第十章 形見分け(2)

「吉乃と久方ぶりにゆっくりと話がしたい」


 叔父上のはからいで才四郎が一礼して席を外した。二人きりになると、先程の小僧の次郎がお茶を出してくれる。音を立てて飲み干す叔父上が、なんとなく憎らしく、私は湯飲みに手をつけず口を開いた。


「叔父上、余計なことをしてくれたものです」


 私が言うと、叔父がふとわざとらしく目をそらした。


「なにかしたかの」

「言わなくともおわかりでしょう。才四郎のことです」


 私が語気を荒げると、「ああ」と、今気づいたかのように嘯く。 


「よい男ではいないか。ここに来る前に女かなにかで揉めたか? 美丈夫だからそういうこともあろう」

「違います」


 ぴしゃりと私が言うと、ふざけたように怯えた真似をして顔をしかめる。


「私とあの者は、主と従者以外の関係は一切ありません」 


 私の言葉に、叔父上が茶を喉につまらせむせた。


「彼は優しすぎるのです。私を助けてしまったことに責を感じています。その上抜け忍になって、命を狙われています。私がいたら足手まといとなり、彼に危険が及びます。それなのに恐らく私に同情して」


「そうなのか? 本当なのか、それは」


 ひどくむせながらもやっと真面目に話を聞く気になってくれたようでほっとする。本当のことを言えば、私も彼に護衛を勤めて欲しいに決まっている。いつ死んでもいいとは思いながらも、道行きで無様に殺される姿を想像するのはそら恐ろしい。でも。自分本意な願いや我儘は置いて、彼にはこの先、自由に生きて欲しいと思うているのに。私は続けた。


「ですから。今からでも遅くありません。彼の任を解いてください」


 叔父上が湯飲みを置き、胸を片手で打ちながらやっとの様子で口を開く。


「吉乃、お前。あやつとここまで二人で旅をして。できて……いや。男女の関係になっていないのか。というか、お前あれと旅して奴に対して何も思わんのか? 奴はそういう忍なのだぞ? 亮太郎の奴はそれが狙いで才四郎をお前につけたはずだ。いやそもそも才四郎。あやつ自体一度もおまえに手を出しておらぬのか!?」


「そこですか」


  思ってもみなかった問いかけの数々に私はぐったりと項垂れた。そういう忍とはどういう忍のことなのか? そういった疑問もわくがそれ以前に完全にからかわれていることに苛立ちを覚える。端から見れば面白いのかもしれないが。


「私は、このような容姿です。成人もしておりません。彼のお相手には役不足でございましょう。同室で寝たこともありますが、手を出されませんでした。衆道かと思いきや、遊女と一緒の時もあるようですし。それに」


 彼には別に想い人がいる。そう付け加えようとして、私は口をつぐんだ。そのことについて私があれこれ言うのは筋が違う。私が言葉を飲み込み首を振りながらそっと目を伏せたことに、叔父上は何かを感じたようであったが、何も聞かずその代わり低くうなり口を開いた。


「お前、目と耳が悪くなったわけではなかろうが。奴の容姿を日々見ておらぬわけではあるまい。紫紺色で豊かな総髪、はっきりとした二重に美しい双眸、口元。身の丈もかなり高く、鍛え抜かれ引き締まった四肢に、低く落ち着いた声……そして。ただならぬ関係としか思えぬほどの気遣い。わしは驚いたぞ。法事の間もその後も、奴が行信の部屋の前でお前の見張りを申し出てだな」


 私はじっと目の前の叔父を見つめた。なぜ彼の容姿の話がここで上がってくるのだろうか。その真意がわからない。気づくと自分の眉根が寄っている。


「それは。私が彼に禄を出していなかったからではないでしょうか。私が自害したならば、彼は助け損となってしまいますから」


 叔父上が不意に天井を見上げて、深くため息をついた。


「うーむ。憐れな」「憐れまれても困ります」


 と、大きく頭を振る。


「誰がおまえと言った。才四郎があまりにも不憫だと言うておる」


 毎晩他人の睦言を聞かされていた私は不憫ではないのだろうか。自分でも不満げな表情をしていることを理解しつつ、あえてそのままでいる私を前に、しばらく、いや、まさか、こんな強情っぱりの吉乃に? いやしかし、何かの陰謀? うーむ。いま一度確かめねば……、などと呟いていたがやっとの様子で顔をあげ私を見て口を開いた。


