第9話 かつて無かった世界の欠片
こうして、西の国ソランへの出発は、あっというまに決定され、出発の日もすぐにやって来た。
ロードたちは今、その旅の途上にあった。
船は白い波を蹴立てて爽快に進んでいる。
乗っているのは民間の定期船ではなく、アステリア海軍に所属する軍船だ。まさか軍船に乗せられるとは思ってもみなかったロードは、最初から面食らっていた。
「…こんな船、乗ったことない」
水夫から船員に至るまで軍人で占められ、甲板の目立たないところには大砲まである。それに、貨物船や客船と違って細身で、乗り心地も全然違う。
「ほんっ…とーに、ごめんねええ」
シャロットは、演技ではなく本心から申し訳なさそうに言った。
「うちの研究院、船持ってないのよ~…。借りるにしても魔法で船動かすなんてムリだし、で、船員ごと借りたらこうなっちゃって」
「馬車か何か、陸路で行けば…」
「それがねー、途中の街道が今、聖リンディス共和国の国境で紛争真っ最中。矢が飛び交ってて危険だからって、海路しか許可が下りなくって」
「ああ、そっか…。確かにあのへん、毎年夏になると戦争やってますよね」
西の小国は群雄割拠の状態で、戦争など、街道沿いの季節の祭りのようなものだ。
西方の国際情勢は複雑で、旅人や商人は街道沿いの宿場町で口頭で情報交換しながら手探りで進むことになる。
それにしても、奇妙な旅だ。
船に乗っている<王立>の魔法使いは、シャロットを入れて僅か数人。船員と船の護衛用と思われる軍人を除けば、残りは民間人のロードたちくらい。軍用船を使っているとはいえ、使節団、というよりは研究調査の遠征といった雰囲気がある。
「こんな少人数でいいんですか?」
「それが向こうさんの条件だったの。あんまり仰々しく会いたくないっていうかー、今回もヤズミン殿下の"個人的な招待"ってことになってて。」
ロードの隣では、通り過ぎていく海鳥を見上げながらヒルデがそれとなく聞き耳をたてている。
二人の感じている疑問を察したのか、シャロットは小さく溜息をついて、少し真面目な表情になった。
「ロード君なら知ってるでしょうけど。うちの国って、東の方じゃ新興国家でしょー? 西方で、正式に国交のある国ってほとんどないのよねぇ。安定して存続してる国だと、ソランくらいなのよ」
「定期船が就航してるくらいですからね」
「あの船は交易船でもあるのよー。ソランからの主な輸出品は、木材ね。うちからは貴金属。ソランには鉱脈は無いらしいからー。知ってた?」
「…いえ、そこまでは」
経済には、あまり詳しくはない。
ロードの表情を見て察したシャロットは、その辺りは飛ばして話を続けた。
「正直、いまのところ、ソランとの繋がりはそれほど強くない。でも今回、魔法研究でもう一つの繋がりが作れそうなの。向こうから接触してきたのよー、<王立>に。」
「それが、あの、ヤズミンって人?」
「そ。対外顧問官っていうのは、要するに外交官に口出しして方針を決められる役職よぉ。あの国は王族の力が強くてね。ヤズミン殿下は今の国王の"はとこ"に当たるらしいわ~。自身もそれなりのレベルの魔法使い。それで、魔法使いの組織に興味がある、という名目でウチに接触してきたのよね」
「それなら、ジャスティンまで視察に行けばいいようなものですが」
「目立ちたくなかったみたいよ。西方の小国の王族とはいえ、第二首都まで来るとなればウチの国の偉い人たちが騒ぐでしょうし、国賓扱いにせざるを得ないでしょうからー。」
「…なるほど。」
エベリアのような辺境の町で、しかも護衛もお付きもなしに個人旅行のようにふらりと訪れたからこそ、誰にも気づかれることなく密かに<王立>に接触できたということか。
「でもどうして、公になりたくなかったんですか」
「それが分からないのよねー。主任曰く、ノルデンに配慮してのことじゃないか、って」
「ノルデンに?」
「ソランは元々、親ノルデン派だったからー。ウチの国との取引が始まったのなんて、精々ここ数十年のことよ」
とはいえ、数十年の実績があるなら、何も今更ノルデンに気がねする必要はなさそうなものだが。
それに、公にしたくない旅で密かに訪れたにしては、迷宮のような城で何日も観光していたというのは、どうにも良く分からない。
(会って、直接聞いてみればいいのか…?)
