第10話 黄昏の扉が開く時
航海を始めて何日目かして、海の色が変わった。
西方の、淡く緑色をした海。その先に続く長い浜辺と切り立った崖は、そこがアステリアの温暖な海辺とは全く違う遠い異国であることをはっきりと認識させる。行き交う船の形も、帆ゲタの形も、ロードの知るものとは違っている。帆柱の先に掲げられた旗は大抵、近くの海沿いの国のものだ。
「着いたー」
シャロットが嬉しそうに声を上げる。
船の向かう先には、赤い色の旗がはためく小さな灯台があり、その奥には湾が広がっている。
「やっと船を降りられるわ~」
「ここが、ソラン王国?」
「そ。王都カールム・カレレム。前来た時は陸路だったから楽だったんだけど。はぁ~」
疲れ気味のシャロットの横で、ロードは、向かう先の湾の奥を眺めていた。
湾の奥がそのまま町になっていて、その向こうには急峻な山が迫っている。
王都というからには、真正面にある変わった屋根を持つ一番目立つ建物がおそらく王城なのだろう。港の前には小型船が行き来していて、ロードたちの乗ってきた軍船ほど大きな船は他にはない。
(意外と狭いんだな…)
王城のすぐ背後まで、緑なす山が迫ってきているように見える。開けているのは海側だけで、残りの三方向はすべて山。海側から見ると、まるで、町全他が緑の壁に囲まれているかのようだ。
船が港に到着し、錨が降ろされる。ロードはちらりと頭上を見やった。青白い輝きがひとつ、帆柱の目立たない場所に隠れているのが判る。レヴィの持つ、呪文の欠片の輝きだ。彼のほうは、まだ動いていないようだ。
「ロードくぅん、どうしたのー? お迎え来てるわよー」
「今行きます」
慌てて荷物を担ぎ、桟橋に通じる渡し板を渡った。
シャロットとヒルデの隣には、王宮から寄越された出迎えと称する派手な軍服の男が立っている。
「では、参りましょうか」
無機質な口調でそう言って、男は、一行の先に立って歩き出した。
初めて訪れたソランの首都――そこは、今までに見たことの無い異国の雰囲気を持つ町だった。
木材を主要な交易品とする国だからなのか、建物のほとんどが木造だ。狭い中に建物がひしめき合い、木材を組んで作られたやぐらのような塔がいくつも立っている。それらの間を飾るのは色鮮やかな織物。以前ヤズミンが身につけていたのと同じように、手の込んだ縫い取りで模様が描かれている。
軒先に吊るされた、器用に切り開かれた魚の日干し。
大人がすれ違うのが精一杯のような狭い通りの両側に、隙間無く店が立ち並ぶ賑やかな市。
狭いなりに活気のある町だ、とロードは思った。
人の多さならジャスティンのほうが上だが、密度という意味ではこちらのほうが高い。狭い国土に人が集まって暮らしているせいだろうか。
王城の近くまで来ると案内の男は、王宮へは向かわずに大通りを横切った。
「ちょ、ちょっと。道が違わない?」
気づいたシャロットが慌てて食って掛かる。
「殿下は離宮にお住まいですので」
男は無愛想にそれだけ答えて、後ろ手に腕を組んだまま歩調を緩めることなく歩き続ける。
「私邸で内密の謁見、ってワケね。ふーん…」
シャロットは少し不満げだ。
案内役に導かれて辿り着いたのは、町の奥の、こぢんまりとした建物。中心部の雑踏から離れたその辺りには、うってかわった静けさが漂っている。
振り返ると、港の向こうの海が坂道の下のほうに遠く輝いて見える。気づかないうちに坂道をずいぶん登ってきていたようだった。
「こちらです」
男が一行を連れて門を入ると同時に、頭上から、聞き覚えのある陽気な声が降って来た。
「やっと来た。やあ、こっちだよ」
見上げると、テラスからロードのほうを見おろしながら、ひらひらと手を振っている男の姿がある。
ヤズミンだ。
本当にソランの王族だったのだ。
だが、エベリアで見た時と、格好は大して違っていない。それに雰囲気も。――ロードは、ちらりとシャロットの方に視線をやった。
「気さくな方なのよ…」
