第4話 解けない謎を追いかけて

 ”海の賢者”の住む場所、マルセリョートのある岩礁地帯は、ポルテの沖合い数日の距離にある。

 波は穏やかで船はほとんど揺れることもなく、航海は順調にいった。

 順風のお陰で、この季節なら、小型の船でもほぼ二日で到着する。

 ただし、そこから先は浅瀬が続く海で、小型の帆船といえど直接、中に入っていくことは出来ない。つい最近まで、その場所が誰にも知られていなかった所以だ。


 降ろした帆を帆げたに縛り付けてしまうと、ロードは、水深が比較的深く波も穏やかな場所を選んで錨を下ろした。船は、ここに置いていくしかない。

 ここから先は、備え付けの手漕ぎのボートで岩の間をぬっていくことになる。

 ボートを海に下ろし、縄梯子を垂らすと、彼は、同行者に一応は尋ねてみた。

 「ヒルデ、船酔いは大丈夫か?」

 「ええ、ちっとも酔ってませんよ。潮風が気持ちいいから」

強がりではなく、本当に余裕だった様子だ。フィオなどは、初めて乗った船でひどく船酔いしていたものだが。




 手漕ぎボートで浅瀬の岩の間をすり抜けてゆくと、やがて、海の上に突き出すようにして作られた、ヤシの葉で屋根を葺いた家々が見えてくる。

 「あれが、マルセリョートなんですか? まるで海の上の村ですね」

 「だいたいそれで合ってるよ。奥の方に小さな島もある。それらが全部繋がって、一つの村みたいになってるんだ」

家と家をつなぐ橋の上にいた子供たちが、目ざとくボートを見つけて歓声を上げる。ここへも何度か来ているから、みな、顔なじみだ。


 ロードは、ボートを海上村の世話役であるシンの家の前につけた。そこからは、床下に通じているはしごを使って登っていける。家の中は、大雑把な区切りしかない。寝室以外の部屋は、台所と居間を兼ねた広い部屋だけだ。

 「シンさん」

床から顔を出したロードを見て、部屋の真ん中にあぐらをかいて籠を編んでいた男が、驚いた顔で腰を上げた。

 「ロード! どうした、来るとは聞いていなかったが」

 「驚かせてすいません。ちょっとハルに用があって…」

床下から這い上がると、ロードは、視線をマルセリョートのほうに向けた。

 ふだんハルが陸での暮らしに使っている入り江のある島は、シンの家のすぐ隣にある。だが、そこには今は、ハルの持つ呪文の欠片から発せられる光のゆらめきは視えない。

 「おさは今、出かけているぞ」

言いながら、シンは、ロードの後から這い上がってきた、初めて見る少女に警戒したような視線を向けている。

 「しばらく戻らないと言っていた。鴉の魔法使いと出かけた」

 「レヴィ様とですか?」

ヒルデの言葉で、シンは、彼女が関係者だと察したようだった。警戒していた表情が少し緩む。

 「――急ぎなら、合図を出しておこう」

そう言って、壁にかけてあった虹色の貝殻で作ったレイを取り上げる。

 「それ、あの小島に?」

 「いや。あの島はもう、連絡用に使わないことになった。長にとっては墓標のようなものだから、と。」

 「…ああ。」

マルセリョートの沖合いの島は、<影人>の二人組との苦い戦いの場所だ。そして――母マーシアが、最期を迎えた場所でもある。

 「うちの軒先に出しておけばいい。どんなに遅くとも、一日もあれば気づいてくれる。」

 「そのへんで待ってます。」

ヒルデを視線で促して、ロードは、シンの家を出た。


 青い海。

 反射する光が眩しい。穏やかな波に乗って、透明な海水の中を魚たちが泳いでいく。桟橋から水の中を見下ろして、少女は表情をほころばせた。

 「すごい、まるで水の中を魚が飛んでるみたい」

 「いい場所だろ? ちょっと前までは<影憑き>だらけで大変だったんだけど」

あれから、まだ一年ほどしか経っていない。

 最初にここを訪れた時は、シンも村人たちも警戒心の塊で、悲鳴まで上げられたものだ。

 「そうだ。ここ、おれの友達が住んでるんだよ。最近ポルテの町からこっちに引っ越して来たんだ」

 「あら。じゃ、会いに行ってきて下さい。わたしは、このへんで海を眺めてますから」

そう言って、彼女は桟橋の端のほうに歩いていく。


 ヒルデと別れ、ロードは、幼馴染のニコロが住んでいる小屋を目指した。

 ポルテ出身の赤毛の青年は、釣り好きが高じて、魚の多いこの岩礁地帯に入って住み着いていた。その彼の今の棲家である小屋は、細長い三日月型の島の上に作られている。潮の引いている時なら浅瀬の砂場を渡って辿り着ける場所だ。