「聞いていいかどうか判りませんが」
考え込んだロードの代わりに、ヒルデが口を開いた。
「あの方とはどのようなお話を? 内容ではなく、概要で結構なのですが…政治の話でしょうか」
「うーん、どっちかっていうと、魔法使いの話ばっかりだったわねぇ。組織の話とか…魔法使いを育てるのに何が必要かとか。あ、あとアステリアでは"三賢者"の伝説はどのくらい知られているのか、なんていう話もしたわねぇ」
「賢者?」
ロードとヒルデ、二人が同時に反応する。
「ロードさん。エベリアの古城に隠されいた宝の名前、確か"賢者の瞳"…」
「そうか。あの人、"賢者"に興味があったのか。だから、あの城をウロウロしてたんだな」
「えっ何? 二人とも、何か知ってるの」
シャロットは慌てて二人を見比べる。
「あのヤズミンって人、"賢者"について何か言ってましたか。どんな話を?」
「え、えーっと? 話って言っても…、あ」ぽん、と手を叩いた。「あっそーだ、その時だわ。ロード君の話が出てきたの」
「その時?」
「"賢者の瞳"の色に似た色の眼だって…。知ってる子だって言ったら、すっごく興味を持ってね。」
「それで今回のお招きなんですね」
「成程、ちょっと話が見えてきたな…」
「あっ。でも、余計なことは言ってないわよー。<影憑き>を見分けるのが巧い、とは説明したけど、<影>そのものがが見えるなんてことは言ってないから」
シャロットはそう言うが、抜け目の無さそうなあの男のことだ。どこかから聞き知った可能性はある。
おそらくヤズミンは、言い伝えにある"三賢者"それぞれの固有の力のことを知っている。
それで、似たような力を持っているロードに興味を持ったのだ。それが今回の指名の目的だとしたら、最初から核心を突いている。侮れない相手…かもしれない。
船は、帆に順風を受けて順調に航路を進みつつある。この季節は波も穏やかで天候は崩れにくい。予定より数日は早く着けるかもしれない。
少し考え事がしたかった。
シャロットやヒルデと別れ、一人で船尾までやって来たロードは、樽に腰を下ろして遠ざかりつつある波の向こうに視線を投げた。
ヤズミンがどうしてエベリアにやって来たのかは分かった。だが、そもそも、なぜ"賢者"に興味を持つのか、なぜ<王立>に接触したのかが分からない。
(賢者を探してる…? まさかな。実在すると思ってる人はそう多くない)
ロードでさえ、一年ほど前まではただのお伽噺だと思っていた。
それに古伝承や言い伝えに強いのは、どちらかというと、ノルデンの魔法使い組織<王室づき>のほうだ。
波の音が響いてくる。
風に混じって、海鳥とは違う羽音が響いた。黒い翼とともに、見覚えのある青白い光が横切っていく。
「…レヴィ?」
羽音が後ろの階段のほうに消えていったと思ったら、背後で扉が開き、閉まる音。看板の下の船室に入る扉の音だ。
中に降りていったわけではなく、扉を"潜った"だけのようだ。
間もなく、船室へ降りる階段のほうから、見慣れた黒髪の魔法使いが、ひょっこり顔を出した。
「やっと追いついた。意外と船足速いな、こいつ」
「軍用船だからな」
顔を合わせるのは久し振りだった。マルセリョートで別れて以来だ。
「遅かったじゃないか。待ってたんだぞ」
「こっちも手一杯でさ。もう何が何だか、だよ」
最後に会ってから、一体どれほどの距離を旅してきたのか。
けれど、空間を自在に繋いで距離を飛び越えられるこの魔法使いにとって、それはごく普通の"日常的"な旅に過ぎない。
「依頼の尋ね人の二人、素性が判ったぞ」
「もう? 流石だな」
「ただ、妙な縁なんだ。ジュリオのほうは、シンダリアに実家があった。確か、<影憑き>が出たって町だよな?」
眉を寄せ、レヴィは小さく頷いた。
「塔の地下室。ハルと退治しに行った」
「おれたちもそこへ行った。ジュリオの実家は、その塔の眼と鼻の先だったよ」
「確かに妙な縁だな。…で? もう一人のほうは」
「聞いて驚くなよ、あのリドワンの息子らしい」
「はあ?!」
声をあげ、しばし視線を彷徨わせたあと、彼は溜息とともに上着のポケットに手を突っ込んだ。
「妙な縁どころじゃないな、何だよそれ。っていうか、リドワンの息子? 実子なのか?」
「妾腹の長男って話だったかな。魔法学校では優秀だったらしいけど、嫡男じゃないから家を継げなかったらしい」
「なるほど。ノルデン貴族の悪い仕来りだ。」
船尾の手すりにもたれながら、レヴィはポケットから何かを取り出した。いつものおやつだろう。
空を飛ぶのにエネルギーを使うのか、この細身の魔法使いは、いつもひっきりなしに何かを食べている。
「で、レヴィのほうは? 手一杯って、影憑きのことか」
「それもある。が、それ以上に厄介ごとが発覚した」
「それ以上?」
「エベリアの古城さ。ハルもお前も、覚えがないって言ってただろ。それと同じことが他でも起きてることが判った。」
「というと…」
「ぼくらの知らない地形、知らない建物が、世界中の各地に出現してるってことだ。なのに他の地元の住民は、昔からあったように認識してる。どうなってるのか、さっぱりだ」
ロードは、思わず息を呑んだ。
――世界中に出現?