<王立>の魔法使いは、小さく溜息をついた。
「だから、かえって扱いにくいっていうか。」
「早く上がっておいでよ。遠慮せずにさ」
「ですって。じゃ、行きましょうか。」
シャロットを先頭に、一行は建物の中へ入っていく。
入り口はこぢんまりとして、警備すらいない。
中はごく普通の民家か別荘のようで、王族の住まいというよりは多少裕福な家といった程度だ。
ロードは、木で作られた柱や床を物珍しい思いで眺めていた。二階建て以上でこんなに全面に木材を使っている建物は、アステリアでは見たことがない。耐久性は大丈夫なのだろうかと心配になってくる。
ヤズミンは、二階のテラスのある部屋で一人で待っていた。
テーブルの上にガラス細工のグラスと、酒らしき透明なものが入ったひょうたん型の容器が置かれている。
いかにも自宅でくつろでいる風に、ゆったりと足を組んでテラスの向こうの港を眺めている。シャロットたちが部屋に入ってきても、男はまだその姿勢を崩さず、杯を手にとりながらちらりと見ただけだった。
それは、待たせることで相手の出方を伺っているような計算された間のように思えた。
(…?)
ふと、何か視線のようなものを感じた。
ここのところ付きまとっている謎の視線ではなく、ごく普通の人間のものだ。ロードは部屋の隅に、隣の部屋に通じるらしい扉があることに気が付いた。視線はそのあたりから向けられている。扉の向こうには強い魔石の輝きが見えていた。
(それなりの魔法使い。様子を伺ってる…なるほど)
入り口からここまで誰の姿も見えないと思っていたが、館にいるのがヤズミン一人と言うわけでは無いらしい。
さらに、しばしの間をおいて、ようやく部屋の主が動き出した。一行の先頭にいるシャロットのほうに向き直る。
「えーっと。あんたは確か、研究主任…の、シャロット女史、だったよね」
「そうです」
「遠路遥々、ご苦労様。とりあえずまぁ、そこ座って」
側の窓際に並ぶ長椅子をちょいちょい、と指す。
「どうせそっちは、国交を固めてこいとか情勢を探ってこいとか面倒な役目もあるんだろ? そういう堅苦しい話は後にしよう。オレは先に、そっちの兄さんに先に用事あるんだ」
言いながら席を立つと、ロードのほうに近づいてきて、両手で肩をぽんと叩く。
「本当に来てくれたんだ。やー、また会えて嬉しいよ」
「まあ、ちょうど前の仕事が終わったとこだったから…」
「そんな顔しないでよ。ちょっと困っててさぁ」
シャロットの視線が痛いほど刺さってくる。
言いたいことは判っていた。
ロードは、相手の気さくな雰囲気に釣られないよう、出来るだけ丁寧な口調で返す。
「おれは、ただの民間人なんで。個人的な用事は伺いかねますが…」
「あーもう。面倒だな、ちょっと、こっち」
腕を掴んで、ぐいぐい部屋の隅に連れていくと、ヤズミンは顔を近づけて囁いた。
「何? あの<王立>の人の前だから? もうちょっとざっくばらんな感じに出来ないの」
「いやだって、…あんた王族なんだろ? こっちも知り合いに頼まれて付き合いで来てるんだ。失礼なことできないだろ、じゃない…できませんよ」
確かに、距離感が掴みにくい。どこまでが本気で、どこからが試されているような菊分だ。
だが当の本人は、ロードのそんな戸惑いには気づいてもいないようだった。
「あの人に頼んだのは、他に、あんたと手っ取り早く会える方法が無かったからだ。アステリアに長居してる暇もなかったし、<王立>に会った後じゃ、何しても目立つからな。時間があれば、あんたの家に直接行ってた。これは立場とか抜きの一個人としての話でだな」
「はあ…?」
隅でこそこそと話している二人を、残る全員の視線が見つめている。
「……。」
ヤズミンは渋い顔で顎に手をやった。
「ううん。巧くないな…仕方ない」
振り返って、扉の方に向き直ると、両手を叩く。
「誰か! お客さんにおもてなし、用意して。お酒と料理!」
「…おい」
「あ、あのっ」