 ヤシを組み合わせた簡素な小屋にロードが近づいていくと、入り口の前でナイフを研いでいた青い瞳の少女が、はっとして立ち上がった。ニコロと一緒に暮らしている、マルセリョート出身の少女、アニだ。

 「やあ。ニコロは?」

 「…あの、漁に。」

緊張しているのが伝わってくる。

 この少女はずっとそうだ。

 "長"の息子だからという理由でロードのことを恐れている。――いや、必要以上に畏まっている。


 ロードは苦笑して、ちょっと肩をすくめた。

 「そっか。じゃあ、またあとで来るよ。邪魔してごめんな」

 「……。」

沈黙と、安堵したような溜息。

 何もしなくても話しかけただけでこれだ。

 ここには何度も来ているが、シンやその家族を除けば、住民たちとはあまり話をしたことがない。

 遠慮などされないほうが気が楽なのだが、そうは言っても、なかなか難しい。

 (さて、どうしようかな…)

岩礁地帯は、岩と、砂の小島の連なりで出来ている。今は引き潮だから、砂浜がいつもより長く伸びて徒歩で渡れる範囲も広い。

 脱いだブーツを手に、ロードは、ズボンの裾を捲り上げてぶらぶらと歩いていた。


 小島の向こうには果てしない海が広がっている。

 どこまでも続く青い世界。この島は、どこの国にも属さず、納税の義務や法律も無く、人々は、何百年も昔のままの日々を、のんびりと生きている。

 周囲を岩礁に囲まれているお陰で、近くを通る船の姿が見えることもなく、ここはまるで、世界から取り残された楽園のようだ。


 (あれ?)

ふと、彼は足を止めた。

 砂州の端に見慣れない老人の姿を見つけたからだ。足元に葦で編んだ魚籠びくが置かれているところからして、釣りの最中らしい。肌は真っ黒に焼け、ぼろぼろの短いズボンを腰につけている。

 何かが引っ掛かる。

 その違和感の正体に気づかないうちに、視線を感じたのか老人が振り返った。

 「何だ。何を見てる」

 「あ、すいません。その――」

言いかけて、彼ははっとする。

 違和感の正体は、瞳の色だった。

 ここに住む人々は皆、昼の海のような淡い青い色の目をしているのに、…この老人の目は、黒っぽい色だ。

 「…"長"の子か」

老人は、低い声で呟いた。そして、ロードの反応を待たず視線を釣り糸のほうに戻す。

 「わしに何か用か」

 「用ってわけじゃないんですけど。今まで、会ったことがなかったなーと思って」

 「普段は沖合いに出とる。沖釣り担当だからな。今日は、アニの亭主に舟を貸した」

向けられる言葉は、そっけない。けれど、ほかの住民たちのような距離は感じない

 それにしても、この老人は、一体いつからここにいるのだろう。

 髪も髭も真っ白だが、裸の上半身は引き締まり、二の腕も、遠くまで舟を漕いでいけそうなくらい逞しい。年齢も分からない。

 「あの、こんなこと聞くのも何ですけど。…おじいさん、ここの人じゃないですよね」

 「どういう意味だ」

じろりと、横目に睨む。

 「あ、いや…目の色が、違うから、ここの出身じゃないんだろうなって」

それに、他の住民たちと違ってロードを畏れない。

 「ふん、失礼なことを聞く」

乱暴にルアーを引き戻し、餌を調べて投げ直す。

 「わしは、もう六十年、ここに住んどるんだ。今住んどる大抵の連中よりも長いぞ」

 「六十年?!」

 「流れ着いた頃はまだ若造だった。嵐で、船が難破してな。生き残ったのはわしだけ。今じゃ、ここの一番の年寄りになった。」

それはつまり、ロードの推測したとおり、他所で生まれたという意味だ。そして、この老人は、少なくとも七十歳は越えていることになる。

 「じゃあ、おれの母さんがここに来た時のことも知ってるんですね」

 「ああ。二十年前の難破船だろう? あの時は一度に数十人もここらに押しかけてきて、えらい騒ぎだったな。余所者が、あんなに沢山来たのは、あとにも先にもあの時くらいだ。驚いたよ。あの人嫌いの”長”が、あんなに必死で沈みかけの船を助けるなんてな」