「吉乃。お前は男女の機微について、あまりにも無頓着すぎる。侍女の梅は一体何を教えていたんだ。言われれば奴は独り身であったかよ。うーむ」


「男女の機微、ですか」


 また突然出された思いもよらぬ発言に私は訳もわからず言葉を繰り返す。叔父上は大袈裟に頷く。


「まあいい。吉乃、よく聞きなさい」


 今までの巫山戯た雰囲気とはまったく違った様子で私を見下ろした。思わず私も背筋が伸びる。


「とにかく才四郎はお前に同情などしておらん。そんなこと全く考えていない。ただただお前のことが心配で、大事なのだろう。そのことだけ覚えておきなさい」


 大事で、心配。


「赤の他人の私がですか? なぜでしょう」


 叔父上が何か言おうと口を開き、いやいや、というように首を振る。


「それは一応わしも確認するがの。とにかく彼から直接聞きなさい。わしがここで言うなど無粋も甚だしい」


「このように、人に忌み嫌われるような見た目の私がですか」


わからない。なぜこのような、鬼のように醜い私が大事などと思うのか。全く理解ができない。さらに私は道中度々、彼に我儘な仕打ちをしている。敬遠されこそすれ、大切に思われる謂れがない。


「分かりません。道中物好きな領主に、刀と共に私も売る気である、という方がよっぽど分かります」

「一つ言える事はな。吉乃」


 叔父上が話をまとめるかのように、大きく息を吸った。


「彼を信じてあげなさいという事だ。理由はなんであれ、お前を心配して大事にしてくれるものを、疑うのは良くないとは思わんか。あまりに不憫ではないか。信じて頼りなさい。彼であればきちんと、お前を無事に送り届けてくれるであろう」

 

 私は言葉を失った。思い返えせば、暗殺の件も含めて、彼は今まで何度も――文句は多少言っていたかも知れないが――、私を懸命に助けてくれた。その理由について彼に、直接聞いてみるのもいいのかもしれない。が、何だかそれも気恥ずかしい気がする。でも叔父が言うのであれば、きっと彼は信用するに堪える人なのだろう。なにより私自身それをわかりすぎるほど、分かっている筈ではないか。


「そうですね……。そうでした……。信じるようにします」


  私は頷く。


「そうだ。信じるものは救われる、だ。仏教信仰の基本よ。まあ足下を掬われる場合もあるがな」


  ……私は相談相手を間違えたのかもしれない。



「それより、吉乃。すまないな」


 叔父上が突如、頭を垂れた。私は今までの戯けた調子の全く違う様子に驚いて立ち上がり、叔父上の腕に手を掛ける。


「何を仰いますか。叔父上様」

「行信を助けることが出来なかった。そしてお前をここに置いてやることも出来ん」


  元はと言えば石内の領主様の城を追い出されたのは、私の所業が発端だ。世の常に習わず、流されず、私が我を通したための、自業自得である。寧ろ巻き込まれたのは叔父の方なのだ。


「叔父上には、兄上を看取り、丁寧に弔い頂いた上に、私の行く末まで気にかけて頂き、感謝のしようもありません。寧ろお詫びをしなければならないのは、私の方です。色々ご迷惑、ご心労をお掛けして申し訳ありません」