シャロットが慌てて立ち上がる。「そういうのは、ご遠慮――」
「いーから。あっ、適当に歓待しといて。舞踊もつけていいよ」
(適当に…)
群れを成して部屋の中に入って来た召使いたちが、シャロットたち異国の魔法使いとヒルデを取り囲んで、半ば強制のようにふかふかのクッションの上に座らせる。どこからともなく音楽まで聞こえてきて、あっという間に部屋は宴会場へと変わっていく。
その間に、ロードはヤズミンによって脇の扉の奥へ引っ張り込まれていた。
扉を閉ざすと、宴会の音が遠くなる。
「これでよし、と。しばらくは時間稼ぎできるだろ」
「ムチャクチャだな…」
ロードは呆れてしまった。
「あんたまさか、おれにだけ用事があって、シャロットさんたちをダシに使ったなんて言わないよな?」
「はは、まさか。彼らにも一応、まっとうな用はある。ただ、そっちはオレにとっちゃどうでもいいことさ。国王はこの国にも、魔法使いの組織を作りたがってる。で、その責任者の任務を押し付けられそうになってるのが、このオレさ。自分の仕事を増やして楽しいわけがない。」
「……そんなこと、他国の民間人にバラしていいのか?」
「おっと。それもそうか」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、男は、視線を部屋の奥に向けた。
「シエラ、もういいぞ、出てきて」
壁側のカーテンが揺れる。
その後ろから滑るように現われたのは、ロードよりは幾つか年上に見える、濃い色の長いスカートに身を包んだ女性だった。
しっとりとした雰囲気を持つ美人だ。髪をうしろで丁寧に束ね、両手を胸の前で組み合わせている。女性は、黙ってロードに深く頭を下げた。その胸元に、魔石の輝きがある。
「さっき、おれたちのことを探ってたのはこの人か」
「ああ。見覚えでもないかと思ってな。確かめさせてた」
ヤズミンが視線をやると、女性は、小さく首を振った。
「存じている方ではありませんでした。」
小鳥の啼くような声だ。深い森の色をした瞳とあいまって、まるで、森の妖精か何かが抜け出てきたようにも見える。
「実はな、彼女の悩みを解決できる魔法使いを探しているんだ。」
「悩み?」
「記憶の齟齬に、幻覚みたいなもの。最初は、ただ疲れてるだけだと思ってたんだが、どうも違うらしい」
「始まったのは一年ほど前です」
シエラは瞼を伏せた。
「闇が世界を覆い、再び光が現われた後。あの時からです…私と、それ以外の人たちとで、認識が食い違ってしまいました」
「認識?」
「言葉で説明するより、実際に見てもらったほうが早いだろ。」
言いながら、ヤズミンは、さっきまでシエラの隠れていたカーテンに近づいて一気に引き開けた。
格子窓の外に広がっていたのは見事な庭園。色とりどりの花が咲き誇り、果樹が木陰を作る。丹念に世話をしなければ、こんな庭は作れない。
「すごいな」
「だろ? シエラお手製の”楽園”さ。彼女はこういうのが得意でね」
庭は建物の裏手に当たり、海とは反対側だ。表通りからは見えない場所にある。左右はすぐ山になっていて、濃い森の香りが漂ってくる。
「ここ先は森になっている。王家の直轄地だ。質の良い材木はうちの国の主要輸出物でね。植林から伐採まで国で管理しているんだ」
「ま、伐り過ぎたらハゲ山になるだろうし」
「そう。だが――」
言いながら、ヤズミンは窓の外の一点を指した。「見えるか?」
一面が緑の風景の中で、一箇所だけ、茶色く山が剝げている場所がある。木も草も生えていない。地面の起伏に隠れてはいるものの、かなりの面積に見える。
「あそこは、昔からあの状態だ。山火事でもあったのか、病気で木が枯れたのか誰も覚えていないが。ところがシエラが言うには――」
「あんな場所、一年前までは、ありませんでした。」
振り返ると、シエラが硬い表情でこちらを見ていた。
「私の記憶だけが違うんです。確かに無かったはずなのに――」
一年前には無かった?
