第8話 西方からの誘い
二人は半ば逃げるようにして、砦を後に、フラウロスの町まで戻って来た。
戻って来る間じゅう、ヒルデはずっと不機嫌な表情をしたまま硬く口を閉ざしていた。ロードも黙ったままで、彼女を宿の部屋まで送り届けた。ロードの部屋は、そのすぐ隣だ。
(頼るべきじゃなかったのかな…)
まさかヴァーデに会いに行くことになるとは思ってもみなかった。それを、ヒルデが提案するこということもだ。
その甲斐あって、レヴィに頼まれた"人探し"のもう一人のターゲット、謎の「ノルデン貴族」の正体は判明した。これで依頼を果たすことが出来る――が、そのために彼女に不愉快な思いをさせてしまうことになった。
あれこれ考えているうちに、いつしか日は暮れかかっていた。隣の部屋はしんと静まり返ったままだ。
様子を見に行こうかと思い始めていたとき、ドアをノックする音がした。
「あの」
外を覗くと、廊下にヒルデが立っている。
「入っていいですか? 少しお話ししたくて」
うっすら滲んでいた涙の跡はもう消えている。頷いて、ロードは彼女を招き入れた。
「今日はすいませんでした。見苦しいところを見せてしまって」
「謝るのはこっちのほうだ、ごめん。無理なことをさせた」
「いいえ、それはいいんです」
ヒルデは慌てて首を振る。
「それに、あの。…頼ってもらえて嬉しかったんです。お役に立てましたよね?」
「うん、それは…十分…。」
そう、十分すぎるほどに。
この旅は、一人ならもっと苦労していたはずだ。
少なくとも二人目の手がかりに辿り着くまでは、辿り着けていたとしてももっと時間がかかっていたのは間違いない。
それに、――旅の間だけではない。それ以前も、彼女のお陰で思い出せたことが沢山あった。
旅を始める前、まだ、母と二人で暮らしていた子供の頃には当たり前のように思っていた、…かつて、そこにあったことすら忘れてしまっていた、「日常」という生活のこと。
「なあ、…今さらだけど、ヒルデは何でおれのところに来たんだ? 護衛だ、なんて言い訳をつけて。レヴィに、何か言われたのか」
「はい。レヴィ様のお話だと、ロードさんは危なっかしくてすぐ死に掛けるって。誰かが側に居たほうがいいだろうと」
「…あいつめ」
むっとなったロードの顔を見て、少女は思わず笑みを作った。
「本当に仲良しですよね、お二人は。」
「ただの腐れ縁だ。」
「レヴィ様はね、ロードさんのことを話すときはすごく楽しそうなんです。兄も、ロードさんのことは全面的に信頼してて。…話を聞いてたら、もっと知りたくなったんです。それに…」
少し照れたような顔をしながら、彼女は俯いた。
「それに、恩返しもしたかったから。」
「恩?」
「兄もわたしも随分お世話になりました。返せることって何だろうって考えたら、護衛くらいかなぁって。あ、でも結局、家事しか出来てないですね。ふふっ」
「……。」
どうして、そんな風に言えるのだろう。
出会ったのはつい最近で、その時だって、ユルヴィを連れてド・シャールの城から逃げ出すのに手一杯で、ヒルデとは、ほとんど話しらしい話もしなかった。
「それでも――どうして」
「あの時、言って下さったでしょう? "その覚悟があるなら、飛べばいい"って。」
記憶の彼方から、おぼろげな光が蘇ってくる。確かそれは、ユルヴィについて行きたいと言ったヒルデにかけた言葉――。
「"自由な空は、そうして手に入れる。"」
ロードの表情を見て、ヒルデはまた微笑んだ。
「ロードさんがそう言ってくれたから、わたしは思い切って外に飛び出せたんです。今までは、誰もそうは言ってくれなかった。女の子が一人で冒険なんて有り得ないって、ユルヴィ兄さんでさえ」
「……。」
「でも、兄も同じなんですよ、ロードさんと出会ってなかったら、ずっと迷っているばかりで、一歩踏み出すことは出来なかったと思います。だから恩返しです。わたしは、あなたに返さなくてはならないものが沢山あるんです」
「………。」
どうしたらいいのか分からない。
たったそれだけのために、彼女は、何不自由ない暮らしを捨ててロードのところへやって来た。
さっきヴァーデは、縁談があると叫んでいた。ここで引き返せば、ヒルデには、一生楽に暮らせる、保障された名誉ある生活が待っている。
それなのに、彼女は、約束された未来をみすみす捨ててしまおうとしている。
