第五章 神輿草
才四郎が体調を崩した。と言っても、悪い風邪などではない。食当たりである。
まだ山の木々に緑は戻ってこないが卯月に入り、足元の山野草が様々色の花を咲かせ始めた。それ故旅を行くのも楽しくなってきた昨今。山中に猟師が猟の傍ら開いている茶屋があった。一昨日鹿を捕らえたとかで、鹿肉を味噌焼きにして茶漬けにつけてくれたのだ。味噌が焼ける良い香りがしていたが、それに混ざって少し気になる臭気があり私は辞退したのだが、才四郎は好物であったらしい。私の分も平らげてしまった。
その日の夜から宿で急に腹痛がすると寝込み、朝襖の外から声をかけると、どうにも調子が悪いという。野蛮な体だから一日寝ていれば治る。休ませて欲しいと言うことで同じ宿に二泊することになった。
何気なしに、宿屋の世話好きの女将さんとその話になる。するとこの宿にはなぜか腹痛で寝込む人が多いようで、――なんとなくその客はみな、あの茶屋で余った古い肉を食わされているような気がする――、宿の裏にある井戸に続く勝手口の隣に囲いを作り、神輿草を植えていると聞く。
この草は庶民の間で「現の証拠」とも言われており、胃腸に実際によく薬、を略した名前を冠しているそうだ。秋に収穫して干して煎じ、それを煮詰めると恐ろしく苦いが良い薬になるらしい。たくさんあるとのことで分けてもらうことにした。
囲いの中を覗いてみると、槍のような形の三又に分かれた緑の小さい葉が、一尺ぐらいの茎に芽吹いている。夏ごろになると白い小さい綺麗な花を咲かせ、果実がはじけると御輿の屋根についているような飾りのかたちとなるので、この名前がつけられたとのことだった。
台所の端をお借りしてそれを煮詰めていると、いつの間にか勝手口に齢十位のずいぶん汚れた男のこどもが立っているのに気づいた。長い間風呂に入れてもらっていないのか、特有の皮脂の濃い匂いがする。着ているものもかなり汚れており丈もあっておらず、春とはいえ夜はとても寒そうだ。親はどこにいるのだろうと辺りを見回してみるも、見当たらない。ずっと睨むように空を見上げている。その瞳は薄暗く荒んでいるように見える。
正午になり、薬を濾して湯飲みに入れ、これまたおかみさんのご好意で作っていただいたおじやと、握り飯を持って才四郎の部屋へ戻ろうとした時だった。盆にそれらを乗せていたのだが、突然勝手口から現れた例の子供に、二つあるうちの一つの握り飯を掠め取られた。
「あ」
突然のことに、ただ呆然とその様子を傍観したまま何もできなかった。こどもは身を翻して勝手口に向かい、振り向きざま。
「化け物!」
と一声叫んで出て行った。まるで「化け物だから、盗んでいいだろう」と言わんばかりである。
容姿のことに関してはその通りであるので、どうということもないが、食事を掠め取られたのは困る。しかしあの調子では朝も食べているとも思えず、腹が空いていたのやも知れない。気の毒に思い忘れることにした。
「小春、そんな小食で足りるのか?」
才四郎の部屋に行き、布団から起き上がった彼の横で、おじやを渡していたら逆に気遣われてしまった。話そうかどうか迷ったが、おかしな心配をかけそうでさっきあったことを話す。
「……と、いうことがあったのです」
「そうか。それはおそらく乱取りされたこどもかもな」
初めて聞く言葉だ。反応に困り才四郎を見やると、「ああ知らないか」とつぶやいて、
「戦で負けた村から、こどもや女を奴隷とするため連れて帰ることだ」
そう言い放った。あまりのことに、言葉も出ずに私は俯いてしまう。
「そ、そんなことが」
「もしくは、食扶持減らしに売られたか。だな」
「食扶持減らし……」
「農家などで、望まれていない子供が産まれてしまうと、人身売買を生業としている者に売ったりするんだ。無駄に食扶持が増えると、一家の存続に関わるからな」
今まで聞いたこともなかった壮絶な現実に頭を打たれたような気がして私は言葉を失くした。自分も家族を亡くし、辛い、悲しいと言う思いはあったが、身の上のことについては、城を追われるまで気に留めたことがなかった。朝起きれば、飯が出てきて、寝る前も同じである。時が来れば風呂が用意され、寝る。この暮らしがどれだけ恵まれたものであったのか……。
そして今、自分が置かれた現状を思う。私もふと何かの切っ掛けで、全く同じような状況になるであろうと。
「俺も売られかけたことがある」