それが本当だとしたら、あの場所も、エベリアの城のように「突然現われた」ことになる。だが、それを認識出来ている人間が他にもいるとは思わなかった。
「…あんた最近、妙な視線を感じたことはあるか?」
びく、とシエラの肩が動いた。
「何か知ってるんだな?!」
ヤズミンが勢い良く割って入って来る。
「知ってるなら教えてくれ。これはどういうことなんだ」
「いや、まだ何も分からないんだ」
慌ててロードは両手を振る。
「そういう現象があちこちで起きてることは知ってるが、何でなのかとかは、まだ何も…。調べさせて欲しいんだ、いいかな」
「ああ。もちろんだとも。王領の森に入る許可を出す手続きをとろう」
言いながら、彼はもう歩き出している。
部屋を出る直前、振り返って、ヤズミンはいかにも嬉しそうな表情になった。
「やっぱり、あんたが”当たり”だった。呼んで正解だったな」
「……。」
複雑な気分のまま、ロードは、もう一度窓の外に目をやった。やはりここにも、"かつてなかった"ものが出現していた。――そして、それを住民たちは認識していない。
一体、この世界に、何が起きているというのだろう。
考えていても、結論が出るはずもなかった。
けれど他に考えることが出来なかった。突然現われた城、禿山、影憑き、――そして記憶の改ざん。
気がつくと、ロードはシエラの作った庭に降りて、その向こうに見える禿山を見つめていた。一年前に起きた"世界の再構築"に、何か問題があったのだろうか。だとしたら、それはどうすれば修正できるのか。
「ロード君、ここにいたんだ~」
シャロットの、独特の間延びした声が近づいてくる。振り返ると、足元をわずかにふらつかせながらこちらに向かって歩いてくるシャロットが見えた。
「…酔ってます?」
「んー少しだけー。だから風に当たりにきたんだけどぉ。はあ、殿下にぐいぐい飲まされて大変よ~」
庭にしつらえられたベンチにすとんと腰を下ろし、手で顔を仰ぐ。
「終始あっちのペースね~。さすがは対外顧問官、ヤリ手だわぁ」
「交渉ごとは巧くいったんですか」
「まあねー。<王立>みたいな魔法研究の組織を作りたいって話だったんだけど、本心は別でしょうねー。他国に先んじる意味で、対人戦の出来る魔法使いが欲しいのよ。」
ぴくりとロードの眉が動いたのを見て、彼女は笑った。
「そんな顔しないでー。判ってるわよぉ、ロード君はそっちとは無関係。引き込んだりしないから」
「そこじゃないですよ。シャロットさんたちは…」
「んー、ま、うちは表向き、魔法研究がメインの組織で、国防のためじゃないってことになってるからねー。ノルデンじゃなくわざわざウチのほうに接触してきたのも、そういうタテマエ上の話でしょうけど。」
ほつれた髪のリボンを引っ張りながら、無造作な口調で言う。酔っているせいで口が軽くなっているのか、それとも。
「魔法使いはね、どう言い訳したところで強力な手札なのよ。そこに居るだけで意味を持つの。ヤズミン殿下にそういうつもりはなくても、ここの王サマには思惑があるんでしょー。まあー、この件は即答できないし、持ち帰って上の判断ね~。」
(スウェンさんか…)
脳裏に、<王立>の責任者である魔法使いのしかつめらしい顔が浮かんだ。
彼が一体どう判断を下すのか、想像がつかない。ただ、若くして<王立>のトップまで登りつめた男だ。少なくとも、安易な結論は出すまい。
「そういえば、ロード君のほうも何かあったんだって?」