「そんな顔なさらないで下さい? わたし、明日からのことを尋ねにここへ来たのに」
明るい声で言いながら、ヒルデは窓枠にちょこんと腰を下ろした。
「尋ね人のことは判ったんでしょう。一度、村に戻ります?」
「そのつもりだ。っていうか、そろそろレヴィがひょっこり姿を現す頃だと思ってたんだけどな」
ハルの千里眼があれば、こちらが何処にいても、居所は簡単に探し出せる。用があれば、いや、無かったとしても、気まぐれに現われるのが今までのレヴィだった。
あれから一度も姿を見せないということは、<影憑き>の件や、突然現われた城の謎のことで、よほど手一杯なのかもしれない。依頼の結果を伝える時に、そのことも聞いてみよう。
(だけど、妙な縁だな。探していたイングヴィって人が、あのヴァーデの元同級生、とは…。)
年が離れているようにも思うが、もしかしたら先輩と後輩だったのだろうか。
若くして「家長」の肩書きを継いだヴァーデと、名家の血を引く長男。
魔法使いとしても優秀でありながら嫡出でないというだけで正式な跡取りにはなれなかったイングヴィ。
そのイングヴィという魔法使いは、一体、どんな気持ちでランドルフに弟子入りしたのだろう。家族は、彼がどこに行ったかを知っていたのだろうか。
「あ。そうだ」
突然、ロードは大事なことを思い出した。
「イングヴィの家名…ド・ラルシュだっけ? その貴族って、どこに住んでるのか調べておかないと。明日もう一度図書館に行って」
「わたし、知ってますよ」
こともなげにヒルデが言った。
「そっか、ロードさん、まだ気づいてなかったんですね」
「何を?」
「ド・ラルシュ家のことですよ。本家はノルデンの首都。現在の当主は、<王室付き>の主席魔法使い、リドワン様。」
「な、…」
ロードは思わず、ぽかんと口をあけた。
「何だって?!」
リドワン。古都フューレンの塔で一度見えたことのある、隙の無い老魔法使い。
そしてあの町は、ユルヴィと初めて出会った場所でもある。
(妙な縁、どころじゃない…)
知らないうちに、知らない場所で糸が繋がっていた。そしてそれは、ロードにはまだはっきりとは見えない、何かの模様を描きつつあった。
ノルデンからフィブレ村までの帰路は、寄り道もなくほぼ真っ直ぐだった。今回は他に「ついで」に頼まれた用事も無い。
ロードはまず最初に、いつものように、長期間留守にする時に家の鍵を預けている丘の下のオリーブ絞り工房のおかみさんのもとを訪れた。工場の裏手の家の敷地に入っていくと、ちょうど洗濯物を干していたおかみさんが顔を上げた。
「あらロード! もう戻って来たの? 何日か前にあんたを探しに来てた人がいたんだけど」
「探す?」
「王立なんとかの…ええと。名前は忘れちゃったわねえ。白い服で髪型の派手な人」
「…シャロットさんか」
<王立>に所属する魔法使いで、髪型のことを言われる人物など、一人しか思いつかない。
「ちょっと待っててね」
言いながら、エプロンをたくしあげて家の中に駆け戻ってゆく。
やがて戻って来たおかみさんは、預けておいた家の鍵と、封筒に入った手紙をロードに差し出した。以前、いつのまにか家に置かれていた真っ白に封筒とは違い、今度のは、きちんと表書きがされている。
「言伝があるからって、それを置いていったの。何か急ぎの用事で、しばらくは近くにいるって話だったわよ」
「わかりました、確認してみます」
丘の上の家への道を辿りながら封筒を開いてみると、中から几帳面な字の並んだメモが出てくた。ロードが驚いた顔をしたのを見て、ヒルデが肩越しにちょっと覗きこむ。
「何の用だったんですか?」
「<王立>の魔法使いが、エベリアに来てるみたいだ。」
メモには、<影憑き>の調査のためにシャロットを含む<王立>の魔法使いたちが調査に来ていること、ロードにも話を聞きたいという内容が書かれている。
「どうしてエベリアに<影憑き>が出たことを知ってるんでしょう」
「あのあと誰か地下室に入ったか、他の場所でも<影憑き>が出たのかもしれないな」
「レヴィ様たちが退治に行ったはずですよね? 行き違いになったんでしょうか」
「多分そうだろうと思うけど、ここには何も書かれてないな」
書かれている日付は二日ほど前のものだ。だとすれば、シャロットはまだエベリアにいる頃かもしれない。
