなんとなく分かっている。
「お話、しますか?」
衝立を少し押しやると、彼は少し開けて風を取っていた障子を広く開けその下に座る。そしてなぜか酷く傷付いたような目で私を見た。
「二年前だ。戦で奇襲をかけるために、どうしても付近の山の、地元の人間しかしらない獣道を知る必要があった。猟師が使うような道だ。近辺の防備にも関わることだからな、普通には聞き出せん」
才四郎は、私から目をそらして片手で額を押さえた。
「あの娘と懇意になって聞き出した。褥を何度か共にしてな。あの娘だけではない。同じようなことは幾度とある。忍など、野党に毛が生えたようなもんだ。盗み、殺し、謀、なんでもありだ。俺も………全てやっている。科者だ」
私は目を閉じた。彼はまるで私に罵ってくれと言わんばかりの様子だから……。
忍については、私も聞きかじる程度であるが、戦前に山賊、盗賊を奇襲のために雇い入れたり、そういったものは前科を帳消しにする等といった札が上がると聞いている。諜報活動や、破壊活動、奇襲攻撃などを仕事とするのであるから、聞こえよくない仕事をすることが多いのだろう。
「私の叔父上は元武人と申しましたが、昔は首切り伝八などと言われてたくさんの兵を斬ったと聞いたことがあります。もちろん好きでやっていたことではありません。私の父の領地を守るためでした。思うことがあったのか今は僧になっておられますが」
私が言うと、知らなかったのであろう。才四郎が驚いた表情をする。
「才四郎も、石内様の領地や、民を守るための任務で止むを得ずなのでしょう。あなた方がその様な仕事を請け負って下さったからこそ私も含め、領地の民は五年間、争いなく心静かに暮らすことができたのです」
私は手にしていた、繕い物を横によけると、手をついた。
「才四郎。有難うございます。そして……あなたの心を深く傷つけていたことに気づかぬまま、過ごしていた私をどうぞ許してください」
「お、おい。お前に謝罪しろなど言ったつもりはない」
才四郎が慌てた様子で腰を上げる。私は顔を上げた。
「才四郎が悪い訳ではありません。責を追求するなら、きっと誰かを傷つけたり、獲った命の代わりに救われる人、助かる命がある。その様な今の世が悪いのでしょう」
才四郎が腰を浮かしたまま、私を凝視する。
「あなたは誰かを欺き、殺め、生き長らえています。そうでなければ私は貴方に会えなかったのです。貴方に会えなかった人生……それは私にとって辛すぎます。貴方が生きいてくれて、こうして会えてよかった。そう思う私はその誰かの死を願ったのと同じです。手を下してないだけ。あなたと同じ科を背負っていると言えるのではないでしょうか」
「小春……」
私は横に置いておいた盆をそっと引き寄せた。
「熱燗が、ぬる燗になってしまいましたが。宜しければ」
私は、そっと徳利を差し出した。
「ああ……構わない。すまん。有難う」
そっと盃を才四郎に渡す。指がふれる。冷たい。私にはなにもできないけれど、そっと暖めるように手のひらで包んで渡した。そして酒を注ぐ。才四郎が目を細め表情を緩め、そしてなぜか悲しそうな面持ちで私を見つめた。
「小春は、俺といて嫌悪を感じたりはしないのか?」
私は驚いて彼を見た。そういえば前もあの桜の花咲く夜、ほこらで同じようなことを言われたことがあった。
「私は叔父上を嫌悪したことはありません。同じように貴方のこともありません。勿論これからもありません」
彼は優しい。おそらく忍であるのに、任務について、人を殺め、傷付けたことを人知れず悔いているのだろう。私が言うと、才四郎は「そうか」とどこか安堵したように呟く。そして徳利を私から受け取った。私の分の杯を満たしつつ、彼には珍しく真剣な面持ちで私を見つめた。
「これだけは信じてくれ。俺は………俺は五年前のあの日から、任務以外で女人を抱くことはなかった」
五年前。彼の想いの人に会ってからであろう。きっと私が似ているから、その方に言っているつもりなのであろう。
実際、私は彼を心から信用しているのか問われると……わからない。彼の優しさは痛いほど理解しているが、なぜこの醜い私に? という疑問は残されたままだ。そして何度もいうが。私は湖畔の彼女と別人なのだ……。それでも。受け止めることで彼の気持ちが救われるのであれば。と。思い、しっかりと頷いた。
「はい。才四郎がそういうなら。信じます」
そう告げてふとさらに思う。任務以外で人を抱くことはない。では私との道中で抱いていたのは何かの任務だったのだろうか……?