才四郎の思ってもみなかった言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「俺の名前からしてわかると思うが。俺は農家の六番目の子供でな。上に兄貴が三人、姉が二人いた。男手は十分で、家もそれ以上男を増やすことは難しかったんだろう。姉は一人は嫁いで家にいなかったが、もう一人は病弱で家にいたしな」
「そ、そうなのですか」
それだけなんとか精一杯答えると、才四郎は開け放した障子から、まだ田植えが終わっていない田を見やりながら続けた。
「名前もただ四郎だったはずなんだが、姉が憐れんでくれてな。才の一文字をつけ、せめて十過ぎるまでは置いてやってくれと頼んでくれたそうだ。両親から愛情を受けた覚えはないが、姉はよく面倒を見てくれた。十過ぎたら家を出て行けと言われて、手に職をつけることを考えていた。それで忍になった」
「よくあることだ」
まるで自分に言い聞かすかのように、静かな声で続ける。言い終えると、私を射るように見下ろした。
「と言う訳だから、下手に情けをかけるな。かけたところで共に連れて行くことはできん。それに人の飯を掠めていい訳でもない。下手な同情は彼をより傷つけるしな。後で女将さんと相談して、握り飯を一つ作ってもらえ」
戦で犠牲になるのは、戦場に出る男だけではない。村で待つ、弱い女、子供も、生きたまま辛い思いをし続けることになる。このように身近な才四郎までそのような過酷な現実に晒されていたとは。いつもあっけらかんと、明るい彼にそのような過去があったなどと、私は全く思いもよらなかった。
「はい」
私は頷いた。世間知らずである自分が恥ずかしくなる。私は顔を伏せた。そんな私のことなど気にも留めないように、彼はおじやをすすると、まだ何も言っていなかった湯飲みに手を伸ばした。
「あ、それは」
言うまでもなく、才四郎が咽せる。
「なんだこれは。苦くてたまらん」
「宿屋の女将さんから教えていただいた、薬草を煮詰めたお薬です。食当たりによく効くそうですよ」
「こんなものは飲めん」
こちらへ突っ返そうとする彼を私は見上げる。
「良薬口に苦しと言います。煎じるのにだいぶ時間をかけました。きちんと飲んで下さい」
今度は私がまっすぐと才四郎の目を見、少し声を低くして、険しい表情で射抜くように見つめ返す。才四郎は一瞬叱られたバツの悪い子供のような顔をしたが、観念したのか、一気に飲み干した。
「朝晩二回だそうです。また夕食の時にも持ってきます」
「それまでに寝て治す」
才四郎はこちらに背をむけると、さっさと眠ってしまった。
この薬が効いたのか、夕食前にはだいぶ体調も回復したと彼から聞いた。明日の朝には出立できると言うことだった。しかし勿論、夕食時も無理矢理に近かったが薬を飲んでもらったけれど。
さらに女将さんが、たくさんあるのだから、道中も持っていくといいということで、明日の分を煮出したものを竹筒にいれ持っていくことにする。才四郎に文句を言われそうだが、健康が一番であるからしようがない。これからは臭気のある肉は控えるように強く言わなければならないと肝に命じる。
日が暮れてからまた、台所の端で薬を煮詰めていると、また勝手口にあのこどもが立っていた。何か空を見上げて、手を伸ばしたり、縮めたりしている。見つめているとそれは、空にある星を掴んで口に入れているような素振りをしているのだと気付いた。そのような一見無駄である行為を繰返してしまうほど、腹が減っているのだろう。一瞬余った米で握り飯を作ろうかとも思ったが、才四郎の言葉を思い出し、手を止める。
かといって放っても置けない。
……星を食べる……。
私はふと、自分が城から出るときに持ち出してきた荷物のことを思い出し、一度部屋に戻ることにした。
「一緒に星を食べませんか」
程なくして戻り、小皿の上に持ち出してきた菓子を載せる。ちりちりり、と高い鈴の鳴るような音を立てて、皿の上の白く丸い菓子が跳ねた。
数年前、南蛮より、「金平糖」となる砂糖菓子が始めて日本に持ち込まれた。砂糖だけで作る丸いお菓子なのだが、周りに凹凸が付いていて、見た目が星のように見える。程なくしてこの国の菓子職人たちが、自国でも作ろうと、あちこちで制作が試みられているが、とても難しいらしい。石内氏の城下町の和菓子屋でも制作が試みられており、試作品が時々城に献上される。形はだいぶいびつだが、南蛮からの輸入品は本当に望月のように丸いそうだ。それでも作るごとに段々丸に近づいている。