 「…え?」

ぱしゃん、と魚がはねた。釣竿を引き上げる前に、餌を取られてしまったのだ。

 舌打ちしながら、老人は糸を手繰り寄せる。

 「人嫌い、って?」

 「――ん?」

釣り針に餌をつけようとしていた老人が、視線を上げる。

 「いや、人嫌いって、何でですか?」

 「何でって。…」

黒い目がくるくると動く。

 「そうか。あんたの母親がここに来る前の話だ。知るはずもない、か…」

 それから、一つ溜息をついて、再び棹をふった。水音とともに、はるか遠くにルアーが浮かぶ。

 「昔はな、世話役とも必要最低限しか話をせん、余所者なんぞとは一言も口を利かん無愛想な人だった。笑うどころか表情なんざ無い、何を考えとるのかもわからん恐ろしい魔法使いだったよ。――それが今じゃ、昔のような冷たい感じも無くなった。見た目は、わしがここへ来た六十年前から殆ど変わっとらんのだがな」

 「……。」

 「ま、あのお方も人間だったちゅうことだろうな。家族が出来たら人は変わるもんだ。今のほうがずっといい」

 「………。」

胸の奥で何かがざわめく。聞きたいことが湧いてくるのに、言葉にならない。


 "笑うどころか表情なんざ無い"? あの、すぐに泣いたり笑ったりする、何かと感情表現の激しいハルが?


 「ロードさーん!」

遠くからの呼ぶ声で、彼は、はっと我に返った。振り返ると浅瀬の入り口でヒルデが手を振っている。

 「ハル様が戻られたみたいですよー」

 「今行く!」

ロードは釣りを続けている老人のほうに軽くお辞儀をしてから、波打ち際を走り出し た。

 (多分、レヴィも一緒だな)

視界の端には、見慣れた青白い、明滅する輝きが二つある。この世界を形作る”創世の呪文”と同じ輝き。呪文の管理者の中には、魔力の源として宿っている呪文の一部がある。

 管理者は三人。――だから、その輝きを持つ者は、この世界にたった三人しかいない。


  マルセリョートに渡る道は、シンの家の前の砂州だけだ。そこも満ち潮になると浅い海に変わってしまうが、今はまだ、徒歩でも渡ることが出来る。

 ヒルデを連れて島に渡ってゆくと、浜辺に立っている男の姿が見えた。

 (あれ、…今日はちゃんとした服を着てる)

島から出かけていたからだろうか、ハルは、いつもの、他の島の住人たちと同じ腰布一丁の格好ではなく、たっぷりとしたチュニックのような上着を羽織っていた。レヴィがどこかから持ってきたのだろうか。