この世界の管理者である、”賢者”の預かり知らぬ場所が?
「ロード、シュルテンにあった広場の噴水を覚えてるか?」
「噴水? …そんなもの、あったっけ」
レヴィは、ほっとしたような表情になる。
「無かったはずだよ。やっぱりな、お前はこっち側だ」
「どういうことだよ」
「シュルテンの町の広場に、いつのまにか築四百年だっていう立派な噴水が現われてたんだ。昔の王様の彫像が真ん中に立ってるやつさ。」
「まさか。あの広場はテセラと戦った場所だぞ。そんなのあったら、あの戦いの時に巻き込まれて壊れてる」
「ぼくもそう思った。けど、ユルヴィもリスティも、噴水は確かに以前からそこにあったと言ってる。」
「……。」
”手一杯”の意味が判ってきた。
判ると同時に、じわりと、不安が胸に広がっていく。
「…フィオは?」
「こっち側だ。今のところ、ぼくやハルと過去の記憶が一致するのは、お前を入れて二人だけ。」
「つまり、全部で四人――おれたち四人以外の記憶が変わってるってことなのか?」
「もしくは、ぼくらのほうがおかしいのか、だ」
沈黙が落ちた。
耳元を通り過ぎてゆく風の音が、やけに大きく感じられる。
「ぼくの目的地も同じだ。ソラン王国」
ふいに、レヴィが言った。
「知ってたのか、おれたちの行く先」
「まぁな。盗み聞きは得意なんだ。」
そう言って、冗談めかしてにやりと笑う。
「あのへんは、ぼくも行ったことがない。内戦でしょっちゅう建物が壊されて、繋げておける扉も少ないし、折角だから船に便乗させてもらおうと思って着いてきた」
「飛んでいくより楽だ、ってか?」
「そういうこと」
もたれていた手すりから体を離すと、レヴィは、ポケットに突っ込んでいた手を外に出した。
「ハル曰く、ソランにも、一年前までは存在しなかったはずの地形が出現してるらしい。もしかしたら、お前らが呼ばれるのもそのせいかもな。」
「ハルは?」
「今はマルセリョートに戻ってる。向こうに着いて状態を確認して、必要があれば迎えに行こうと思ってる」
「…そうか。」
「何か伝言、あるか?」
「いや。今は無い」
「じゃ、また来るよ」
言い残して、レヴィは背後にある船室へと続く扉のほうに消えていく。
"一度通り抜けたことのある門や扉を繋ぐ"、それがレヴィの持つ"風の賢者"の固有の力だ。さっき一度潜っているから、そこからなら何処へでも、たとえ北の果ての風の塔へだって、一瞬で移動することができる。
扉が閉まる音を聞きながら、ロードは、ふと思い出して、ポケットの中に入れたままになっていた青い石を取り出した。
(”賢者の瞳”、…か)
青い色を除けば、その輝きが何かに似ている気がしていたのだが、今ようやく何だったのかに気が付いた。
"創世の呪文"の輝きだ。
普通の魔石とは違う、生きたような明滅する輝き、時々強さの変わる感じ。
ロードの眼に見えている、その石が放つ輝きは、この世界を構成している”創世の呪文”の欠片が放つ輝きに、そっくりなのだった。
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