第六章 淡月

 宿屋の主人からお酒をいただいた。冷酒、銚子に並々と。

 

 まだまだ寒暖激しい卯月の昼夜。朝夕の食事の支度をする者が体を壊したらしい。厠にいくときにその話をたまたま立ち聞きし、たまたま泊まっているのが、私たちを含くめ三組と少ない上、宿代を配慮してくれるとのことで、夕飯作りを手伝ったのだ。


 私が普通な姿でなく、さらに男装していたためできっこないし、見た目が縁起悪いからと、真面目に取り合ってくれなかったが、時が迫ってきてどうにもならなくなったらしい。私が女であることを話すと、台所で見張らせてもらうのを条件にお願いしたいと頼まれた。


 才四郎には、そんな不遜なやつ放っておけと言われたが、彼自身体を動かす仕事をしているからだろう。食がよく、自分たちに直接降りかかる問題でもある。放っておけずに引き受けた。その料理が思ったより口に合ったようで、謝罪と礼として頂いたのだ。


 そう、才四郎といえば。近頃様子のおかしい時がある。


 主に夕刻。ちょうど夕食前の黄昏時の刻だ。ふらりと、少しの間いなくなり、帰ってくると彼に珍しく険しい表情を浮かべているときがある。

 通常、要人の暗殺等の任務となれば、執行役と検分役の二役が必要となる。私を始末するこの命にも、少なくとも才四郎の他にもう一人任に付いているはずだ。その目附に、私の始末を急かせれているのだろう。


 それ以外にも、気になることがあった。


 昨日未明、たまたま目が覚め手洗いに立ち、部屋に戻ったのだが、隣室。才四郎の部屋から女性が泣きながら飛び出して来たのだ。その様子が尋常でなく、気にかかり翌朝何気無しに、彼に尋ねたところ、


「おまえのような子供が気にすることではない。余計なことに気を回すな!」


 と、今まで聞いたことのない剣幕で怒鳴りつけられた。話しやすい彼の人なりに気が緩み、私事に踏み込み過ぎたと反省し、私はすぐに頭を下げた。彼も自分の行ないに自分で驚いたようで、すぐに丁重に謝られたが……。


 思い返せば、旅が始まったあの日の夜から、彼はいつも女性と床についている。日中の堅苦しい旅の憂さ晴らしのようなものだろうが……。

 私のような面妖な容姿のものにそのようなの気が起きないであろうことはよくよく理解できるし、それを責めるつもりなど毛頭ない。

 ただ疑問に思うのは……。彼はなぜそうまでして、私との旅を続けようとするのだろうか。この一点だけである。目付けに急かされ、旅が面倒であるのなら私を斬り捨てれば済む話だ。二人きりで人通りのない道をゆくことは、いままでに何度もあった。それなのに才四郎は私に手を差し伸べることはあれど、刃を向けることはない。


 そういえば彼は何度か私に過去に出来事を真剣に思い出すよう促してきた。そこになにか理由があるのだろうか……。


 物思いにふけ、気づくと部屋の前に立っていた。とにかく今夜は、最後になるかもしれない酒の味を楽しもう。そう心に決め、襖を開ける。


「料理、うまかったぞ。そこまで腕があるとは思わなかった」


 銚子と御猪口をならべて、肴に味噌と残り野菜の浅漬けを切って並べたものを出すと、才四郎が久しぶりに明るい面持ちでそう言った。


「石内の領主様のように城持ちでしたら、料理などなさらないと思いますが。私の生家のような下級の武家となるとそうはいきません。母上も女中のみなと朝晩の支度に毎日忙しそうでした。私も厳しくしつけられました」


 私は銚子の取っ手に手をかけ、才四郎に盃をとるように、促した。


「私のようなものの、酌で申し訳ないですが」


 私が言うと才四郎は慌てたように盃を手にする。注ぐと注ぎ口から、濁り酒特有の甘酸っぱい果実を思わせる芳醇な香りが漂う。そのまま自分の盃につぐと、才四郎が慌てて声をかけてきた。


「おまえも、飲むのか?」


 銚子を置きながら、私は頷く。


「はい。酒に関してだけは、父に似たようなのです。ある程度であれば、お付き合いできると思います」


 まさか、底なしのざると、てんで弱い兄にからかわるていたなど恥ずかしくて言えない。何杯か酌み交わした所でそっと障子を開けると、春の香りを含んでいるものの、まだ肌寒い山風が吹き込んできた。空には春特有の、白く霞がかった淡い十日夜の月が出ている。


 突如、先程の疑問が胸中に上ってくる。


 酒が入ったからだろうか。その疑問が、無視できぬほど私の心を突き動かす。……今ならお互い酒が入っている。こういう機会ももうないやもしれない。聞いてみてもよいだろうと私は盃を置いた。


