第十一章 出立

 あっという間に出立の朝が来た。


 本音を言えば、もう少し寺でゆっくりとしていたかったが、才四郎から石内の忍が動く前に出た方が自分達にも、また匿ったということを知られず叔父のためにも良いと言われて、急ぎ立つことにした。

 ずっと、男物の着物であったけれど、追手が男二人組に目をつけているやもということで、女物の着物を一着いただいた。少し明るい鴬色の着物だ。趣向を代えて笠をかぶり、壺装束のように着付けてみる。ずっと男物の着物で来たけれど、やはり着替えてみると、着なれた女性ものの方が取扱い安い。

 叔父の書状と、取りまとめた最低限の荷物を風呂敷に包んで仕度を終えた。朝、まだ暗いうちに人知れず出立することになる。


 そっと出掛けしな、障子を開けて外を伺う。


 夜明け前の紺色の澄んだ空気は、お城を出たあの朝と変わらない色をしている。けれど突き刺すような寒さは、もう感じられない。あっという間に皐月も半ばなのであるなあと、感慨深く思う。

 兄の部屋を出る。一度障子を締める前に振り返った。兄のいうような幸せな生涯というのは難しいかもしれない。しかし兄、父、母の冥福を祈りながら心安らからにその時を待つ。それが幸せとするならば、今から進もうとしている出家の道は私にとって間違いではないはずだ。そのようなことを胸に思いつつ、着物の上から、懐に忍ばせた兄の文に、右手をそっと置く。一礼して私は静かに障子を締めた。


 私と才四郎、そして叔父は、寺の門の前で別れを告げることになっている。私はそちらの方へと廊下を歩き始めた。土間で草履に履き替え、勝手を出る。すでに門の前に大きな二つの影が見える。叔父上と才四郎であろう。二人を待たせてしまったようだ。私は早足でそちらへと向かった。


 ほどなくして、何か話し込んでいたらしい二人がこちらを振り返った。数日前だ。叔父上と才四郎は、叔父上のはからいで酒を酌み交わしたらしい。酒といえば濁り酒が世間一般であるが、ここは寺。僧坊酒。つまり清酒を振る舞ったようなのだが。それ以来、叔父上と才四郎は気があったようで、よく寺で二人で話しているのを見かけるようになった。どちらかというと上機嫌なのは叔父上の方で、才四郎の方は困ったような、面倒そうな表情をしていることが多かったが、まんざらでもないらしい。男性同士の付き合いであるからして、女の私にはわからないことも多いが、叔父上が気を許しているということは、やはり彼は信頼たるべき人物なのだろう。再度自分にそう言い聞かせつつ、私がそちらへ向かう。今もそのように何かお互い相好を崩し話していようだが私がたどり着くと、才四郎が一つ頷き、手を伸ばし、私の荷物を渡すように促した。それはあまりに申し訳ないと戸惑い叔父上を見ると、何やらしたり顔の叔父上も、彼に渡しなさいとでもいうように、深くうなずくので、私は一礼しながら荷物を彼にお願いすることにした。


「小春。和尚殿にご挨拶を」


 才四郎にそううながされ、私は叔父上と向き合った。

 もう当分。いやもしかすると一生か。会えないかもしれない。そう思うと別れが辛く、私は思わず、昔子供の頃よくやったように、胸に飛び込んでしまった。

叔父も強く抱き止めてくれた。


「くれぐれも気を付けて。着いてから文を書くのだぞ」

「はい」


 叔父から離れると、私はその顔を見上げた。叔父上の顔をしっかりと胸に焼き付けたかったからだ。


「吉乃」


 叔父も私をじっと見つめ。そして重々しく口を開いた。


「これからの道程、また様々なことがあろう。確かに出家するという志は尊く良いものかとも思うが………。もしそれ以外にお前が良しとする道を見つけたなら、そちらを選ぶとういう選択肢があることも、心に置いておきなさい」


 つい昨日紹介状を受け取ったばかりだ。それなのに、別の道とは。全く思いもよらなかった叔父上の発言に、思わず戸惑ってしまう。


「そのような道があるでしょうか」


 聞き返す。叔父が才四郎を見た。そして、なぜかそれを、はぐらかすような表情で続ける。


「あるやもしれん。ないやもしれんし。お前の兄の手紙にもあったであろう。まあ少々お前は、周りがよく見えてないことがある。見聞を広くして、よく世間を見渡してみなさい」


 確かに頭のかたい所があるなどとは言われる。見聞を広くするのは大事なことだ。私は進言を素直に胸に止めることにした。


「はい。わかりました」

「才四郎。これを」 


 今度は叔父上が懐から、文のようなものを出し、彼に渡し何か耳打ちする。不思議そうに見上げる私と目が合うと咳払いし、


「先日の夜、才四郎と少々話してな。この旅が終わる頃に。いや、終わらせるために必要になるものじゃ」


 とだけ言った。この旅の終わり……鎌倉の関所の通行証だろうか。


「あ、ああ。有り難うございます」


 才四郎は、いつもと同じようになんだか面倒臭そうにそれを受けとった。見上げていた私と目が合うと、無言で肩を竦めてそれをしまいこんだ。


「くれぐれも吉乃のことを頼むぞ」


 叔父上の言葉に、才四郎が頷く。


「委細承知しました」


 そして、私を見下ろした。私は才四郎を見上げる。目が合うと、彼は優しい目で小さく私にも頷いく。


「では、参りますか」


 私はこくりと頷いた。


「はい。よろしくお願いします」


 また彼との旅が始まる。今度はどのようなことが、待ち受けているのだろうか。


 もう一度隣を見上げる。


 この旅が終わるときは、今度こそ才四郎ともお別れになる。叔父と違って定住などしないであろう彼とは、真に今生の別れとなる。その時のことを思うとなぜか、ひどく悲しくなる。なぜだろうか。私は彼に亡くなった兄を見ているのだろうか。でもその時は、まだ当分先だ。彼との最後のこの時間を、毎日大切に過ごそう。


 私たち二人は、紫色に染まり始めた、東雲の方向へ向かって、歩き始めた。

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