第十章 形見分け(1)

「鎌倉にあるという尼五山の一つ、東慶寺という尼寺にて出家し、残りの生を皆の供養に当てたいと思います」


 私は一晩考えた身の振り先を告げた。兄の言うような幸せを望めぬ私にはこの道しかない。少し広めで、床の間に仏具一式と、小さな仏像がおかれた、静かな叔父上の部屋に、私の声だけが響く。

 朝食の後、叔父の部屋でこの先私の身の振り方について、話し合うことになっていた。久方ぶりに寺のものをお借りして、女物の赤の小袖を着て叔父にお目見えした。父に似て、太い首に大きな頭、はっきりとした顔立ちの叔父上は低く唸ったかと思えば、頭を抱え、しばらくして短くため息をついた。


「まだ成人もしておらぬのに……。しかしここで、お前を匿うのも難しい。僧兵がおらぬ。多勢で攻め入られたらお前の身の安全を保障できぬからなあ。知り合いの武将に匿ってもらうように書状を送ることも出来るが……」


あらかじめ、石内の城であった出来事を話してある。領主様お抱えの忍隊は人数も多い。有事の際、叔父上に迷惑をかけることになる。それは避けたかった。それに。それにもう戦はたくさんだ。武将の所などに行こうものなら、また、同じような目にあうとも限らない。


「いえ。ただただ、心静かに慎ましく余生を送りたいのです」


私の言葉に叔父がまた唸る。


「確かにあの尼寺は訳ありの女人を多く受け入れている。下手すると男より格段に強い、尼兵の配備もかなりされておると聞くが……」


私は十五で成人するように両親から遺言で言われている。神無月まであと半年といったところだ。寺につく頃には、相成っているであろう。だがこの年で世を捨てるという行為が、叔父からしてみれば口惜しいように思うのやもしれない。……それもこれも、寺に着けていれば、の話だが。


「私の容姿では、この先出家以外まともな生を歩めるように思えません。どうぞ紹介状の件、計らいのほど」


私は畳に額を付いた。しばらくして、深く息を吐いた叔父が、観念したかのように頷く。


「お主がそこまでいうのなら構わぬ。書状は何枚でも書く。しかし問題がある」


私はほっと安堵すると同時に訝しげに面を上げた。


「その寺の場所だ。女身一つで、坂東、鎌倉にたどり着くなど、無理に等しい。無茶にほどがある。京の五山では、いかんのか」


 確かに遠い。だが京では応仁の時、大きな戦があって以来なかなかに物騒だ。寺の焼き討ちも行われているとの噂もある。このような世であるから、戦はどこにでも付きまとうのは分かる。鎌倉とて安全ではないことも理解できる。でも私はとにかく遠くへ。この悲しい思い出しかない場所を離れて、遠くへ行きたいと思った。祈りにも近い思いだ。


「それにつきましては、案内の者の手配をお願いできますでしょうか」


 叔父上の言葉をいなすように、私は続けた。


「ある程度路銀の持ち合わせはごさいます。性別年齢は問いません。旅なれたものをお付けください」


「吉乃姫様。無礼を承知で申し上げます」


突然あらぬ方から声がして、私は驚いて振り返った。


才四郎だ。


彼も私をここまで送り届けたという労をねぎらいたいと、叔父に呼ばれていたのだ。私の左後の下座に控え、誰の許可もなく続ける。


「姫も重々承知かと存じますが、昨今の大名同士の戦は日常茶飯事。領地は乱れ、秩序の崩壊は甚だしい状況でございます。特に坂東は長くに主が定まらず、武士崩れの浪党による、盗み、奪略目に余るものと、聞き及んでおります」


 そんなことは、言われなくともわかっている。


「そのような場所を、女人と金に目が眩んだ素人案内人で行くとは、命を無駄にするかごときかと」


彼の言葉に、叔父上はなぜか上機嫌となり手を打った。


「まさにその通りだ。よくいうてくれた。そこまでいうなら才四郎。お主、褒美ははずむから吉乃を寺まで」


「なりません」


 私の低い声に、叔父がそのままの姿勢で固まる。恐ろしいものをみるかのように、私を見つめる。これも昨日一晩考えて決めたことだ。彼は女人好きとはいえ、優しい人だ。忍とは思えない程だ。ここまでの道程で、私が彼に甘え、情けない姿ばかりを見せてきてしまった。さらに別人であるのに、私は彼の想い人にどことなく似ているらしい。故に、同情禁じ得ず、今もこのように言わせてしまっているのであろう。今彼は自由の身となったのだ。幾らでも進む道はある。私のように出家という一つの道しか選べない者とは違う。よい主君につくもよいし、数年前の想い人を探すもよいだろう。これ以上情けを買うような姿を見せるわけにはいかない。


「なりません。というより、できません。彼は、上忍。忍術の腕も確かで、知恵者でもあります。私の手持ちとあわせても、おそらく続けて彼を雇うことは叶いません」


私は才四郎を振り返った。才四郎は私を睨むように見つめている。私は彼に頭を下げた。思っても見なかった行為に彼が驚いているのがわかる。


「才四郎。いままで私を救い、助けてくださったこと、言葉に出来ぬほど感謝をしております。有難うございます」

 