「本当に強いんだな。かなり強い酒だろう。小春は顔色一つかわらないものな。俺は、実はあまり強くない。この先何杯いけるだろうか」


 そういう才四郎も顔色一つ変わっていないように見える。いや日焼けした肌のせいでわからないだけなのかもしれない。彼も酔っているなら、さらに聞きやすい。


「才四郎、聞きたいことがあるのですが」


 すでに、姿勢を崩し始めていた才四郎は浅漬けに手を伸ばしながら、「なんだ?」と返してきた。


「会ったときから、何度かたずねられたように思うのですが。私は以前にあなたに出会ったことがあるのでしょうか」


 ぴたりと、彼の動きが止まった。そのまま私をまっすぐ見上げる。


「お前はどうなんだ? 会ったことあると思うか」


 突然の返しに私は戸惑い言葉を失った。思った以上に酔っているのだろう。まさか質問で返されると思わなかった。


「わからないのです」


 私は仕方なく素直に思っていることを口にした。


「私は五年前、九つの時に石内の領主様のお城へと参りました。それから年に盆など、数回の決まった日にち、時間帯にのみの外出しか、許されておりませんでした。その時々のことを事細かに思い出しているのですが」 


 思い出せない、と、いうのが憚れて私は口ごもった。才四郎は黙ってぐいと盃を開ける。


「もしよければ、いつ、どのくらいの刻のことであったか教えてもらえれば」


 私が銚子に手をかけると、徐に才四郎が口を開いた。


「俺が十七の時だ。いまから丁度五年前だな」


 月を見ながら続ける。


「城勤めを初めて半年経った頃。神無月に入る少し前だった。北の隣国が同盟を反古にして奇襲をかける、との密書をたまたまうちの忍隊が手にいれた。標的とされた村の民を城下へ護送後、進軍を阻止するべく、北の境の山での、野戦の任務が下された。夜に奇襲をかけたからな、何も見えん。とにかく味方以外の動くものすべて切り捨てた」


「日が上って、勝ち戦と伝令が来て検分をしてはじめて、自分が斬っていたのが実家のある村の仲間たち。幼馴染みを含んだ足軽隊だったと気づいた」


 彼は淡々と話しているが、なんと凄惨な話なのだろう。何も言葉が出なくて、ただ呆然と白い月影に照らせれた才四郎の顔を見つめた。


「野戦の前日、北の国は当初予定していた村に人がいないことに気づき、大回りして俺の村を奇襲した。村は兵糧集めのために、焼かれ、男は徴収され露払いの部隊として、使い捨てられたようだった。勿論実家も焼けた。両親も兄弟も死んだ。なにより俺の親がわりで、俺のことを一番案じていてくれた姉が死んだことが辛かった」


「姉は争いが嫌いで、戦の世が早く終わるように願っていた。だから俺は忍になった。忍になって、戦に関わって、こんな世の中早く終わらせてやろうと思った。俺のような身分じゃ侍にはなれん。かといって足軽のような捨て駒は、いくら命があっても足りない。金で忍術を手解きしてくれる師がいてな。親が手切れ金とばかりに払ってくれた金を払って、そこで修行を積んだ」


 才四郎が盃に口をつける。


「でも姉が死んで、戦う意味がなくなっちまってな。自暴自棄になった時に、会った人がいる」


 そこから始まる才四郎の話は、不思議なおとぎばなしのようだった。もちろん私は全く身に覚えがない。確かに瞳の色はそのこどもと同じであり、当時の私の年頃を考えると、同い年ぐらいであろうかとも思う。


「確かに不思議な話です。でも」


 私は目を閉じて、続ける。


「本当に覚えがありません。それに私は」


 それに私は火傷のあとがある。


 これは城に着く前のものだ。そのこどものように、陶器のような白い肌であるはずがない。才四郎も何も言わないけれどわかっているのだろう。ただ辛そうに盃を傾けた。


「あの笛を吹いてくれないか」


 彼に言われて私は顔をあげた。


 懐からあの時の龍笛を出す。彼の慰めになるのなら。私は笛に唇をあてる。あれから何度か所望された、いつかの民家で吹いた歌を二回りほど繰り返し演奏し、そっと唇から笛を離した。