「…どうする?」
「わたしに聞くんですか?」
「戻って来たばかりだし、<王立>とは関わりたくなさそうだったから」
「そんなことないですよ。」
ヒルデは苦笑する。「それにしても、本当に<王立>から依頼が来るんですね。」
「まあ、<影憑き>の急所が見えるの、おれだけだから…。」
ロードは、腰のベルトに刺してあるナイフを軽く手で撫でた。
死に瀕した動物に取り憑き、その躯を器として動く<影憑き>には、生きている動物と同じ意味での急所はない。頭を切り落としても、心臓を貫いても動き続ける。
通常なら、光を当てて取り憑いている影を消すしかないのだが、”海の賢者”の持つ"真実の眸"の力の一部を受け継いでいるロードなら、<影>の急所を見抜いて的確に貫くことが出来る。
「いいんじゃないですか? お知り合いなんでしょう。ここからは近くだし、手助けに行きましょうよ」
「ありがとう」
ロードがそう言うと、ヒルデは、何か言いたげな照れたような顔になってそっぽを向いてしまった。
(…? 何か変なこと言ったかな)
荷解きをする間もなく、結局、少し休んだだけでロードたちは再び村を後にした。
相変わらず正体不明の視線は付きまとっていたが、不思議と、最初の頃ほどは気にならなくなっていた。
馴れ、とでも言うべきなのか。
エベリアの町へと続く道を歩きながら、ロードは、それとなく風景の中に視線の主を探していた。
最近になって分かってきたことだが、視線は、こちらが辺りを見回すなど反応を示すとすぐに消えてしまう。けれど、無視している限りはずっとどこまでもついてくるのだ。
気に留めていないふりをしてそれとなく視線を脇にやると、ぎりぎり見えそうな範囲に確かに"誰か"がいるのがわかる。ただ、姿らしきものが見えたのは、シンダリアでのあの一度だけだった。
(ハルの眼でも見つからない誰か…、何者なんだろう。一体どうやってるんだ?)
知覚をごまかす魔法くらいでは、”真実の眸”の力は躱せないはずなのだが。
「そういえば、前にエベリアに行った時に会った西の魔法使いさん、まだこの辺りにいらっしゃるんでしょうか」
隣を歩くヒルデが話しかけてくる。
以前エベリアで出会った、西から来たと言う観光中の魔法使いのことだ。エベリアの古城の地下で<影憑き>を見た、ロードたち以外の唯一の人物だ。
「さすがに、もう国に帰ってるんじゃないか? 次の船は半月後だとか言ってたし。」
「結局あの人って、何しにこの国に来てたんでしょう」
「謎だよな」
行く手に町外れの古城が見えてきた。
その入り口のあたりに揃いの白いローブをまとった数人が佇んでいるのが見えた。真っ白だから遠くから見ても良く判るのだ。その中に一人、髪の毛に色鮮やかなリボンを飾った後姿がある。
「シャロットさん」
近づいて声をかけると、他の魔法使いたちと話していたシャロットがびっくりするような勢いで振り返る。
「ロードくぅん! 来てくれたんだ~!」
「あ、…はい、…村に帰ったら言伝があったので…」
勢いにたじろぐロードの眼と鼻の先で、額の辺りでカラフルなリボンで結ばれた髪のふさがぴょんぴょん揺れている。何度会ってもこのテンションには慣れそうもない。
「<影憑き>のことで来てるって聞きましたが…」
「そーなの~、ここの古城の地下で<影憑き>を見たって証言があって! 来てみたんだけどっ、全部倒されてたの! ロード君、何かした?」
「何か、って…。最近まで村には居なかったし…」
ロードは、視線を城の方に向けた。
「ってことは、ここにはもう、<影憑き>はいないんですか」
「私たちが来た時にはもう、ね。地下室には確かに、影に憑かれてたらしい獣の死体が幾つか転がってたけどー」
では、ハルたちが退治するのは間に合ったのだ。
ロードの表情にほっとした色が浮かんだのを、シャロットは見逃さなかった。
「何か知ってるの?!」
「い、いえ。ただ、以前ここに来た時、<影憑き>らしきものを見たのは確かなんで…、居なくなったなら良かったなって」
「嘘~。」
そう言ってシャロットは、見た目の軽い感じとは裏腹の深い色をした眸で、じっ、とロードを見つめた。
「ここの地下に隠し部屋があるって、見つけたのロード君でしょー?」
「…どうして、そのこと」