「ええ、まあ。シエラって人の悩み相談みたいな感じなんですけど」
「ああー、殿下の恋人ね~。噂では聞いたことあるけど…どうだった?」
「恋人?」
ロードは少し驚いた。親しげな雰囲気ではあったが、…そういうことなのか。
「独特の雰囲気の人でしたね。魔法の腕はそこそこありそうだったし」
「ふうん。人前に出ないって話らしいけど、魔法使いなんだー。依頼は、すぐ終わりそう?」
「さあ。…でも、終わっても終わらなくても、長居するつもりはありませんよ。シャロットさんたちと帰ります。でないとオリーブの収穫に間に合わないし」
「あはっ、そっか、ロード君そういうフツーの仕事もやってたっけ! あははっ」
「何で笑うんですか」
「んーん、なんでもなぁーい」
なにがおかしいのか、ケラケラ笑いながらシャロットは立ち上がった。
「あー、酔いも醒めたわ~じゃ、接待に戻るわね。じゃあー」
ややくたびれた、白いローブの裾を翻して、特徴的な髪型の女性は颯爽と帰ってゆく。
広間では今頃、音楽隊やら踊り子やらが入り乱れてのどんちゃん騒ぎの真っ最中なのだ。それが、この国のもてなしかたらしかった。
視線を森の方に戻したとき、背後で足音がした。
「ヒルデ?」
「良く判りましたね」
驚いたように、木立の間からヒルデが顔を出す。
「シャロットさんが外に出て行くのが見えたから、心配でついてきたんです。酔ってらっしゃるみたいだったし」
「中は相変わらず?」
「ええ…」
彼女は苦笑する。
「みんな完全に出来上がっちゃってます。しばらく戻らないほうがいいかもしれませんね」
「シエラって女の人は、見かけた?」
「いいえ?」
「…そうか」
もう一度、今度はヤズミンの居ない場所で会って彼女と話をしてみたかった。
ヤズミンを動かしたのが彼女だったとしたら、世界の改変の理由が"賢者"にあると考える根拠を何か持っていたのかもしれないからだ。
それに、――なぜ、世界が「改変」されてしまったことに気づいているのかも、気にかかる。
ちょうど、視界の端に見慣れた青白い輝きが近づいて来るのも見えた。船が港に到着してから姿を消していたレヴィだ。
ロードは顔を上げ、その輝きが木立の陰に下りていくのを目で追った。
「やれやれ。この森はけっこう広いな」
木の後ろから、人の姿に戻ったレヴィが出てくる。
「何か判ったのか?」
「いや、特には。剥げてる部分がかなり広範囲ってことくらいだな」
レヴィのほうは最初から、禿山の部分が"突然現われた"箇所だと気づいていたらしい。
「ついでに町のほうでちょいと聞き込みをしてみたんだが、ここも<影憑き>が出てたってさ。一年前に。あのヤズミンって奴がが兵総出で山狩りして退治させたそうだ。」
「ああ、あの人は光の魔法使えるから…」
エベリアで見たのは小さな明かりを灯すだけの魔法だったが、長時間継続して灯し続けられる力があるくらいだし、瞬間的にまばゆい大きな輝きを生み出すことだって出来るはずだ。
「で、その時に"魔法使いが足りない"って話になって、今回のアステリアの魔法使い招聘に繋がったんだとさ。ま、少なくとも表向きはそういう理由になってる」
相変わらず、レヴィはそういうところに耳ざとい。情報屋でも商売が出来そうだと思ってしまう。
「ヤズミンの恋人だっていう女性のことは?」
「ああ、なんか…森の妖精だとか魔女だとか噂になってたのは聞いたけど…」
「あの人、"こっち側"だった。おれたちと同じ、一年前に現われた場所を認識してる」