 月の光は窓から静かに部屋に満ち、隣接した池から水鳥の鳴き声がする。宿の外に植えられた、竹の葉の風に吹かれ、さらさらと葉擦れする音が聞こえる。



竹涼は臥内を侵し

野月は庭隅に満つ

重露涓滴を成し

稀星たちまちに有無

暗きに飛ぶ蛍は自ら照らし

水に宿る鳥は相呼ぶ

萬事は干戈のうち

空しく悲しむ清夜の徂くを


 父は漢文が好きだった。そして、戦や争いが嫌いな人だった。ふと、父が好きだった杜甫のこの詩を思い出し、私は口を開いた。



「こんなに静かな夜だと、戦の世であることも忘れてしまいそうですね」




 その瞬間だった。



 突如強い力で肩つかまれ、私は驚いて身を固くした。


 いつのまにか目前に才四郎がいた。城を立ったあの日から今の今まで、彼にこのような真似をされたことなど一度もない。驚き以上にただただ恐ろしく声も出すこともできない。武術に疎い、領主殿や、山賊もどきであれば、軽くいなすこともできた。けれど、今、私の体を力に任せ、思いきり掴んでいるのは、その道の玄人だ。私のにわか護身術でなんとかできるはずもない。


「ど、どうしたいうのです」


 なんとか彼を見上げて、私を声を発した。自分の声が震えている。兎に角、彼を静めなければ。


「今のおまえの言葉。杜甫の詩を言ってるのだろう。それにその曲」


 今にも襲いかかられそうな状況で、なんとか頭を回す。彼は話の中で、そのこどもが、有名な漢詩を思わせる発言をし、笛を吹いたとだけ言っていた。その詩がまさか、杜甫の倦夜だというのだろうか。そして曲は、兄から教えてもらったこの小歌。そうだとするなら……私は偶然とはいえ、彼になんと酷い仕打ちを……。


「お前は本当は覚えているんだろう?! 俺をからかって楽しいか?! 俺は、俺はずっとあの時の答えを」


 このままでは、組み伏される。今まで何度か覚悟したことではあったが、いままさにその状況にあって、私は恐怖にただ震えるしかなかった。ふと嘘でも知っていると告げて、切り抜けようかという考えが過る。でも嘘は所詮嘘。いずれぼろが出て彼をもっと傷つける。そして彼は怒りにまかせて、きっと私を即座に斬るだろう


 どうせは死ぬ運命なのだ。それが今日だとして、何か問題が在るのだろうか。


 しかし、ここで死ぬにしても、後日であろうとも。忍とは思えぬほど心根の優しい才四郎のことだ。彼はきっと真実を知らぬままとなり、後悔するに違いない。私を斬った後、心残りのなきようきちんと話をしておくことが親切に振る舞ってくれている彼へのせめてもの恩義であると私は結論を出した。


 意を決して、才四郎をまっすぐと見上げる。


「才四郎。わからないのです。いまの歌と詩も、本当に偶然なのです。あなたを傷つけたことは謝ります。しかし私はこの通り、髪も黒色ですし、それに。それに、顔中醜いやけどをおっています」


 私は、顔を伏せた。声に出すことが、未だに憚られる現実。


「当時私は、母の自害と父の斬首を目にして、体と心を病み床に伏したままだったと聞いています。だからあなたに会うことは難しかったと思うのです」


 私は動ける範囲で手をついて、頭を垂れる。


「お許しください」


 心中葛藤で渦巻いているような彼も、辛そうに俯く。私の目の前で俯く才四郎の表情はわからない。


「お許しください」 


 やっとわかった。彼が私を斬らぬ理由が。

 

 きっと彼は、今もずっとそのこどものことを想い続けているのだろう。それ故、歳格好。特に目が似ている私を斬りかねているのだ。

 もちろん私には彼の言うような記憶もない。そもそもこの忌まわしい火傷が顔中を覆いつくしている。そのこどもでありえるはずなどないのだ。


 ……でもしかし。もし私がそのこどもだったとしたら。私は彼の愛を一身に受け、幸福なのだろうか。


 なぜなのだろう。そんなことを突如思い浮かべる自分自身に私は愕然とする。人ならざる鬼の子、と言われる私には、一生許されない女子の幸せ。なのに、こんなことを想うなど、私はどうしてしまったのだろう。


 ふと、目に涙があふれているのに気づく。才四郎が顔をあげた。彼も泣いている?


 刹那、体がふっと自由になる。才四郎は私を離すと、私の顔を見ずに立ち上がった。


「手荒なことをして、こちらこそ済まなかった。柄にもなく酔ったようだ」


 私に背を向けたまま、廊下に続く襖に手を掛けた。


「一刻程、夜風に当たってくる。先に寝ていてくれ」


 襖のしまる音とともに、私は全身の力が一気に抜けて、倒れそうになるのをなんとか腕をつき支えた。こぼれ落ちた涙が、ぽつぽつと音をたて畳みに落ち、吸い込まれていく。私は震えが止まるまで、それをしばらく、ただただ見つめているしかなかった。

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