 思わず、叔父上の腕に取り縋り涙がこぼれてしまう。


「何を言う。可愛い甥と姪のことを大事に思わん叔父などおるか」


 叔父も涙ぐんだ目で私の肩を強く掴んだ。


「吉乃。無事に着くように祈っておる。着いてから、そして尼となった後も、なにかあれば書状を寄越せ。必ずなんとかする」


 ああ。私にもう家族は居ないと思っていたけれど、それは大きな間違いであったことに気付く。私にはまだ叔父上が居てくれる。


「はい。ありがとうございます。叔父上様」


 温かい気持ちが込み上げてくる。私は叔父を見上げて、しっかりと頷いた。



 叔父の部屋を辞して、自室に戻る前に、寄っておく所がある。私は自分の部屋の手前で、歩みを止めた。客間。つまり才四郎の部屋だ。叔父上の部屋を辞する前に、彼に伝言を頼まれたのだ。それと……。彼が付き添ってくれることが決まってみると、朝の言い合いは申し訳なかったと思うこと至極である。私はきちんと謝っておかねばならない。

 実際の所、叔父が言っていた内容は分からない。私はずっと、侍女の梅からも、「そのような姿では決して人によく思われることはない。それを心にいつも止めて、人となるべく関わらず、静かに余生を暮らすように」と言われ続けてきた。だからそういうものだと、ずっと思い続けてきた。けれど叔父の話からすると、才四郎はそう思ってはいないらしい。それどころか私を大事だと思ってくれているなど。叔父上や、侍女であった梅は、私の小さい頃を知っている。だから、昔と変わらず思ってくれていたのはわかる。けれど才四郎は違う。それに。私はあのこどもではないと、彼もわかっているはずなのに。



「才四郎。入ってもよいですか」


 声をかける。程なくして中から返事が聞こえる。


「ああ」


 障子を開ける。私が入ってくることに先に気付いていたように、彼は部屋の真ん中に座っていた。


「少し良いですか?」


 私が言うと、才四郎は上座をさして「どうぞ」と答えてくれる。ふと気づく。いつも宿屋では、上も下も関係なくお互い座っているのに、彼にしては珍しく畏まっている。ああ。と、思い当たる。さっき私が「年下だけど主」と発言したことを根に持っているに違いない。どうすれば、許してくれるのだろう。 思案し困惑しながら、彼の目前に座った。

 これで二度目だ。彼に私が一方的に喧嘩をふっかけた形で、険悪な雰囲気にしてしまったのは。彼を見上げる。才四郎は何も言わず、私を見ている。なんだかとても、気まずくなってしまい、私は一度顔を伏せる。しかし、こうしてばかりもいられない。私は意を決して、顔を上げ、彼を見つめた。


「先程は、失礼な物言いをして、申し訳ありませんでした。あの………護衛の件、本当に良いのでしょうか」

「もう、慣れたから構わん」


 てっきりまた、「利かん坊」等と、嫌味を言われるかと、身構えていたのだけれど。あっさりと返されて少し拍子抜けする。


「護衛の件も、小春の納得の行くようになっただろ。褒美も出せたしな。俺に気兼ねすることなく旅を続けられそうで、なによりだ」


 やはり怒っている。どう謝罪をしようかと、顔を伏せると彼が続ける。


「別に禄など出なくとも、引き受けるつもりだったからな」


 私が驚いて彼を見上げると、少し笑っている。まるで親がしようのないことで困らす子供を見るがごとき表情だ。私は結局また彼の優しさに甘えてしまうことになってしまった。


「正直ほっとしています。才四郎が来てくれて良かった。ありがとうございます」


 思わず手をついてお礼を言うと、才四郎が大袈裟にため息をつくのが聞こえ、そのまま私に乗り出すように、声を上げた。


「そう思ってたのなら、最初から素直に頼めばいいだろに」


 そうなのかもしれない。けれど………。


「私は……五年前のあの方ではないのです」 


 私は再度、彼を見つめそう言った。彼は何も言わない。無表情で、強く口を引き締め、聞いている。


「ですから……私に付き合わせてしまうのは、いけないと思ったのです。私はあなたが羨ましい。自由にどこへでもいけるのですから。五年前のその方を探しに行くこともできるのですよ」