「すまなかったな。気を遣わせてしまった」
私の思考を中断して、才四郎が酒をあおる。つられて私も杯に口をつける。
「いいえ。そのようなことはありません。彼女と蟠りがなくなってよかった」
私このような姿だ。女性の幸せについて、今後も知ることはないと思う。そう思うと、仮初めだったのかもしれないが、才四郎と身を焦がすような恋愛の出来る彼女が少し羨ましく感じてしまう。数ヵ月先に出家を控えているのに。何を思っているのだろうか。私は自分に呆れながら、盃の酒を飲み干した。
翌朝。
酒を飲んで辛そうな才四郎を起こして、私たちは約束の時間、朝早くに宿を発った。その際宿場町の外れで、女人に声をかけられる。
「あの、お礼をいいに参りました」
白い頭巾に紺地の着物。籠を背負った、昨日の女人である。かよさんと言ったか。私が才四郎を振り返り、彼女の方へ促すと、なぜか私に話があるという。彼女は私の前に立ち、籠から一輪の花を取り出した。
「礼、ですか。」
私が言うと、彼女は昨日と違い、とても明るい表情で頷く。
「計らいに感謝します。あなたのお陰で私は三郎さん、いえ、才四郎さんと最後にお話ができました。嬉しかった」
「そうですか。それは良かった」
私が言うと、彼女は少し俯く。そして上目遣いで恥ずかしそうに私を見た。
「本当を言うと、彼に想われているあなたが羨ましかったのです。だから意地悪をしようと。あのように道端で。お許しください」
私は驚いて彼女を見た。想われている? 私が? 才四郎に? 大きな勘違いである。
「それは勘違いかと思います。よく女人に尋ねられますが、私はこのような容姿です。実際に彼となんの関係もありません。本当に雇い主と従者です。彼の想い人は私ではなく、別の方かと存じますが」
私が言うと、彼女はなぜか、小さく吹き出した。そして才四郎を見上げ、再度私を見て、そして妖艶に微笑んだ。
「なるほど。悔しいと思ったけど。才四郎さん、いい気味だわ。溜飲がおりました」
手にしていた花を私に差し出した。
「これを才四郎さんに。想いの方に渡すようにお伝えください。では私はこれで」
そう言うと彼女は朝靄に紛れるようにして、宿場町へと消えていった。私は手にした花を見る。ああ。きれい。摘んだばかりの、本紫色。鮮やかなの燕子花の花。
私は才四郎を振り返った。
彼はなぜか、戸惑い、焦ったように彼女の後ろ姿を見つめている。彼に声をかける。
「才四郎。五年前の方に再会した際に、押し花にして差し上げたらどうでしょうか。これほど見事な物はなかなか手に入らないと思いますよ」
私が言うと、彼は私を見下ろして、何か慌てて言おうとして、口を閉じる。そしてこめかみを押さえながら、片手を振った。
「構わん。小春にやる」
「私にですか? 湖畔の彼女は………」
私が言おうとすると、才四郎が顔を上げて、照れたような、期待するような、いや、焦燥感に駆られたような、複雑な面持ちで私を見つめる。
「いいから。黙って貰っておけ」
どうしたというのであろう。ああ。そうか。子細理解する。恐らく、押し花などしたことがないので、私にしておいて欲しいということなのだろう。
「わかりました。では私が押し花にして、後日あなたに渡しましょう」
風呂敷に仕舞おうとして、躊躇う。
「それにしても。美しいですね。もう少しこうして見ていても良いですか?」
ふと才四郎を見上げる。 押し花の件、喜んでいるかと思いきや、まだ二日酔いが辛いのか、頭を抱えて呻いている。
「どうしたのです。具合が悪いのですか?」
尋ねると、「もうどうにでもしてくれ」等と、なぜか自暴自棄になっている様子であったが、見上げている私と目が合うと、花を持ったまま、という私の子供のような姿が可笑しかったのだろう。
「まあいい。少ししたら立つぞ」
と、呆れたように笑った。
「はい」
私はもう一度花を見つめる。きっと朝一番、この花を彼のために取りに山奥へ行ってきてくれたのであろう。心優しい彼女に、素敵な真のお相手が現れる日もそう遠くないように思える。
私はその鮮やかな花をそっと大切に風呂敷につつみ、立ち上がる。そして、朝日が差し込むなか、光る風に、美しく紫紺色の総髪をなびかせる才四郎を見上げた。人の美醜に疎い私でも、彼女が見惚れた気持ちが、今ならなんとなく、わかる気もする。
なるほどと、うなずきながら、私は燕子花の君に声をかけた。
「お待たせしました。では、参りましょうか」
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