 私は顔をあげ彼を見つめた。


「ですが、これ以上私に付き合うことはないと思いませんか。あなたの腕ならどこへなりとも行き、よい主君に仕え、好きなように生きることができるでしょう。追手もまけるはずです。あなたは自由です。明日朝がきたら、褒美を手にどこへなりとも行きなさい」


 しかし、彼は食い下がる。


「重ね重ね、無礼を承知で率直に申し上げますが、私はあなたを無駄死にさせるために、助けたのではありません」


「無駄死にではありません。尼寺へ行くともうしています」


「そのような者は、道すがらあなたを売ったり、有事の際はあなたを囮とし、置き去りにするでしょう。聡明な姫様であれば言わなくとも、お気づきかと」


「それは可能性の話です。皆がそうであるわけではありません。紹介いただく叔父上に失礼です」


なぜなのだろう。私は混乱しながらも、とにかく彼が引き下がってくれるのを強く願い、つき離す。本当であれば私だって、そうしたい。いや。何を言うのだ。昨日決めたではないか。叔父にも、彼にも迷惑をかけまいと。


「それに、そうなったときは、そうなったとき。それが私に定められた最期なのでしょう。人は誰しも、一人で生まれ、一人で逝くのです。あなたが気に病む必要は、全くありません」


 間が空く。やっと分かってくれたか。と、気を抜いたその時だった。



「この強情っぱりが」




 才四郎が、小さく舌打ちしながら、つぶやくのが聞こえた。私は思っても見なかった彼の反撃に、心底驚いて彼を睨みつけた。私の気も知らないくせに。


「強情っぱりとはなんです。年下とはいえ、仮しも主の身分の私に対して失礼千万。控えなさい。褒美はとらせますから、それを持って夕刻までに、ここから出ていきなさい」


その瞬間だった。


 それまで、空気のようになっていた叔父が、大きな笑い声を立てたものだから、私と才四郎は顔を見合せ、思わず振り返る。ひとしきり笑った叔父は、息をするも辛そうに、私たちを交互に見た。


「もうよい、痴話喧嘩はよさんか、犬も食わん」


 痴話喧嘩。そんな風に聞こえていたなんて、私は顔に血が上るのを感じた。きっと包帯をしていなかったら、真っ赤になっていたことだろう。


「とにかく、才四郎の言う通りだ、吉乃。お前に犬死にさせたとあらば兄上、義姉殿、行信。皆に、俺はどれほどまで恨まれるか。化けて出るぞ。僧のわしでも恐ろしい。誰もお前の不幸など望んでおらんのだ、そこはきちんと理解せよ」


叔父の言葉に私は反論もできず下を向いた。ではどうすればよいというのだろう。 


「まあ才四郎の褒美の件は、吉乃のいうのも一理ある。おい次郎、これを」


 叔父の隣で、小さく控えていた小僧さんが、始めて顔をあげ、叔父の脇に置いてあった刀を取り上げると、私の横を通り才四郎に渡した。見覚えのある、真っ黒な漆塗りの鞘。その脇差しに思わず息を飲んだ。あれがまだ残っていたとは。


「それは吉乃の父、兄の形見となるものだ。脇差より少々長いが、忍であれば、それくらいの長さのものが扱いやすいと思うてな。忍刀として使えばよい」


「しかし、これは」


才四郎の動揺した声が聞こえる。それもそのはずだ。あれは父上が大事にしていた、名高い刀匠兼定のものだからだ。勿論の之定二文字も入っている。小さな領地の主であった父だが、仁徳が高かった。どこからともなく、恐ろしく高価なもの、身に余る施しを受けることも多かった。それが終に嫉妬を呼び寄せてしまったのだけれど。あの刀もその一つと聞いている。


「お主ならわかると思うが本物だぞ。金にすれば、一生は無理かもしれんが、半生は遊んで暮らせるな。どっかの刀剣好きの大名に差し出せば。褒美に領地がもらえるかもしれん。統治なんかわしは面倒で、する気がおきんが」


叔父が続ける。


「戦の世が終わったら金にして、吉乃と暮らそうと行信が今際迄持っていたものだ。とりあえず吉乃を寺に護送してからであれば、くれてやったものだ、どうしようと構わん。吉乃のこと、頼めるか」


 才四郎が、居を正してかしこまる、


「身にあまる光栄、ありがたき幸せに存じます。護送の件、確かに承りさせていただきます」


と、答える。何も反論できない私を、叔父上が悪戯が成功したような子供のように見おろした。 


「これなら、金の件も問題なかろう。吉乃お前も無事が確保され、才四郎も十分な報酬を手にいれ、わしも安心。皆幸せだ。わしも枕を高くして寝れるというわけだ」


 私は叔父上を上目遣いで見上げる。当て付けて、大きなため息をつくしかない。

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