私はこれが大好物で、甘いからか腹持ちもいいしと、懇意にしていた台所の侍女に買い出しをお願いして旅に持参していた。 それをかのこどもと、食べようと声をかけた。まさか私が見ていると、気づきもしなかったらしい。恥ずかしさも相まってか、大声でまくし立てられる。
「ば、化け物! そんなことできるか! 嘘つき!」
「ええ。私は物の怪です。だから普通でないことができるのです」
私はそう言って、彼へと近づいた。そっと目の前に小皿を差し出す。
「おひとついかがですか」
彼が私の様子を伺いつつ、金平糖に手を伸ばす。私も同じように一つ指でつまんで、口に入れた。とろけるような甘さかが、口いっぱいに広がる。気持ちがほっと溶けていくような気がして私は一つため息をついた。
「甘いですね」
「……」
こどもも口に入れたようだ。けれど何も言わない。ただ何も言わないでもう一つ手を伸ばす。 才四郎のいう通り。下手な同情や、励ましは人を傷つける。それは数年前、家族を亡くし、このような身の上になった自分が身にしみてわかっている。しかし……。
「星を食べるなど叶わぬ事です。けど叶わぬと思うことも、叶うことがあります。ですから」
「……悪事に手を出さず、自暴自棄にならずに、自分を大切にしてくださいね」
気づくと私はそう言葉を発していた。少年がはじかれたようにこちらを見上げる。私は少年の瞳をまっすぐと見つめ小さく頷いた。
不意に出た言葉であるが。私はこの言葉を誰に向けて言っているのだろうと、ふと思い返す。気付いている。そう、自分自身に言っているのだ、と。
暗殺者であるはずの才四郎が、なぜか与えてくれているこの温かい旅の時間が、私の感覚を麻痺させている。けれど、私も自らの死が迫っている。このような旅が続くこと、兄が死なずにいてくれること、これらはどう考えても叶うことなどないのは明白だ。たとえそれらが叶わなくとも、私も最期を迎えるその時までそれを信じてみよう。そうすれば、こんな化け物のような私でも、最期の時をきっと心穏やかに人として受け入れ、終わることができる筈だから。
全部食べ終わったこどもが面を上げて、一瞬私をまっすぐと見つめた。自己満足なのかもしれないが、その目には先ほどの荒んだのとは違う、しっかりとした何かの意志が見て取れた。まるで星が輝いているような。
星……。
ーーその刹那。突如私の胸の中に、どこか懐かしく物悲しい心持ち。同時に相反する胸騒ぎ……なにやら言葉にできぬ不可思議な感情が去来し、混乱した私は思わず目を閉じる。これは一体なんなのだろう。
しかしそれも一瞬のことで……。
平心を取り戻し、目を開いとすでに目の前にこどもの姿はなかった。あわてて周囲を見やると、彼方に何も言わず走り去る彼の後ろ姿がちらりと見える。腹が少しはくちただろうか。それ以上私もすることはなく、薬を竹筒に詰め、その後は部屋に戻り寝た。
朝、神輿草のおかげか、すっかり体調を戻した才四郎と朝宿を立つこととなった。こどものことは気になるが、才四郎のいう通り、連れて行くことは叶わない。もどかしく思いながらも土間で出立の準備をしていたところ、お世話になった女将さんが私に握り飯を渡してくれた。私は驚いて、才四郎を見上げた。彼も頼んでないという。
「頼んだ覚えがありませんが」
私が言うと、女将さんが笑った。
「朝、あなたたちより早くに出た男の子がね。あなたに謝罪したいから作ってくれないかって。金がないっていうから、朝ごはん作るの手伝ってもらったのさ。渡しておくって約束したからね」
「そうですか」
そういうことならと、遠慮せずに受け取ることにした。
「伝わったようで良かったな」
才四郎が言う。私は驚いて彼を見上げた。一瞬気まずそうに私と視線を合わせて、そっぽを向く。気になっていたのか、昨晩のやりとりをどこかで見ていたらしい。
「立ち聞いていたのですね」
全く隙がない人だ。
受け取った竹の皮にくるまれた握り飯はまだ温かい。あのこどもの心そのもののように思う。どうか心根の優しい彼の道行にご加護がありますように。私は握り飯を胸にだいたまま、軒先から暁天の星を仰ぎそっと手を合わせた。
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