 きっとその女性も彼を待っているに違いない。


「その話はもういい」


 深くため息をつき、彼は面倒くさそうにそういった。


「之定ももらい受けた。褒美は出てる。後……そうだな。鎌倉でついでの用事もある。だから行く。ってことでいいか?」「用事……ですか」


 なるほど。そうであるなら。私はうなずく。しかし。


「なんだか申し訳ないですね。きっとどこかでその方もあなたを待っているはずです。私が寺に着き尼になれたら、二人が一刻も早く再会し、幸せになれるよう祈ります」


 喜んでもらえるかと思いきや、なぜか才四郎は、そっぽを向いて、ぶつくさ独り言を言っている。余計なことを言ってしまったようだ。とにかく。


「また色々と面倒をかけますが。もう暫く、お付き合いをお願いします」


 私は深く頭を下げた。顔を上げると、


「ああ。任せておけ」


 才四郎が力強く請け負ってくれる。ほっと心が安堵で満たされる。このやりとりに、何度これまでも心を救われて来たかわからない。


ーー有り難うございます。才四郎。

 私はもう一度心の中で彼に礼をしつつ、ふと叔父上の伝言を思い起こした。


「それと才四郎。叔父上が。今宵月を眺めながら礼をかねて、男同士で酒でもどうかと申しておりました」


 私の言葉に才四郎は一瞬目を見開いた。そして深くため息をついてうつむく。そしてそのままの体勢で首の後ろを書いている。まるで何か隠し事が露呈した子供のごときその様子に私が首をかしげると、彼はそれに気づきしぶしぶといった様子で姿勢を正した。


「わかった。ありがたく頂戴しますと伝えてくれ」


 あまり有り難いと思っているようには見えないが。深入りするのも良くないと思い立ち、私はそ知らぬふりで小さく頷くと立ち上がる。そのまま部屋を出ようと、障子に手をかけた刹那だった。


「おい。一つだけ言わせてくれ」


 才四郎に呼び止められて振り返る。


「はい」


 才四郎が私を見上げている。珍しく真剣な表情だ。何事だろう。私もつられて彼の目を同じように見つめ返す。


「俺は同情や、禄ほしさで、お前についていく訳ではない。前にお前は俺に言っただろう。俺が大切だと」


「はい」


 確かに言った。あのほこらで。その気持ちは今も変わらない。


「俺もお前が……いまは大切な存在になった。だから行く」


 私は驚いて才四郎を見つめた。さっきの叔父との話を聞いていたかのような発言だ。でもそれなら。私も聞きたい。思わず口を開こうとすると、それを阻止するかのように彼が続ける。


「なぜかと聞くなよ。お前も俺のことがなぜ大切か、詳細に言えと言われても無理だろう。そういうもんだからだ、としか言えん」


 私はふと彼の言葉を反芻した。才四郎はとても大切な人だ。けれど確かになぜと説明しろと言われて言葉にしようとしても、出来ない。優しいから? 我が儘を言っても許してくれるから? 叱ってくれるから? どれも近くて遠いような不思議な感じだ。


「そういうものなのですね」


 私は一頻り思考を巡らして、頷いた。確かに答えがわからない。才四郎がいうのだから、きっとそういうものなのだろう。


「そうだ」


 彼がどこかほっとした様子で頷く。それにしても。私を小さい頃から知る人以外に、そのようなことを言ってくれる人は彼が最初であったことに気づいた。同時に、私が彼に同じ言葉を言ったときの彼の表情を思い出す。ああ。こんなに嬉しいものなのだ。


「そのように言われたのは初めてです。ずっと不吉な存在とばかり言われてきたものですから」


 私が言うと才四郎も優しく微笑む。


「ありがとう、才四郎」


「ああ」


 私はそっと障子を開けて外に出る。ふと思い出す。そうだ。私にはまだ、叔父、そして才四郎が居てくれるのだ。久方ぶりに、嬉しくて、温かい気持ちに満たされる。私はそっと人知れず心の中で、二人に深く深く感謝したのだった。

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