「マジか?」
レヴィは、顎に手をやった。
「へえー…そいつ、会ってみたいな」
「それが人前に出てこないらしくて、今どこにいるかまでは。」
「どうせ、ここの館のどっかにいるんだろ? 適当に覗いてみる」
そう言って、レヴィはぱっと鴉に姿を変えた。
「脅かすなよ!」
判ってる、というようにロードの頭上をぐるりと輪をひとつ描いて飛ぶと、鴉は、背後にある館のほうに向かって飛び去って行った。
「わたしも戻ります、ロードさんは?」
「もう少ししたら行くよ。レヴィが無茶しないように見張っててくれ」
「判りました」
日が暮れかかっている。夕陽に赤く染まる木立の枝は美しかった。見ていると、どこか心の奥がざわめく感じがする。
――視線。
さっきからずっと、自分だけに向けられている視線がある。今までに何度も感じてきた、正体不明の眼差し。咲き誇る花々の隙間から、手入れの行き届いた木立の向こうから、それは確かにこちらを見つめている。
出所は、分からない。けれど近くにいる。
(どこだ…?)
視線を動かさずに、ロードは、その気配の出所を探ろうとしていた。
傾いた日の作る長い陰。空には星が輝き始めている。海から吹き上げてくる風で花々が揺れ、香りが舞い散る。
その一瞬、視界に白いものが過ぎった。
「!」
反射的に、そちらを振り向いた。
夕焼けに、世界が赤く染まっている。白っぽい衣装の裾に細い腕が見え、身を翻そうとしたその人物と視線が合った、と思った瞬間――
かちり、と、何処かで、小さな音がしたような気がした。
「――え?」
何が起きたのか判らなかった。
一瞬、意識が途切れたような気がした。自分は確かに立っているし、時刻は夕暮れ時、目の前の木立は赤く染まっている。だが、何かが違っている。
…花の香りだ。
突然それが消えたことに気づいて振り返ったロードは、あまりのことに愕然としていた。
(庭園が…)
無い。
目の前に広がっているのは、何も無い、庭ですらない荒れ果てた空き地だけ。その向こうにある館は真っ暗で、もう日が暮れようというのに明かりの灯されている気配もない。賑やかな音楽も、人の居る気配も、ほんの一瞬のうちに消えうせている。
(何が起きた……?)
夢、かと思って頬をつねってみたが、確かに感覚はある。魔法? だとしたら、一体誰が? 半ば自動的に、ロードの足は館のほうへと向かっていた。
「誰か居な…」
言いかけて、そのまま言葉が途切れた。
館は、無人だった。
中に入って確かめるまでもない。
近づいたとき、そこが、もう何年も放置されたままになっている廃墟なのだとすぐに気が付いたからだ。
館の向こうには変わらず、カールム・カレレムの町並みと、港の風景が広がっている。ただ港には、乗ってきたはずの船が見当たらない。
館の前の通りに出ると、異国風の装いをしたロードを物珍しそうに眺めながら、荷物を担いだ町の住人が通り過ぎていった。
(どういうことなんだ…)
混乱したまま振り返ったロードの目が、廃墟と化した館の向こうで止まった。
さっきまで禿山だった場所に、森が出現している。途切れることなく続く緑―― 一年前に現われたはずのその場所は、何の異常も無かったかのように背景の一部と化している。
一体何が起こったのかも分からないまま、彼は、ただ茫然と立ち尽くしていた。
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