「ヤズミン殿下に聞いたのよぉ。ソラン王国対外顧問官。魔法使いにして王族、私たちの客人。エベリアの近くに住んでて<影憑き>を見ても動じないナイフ使い、なんて言われたら、キミしかいないでしょ。」
ぴく、と後ろでヒルデが反応する。
「王族…?」
「そ。ここの近くで会談があったの。こちらも出迎えの準備はしてたんだけど~、まさかお供も連れず一人で民間船に乗って来るなんて思わなかったわ」
「……。」
二人は、ぽかんとしたままだった。確かに、羽振りの良さそうな格好はしていた。だが、まさか異国の王族で、しかも<王立>の客人だったとは。
「ええと…何日もかけて城の観光をしてるとかいう異国の魔法使いとは出会いましたけど…その人?」
「迷路みたいで楽しいって言ってて、大事な用事で来てるみたいには見えませんでしたけど」
「あー、も~やっぱり道草食ってたんだあの人~。」
シャロットは額に手を当てた。
「どおりで何日も待たされたわけよ。はー」
「ということは、<影憑き>のこともその、ヤズミンに聞いたってことですか」
「そ。それで慌てて調査に来たってわけ」
言いながら、シャロットは手でちょいちょいと他の魔法使いたちをあしらうような仕草をした。
他の白ローブたちが立ち去ってゆく。人払いをする、ということは、彼らには聞かせたくない話があるということだ。
何やら、嫌な予感がしてきた。
「ロードくん、ちょっとだけ二人きりで話せない?」
「…内密の話ですか」
「んーまあ、ちょっとだけねー」
「では、わたしはこれで」
ヒルデは優雅にお辞儀して、その場を立ち去ってゆく。といっても、距離を置いただけだ。視界に二人が捕らえられる場所から、こちらを伺っている。
周囲に誰もいなくなると、シャロットはようやく口を開いた。
「ごめんねえ。わざわざ出向いてもらってする話じゃないんだけど…院長が、キミなら請けてくれるだろうって言うもんだから」
院長というのは、スウェンのことだ。
「今更そんな前置きされても。いつだって問答無用で駆り出されてきたんですよ。」
少なくとも、初回は半ば騙すようにして巻き込まれた。
「今回はちょっと今までとは違うのよー。そのヤズミン殿下、今度うちの使節団とソランで会談するんだけど~、どうしてもロード君も連れて来てほしいって言うのよー」
「…は?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「えーっと、つまりそれは…ソランまで行って、王族に謁見しろってことですか」
シャロットは、大げさに両手を合わせて祈るような仕草をする。
「ほんっっとゴメンね! 私がうっかり口滑らせて、ロード君が<王立>の仕事も引き受けてくれてるなんて言っちゃったから」
「いや、それはいいんですけど、何で、おれなんか?」
「それはこっちが聞きたいわよー、この城で一体、何があったの?」
「何って言われても…」
特別なことなど何も無かったはずだった。ヤズミンとの接点だって、少し会話して成り行きで城の最深部まで一緒に行ったことだけ。あの半日程度の出来事の一体何が、そんなに印象に残ったのだろう。
考えているうちに、ロードも少し気になって来た。
「…わかりました。でも、ヒルデも連れていくのが条件です」
後ろにいる少女のほうを指す。
「彼女は今、うちで預かってるんです。置いていくわけにいかないので」
「えー、それは…うーん、彼女、ノルデン人よね?」
「そうですけど。」
シャロットは、逡巡するような顔でしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて、思い切ったように頷いた。
「…ま~、ロード君の友達なら仕方ない、っかぁ。判ったわー。それじゃ、二人。手配するから」
こうして成り行きと興味によって、ロードたちの次の目的地が決まった。
ソラン王国、――西方に乱立する小国群のうち、沿岸部にある比較的安定した国の一つ。
ノルデンに近い内陸部に比べれば戦乱の頻度は低く治安もいいとは聞くものの、ロードはまだ一度も行ったことがなかった。
西への旅は、順調に行けば海路で約十日。
それは、オリーブの実がまだ青く、小さく硬い夏の初めの頃のことだった。
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