 その服装を差し引いても、他の住人たちと違う白い肌は遠目にも目立っている。日焼けしないのは、普段は鯨の姿で海の中にいて、ほとんど陸に上がらないからだろう。

 端正な顔立ち。ほとんど白に近い髪と、昼の浅い海に似た淡い青の瞳。

 年は三十前後にしか見えないが、実際は百五十年以上を生きている。


 ロードが駆け寄っていくと、ハルは、振り返って嬉しそうな笑顔を作った。

 「あ、ロード」

――さっき話していた老人の言ったことがちらりと脳裏を掠める。初めて会った時は確かに酷い顔をしていたが、それでも、表情が無かったことなど一度も無い。

 「シンの家に印が視えたから、急いで戻って来たんだ。今日は、何の用? 後ろの女の子の紹介とか?」

 「えっ…」

ヒルデが慌てている。ロードは、少しむっとした。

 「そういう冗談言ってる場合じゃなくて。…用事は二つ、いや、三つかな。レヴィは、どこだ?」

 「ここだ」

頭上から声がした。見上げると、入り江の背後にある崖の上に突き出したヤシの木の下に、レヴィが立っていた。

 「…何してるんだよ」

 「いいカンジに熟れてる実があったから、ひとつ拝借してただけさ。」

言いながら、重力を無視した動きでひょいひょいと崖を駆け下りてくる。いともたやすく使っているが、魔法の中でもかなり上級の、空間制御の魔法の一つだ。

 ロードは呆れ顔になる。

 「おやつの調達に、魔法使うとか…」

 「魔法ってのは、こういう時にこそ使うもんだろ。で? 用事って。こっちも色々取り込み中だったんだけど」

 「<影憑き>がいたんだ、大量に」

ぴく、とレヴィの表情が動く。

 「どこだ。シンダリアか?」

 「シンダリア? …いや、エベリアだ。うちの村の近く、古い城の地下室に隠し部屋があって、その中にいた。」

 「エベリアの城?」

黒髪の魔法使いは首をひねりながら、ハルのほうに視線をやる。

 「ハル、どうだ?」

 「今、視てる。」

と、ハル。

 彼には、文字どおり、遠く離れた場所の風景が「視えて」いる。世界中の何処であれ見通す千里眼は、”海の賢者”の固有の能力だ。

 「確かに、城の地下に闇のわだかまりがあるね。外に漏れて来てはいないみたいだけど――」

 「はあ、そこもなのか」

レヴィは溜息をつきつつ、器用にヤシの実に魔法で穴を開ける。

 「そこ"も"?」

 「妙なことに、ここんとこ<影憑き>が纏まって出現してるんだよ。それも、ずっと閉ざされてた城の地下室とか、崩落で行き止まりになってた洞窟の奥とか、長年閉じたままだった蔵とか…しばらく誰も入ってなかったような、忘れられてた場所から」

 「それってエベリアも同じですよね」

ヒルデが言う。

 「どうして今まで気がつかなかったのかしら」

 「さあな。最初はハルが見落としたのかとも思ったが…」

言いながら、レヴィはちらりと傍らの男の方を見る。

 「いくら何でも、これだけ続くのはおかしいからな」

 「あんなに纏まって居たらすぐ判る。さすがに、僕のせいじゃないよ」

ハルも苦笑している。

 「じゃあ何でだ? っていうか、あの城は何なんだ? あんなところに城があったこと、おれは最近まで知らなかった」

 「そうなのか? ハルは?」

 「うん、僕も知らないな」

 「えっ、でも…」

ヒルデが怪訝そうな顔をしている。

 視線を戻し、ハルは、他の三人を見回した。

 「マーシアやロードの住んでるあの村のことは、ここからずっと視ていたから、その周りの地形も、町や村のことも知ってる。あの町には少し前まで城なんて無かった。それは確かだ」

 「でも、ロードさんの村の人は知ってましたよ」

と、ヒルデ。

 「それに、エベリアの町の人も。遠くから来た観光客だっていましたし…」

 「なんか、他でもそんな感じの食い違いが、あったなぁ」

レヴィが頭をかく。

 「ハル、最後にそのエベリアって町を視たのは?」

 「たぶん、一年くらい前。僕らがテセラのことで苦労してた頃かな」

 「ってことは、前回、”創世の呪文”を起動させた時に何か起きたんじゃないのか?」

 「それも考えにくいんだよなあ。世界はちゃんと再生された。問題ないことは確認済みだ。それに、一部の再構成に失敗してたとしても、情報が抜け落ちるならともかく、無かったところから”増える”なんて考えられない。」

 「じゃあ…。」

沈黙が落ちる。答えは、考えていてもすぐには出そうに無い。


 「で、残りの二つの用事ってのは」

ヤシの実の果実をほじりながら、レヴィが訊ねる。

 「ああ、そうだった。そっちのほうが重要な用かもしれない。――これを見て欲しいんだ」

ロードは、上着のポケットに入れていた丸い石を取り出して、手の平に載せて二人の目の前に差し出した。

 「その、問題のエベリアの城の地下で見つけた謎の石だ。"賢者の瞳"って呼ばれてるものらしいんだけど」

 「魔石か?」

 「多分。その、<影憑き>の湧いてるあたりに落ちてたんだけど、正体が良く分からないんだ」

眉を寄せながら、レヴィが片手を差し出す。


 だがそこで、思いもよらなかったことが起きた。石を摘み上げようとしたレヴィの指が、なぜか空を切ったのだ。

 「…ん?」

 「えっ」

指の感触を確かめ、彼は石をじっと見つめる。

 「おいハル、こいつは…」

 ハルも手を差し出した。そして、同じように石に触れられないことを確かめる。

 「触れない…?」

 「嘘、どうして? わたしもやってみます」

慌ててヒルデがロードの手の上の石を軽く摘もうとして――指が空を切った。

 「――え?」

驚いたのはロードのほうだ。

 「みんな…触れないのか…?」

 「どうなってんだよ。むしろ何で、お前だけ触れられるんだ?」

 「村のほかの人は? どうだったんですか。先生のところにも持って行ってたでしょう」

 「いや、直接渡したわけじゃないから…」

最初に見つけた時からずっとロードが持っていて、村の教師のガトにも、見せただけで手渡してはいなかった。こんなにはっきりと目に見えているものが、まさか他の誰にも触れることの出来ないものだなどと、普通は思わない。

 「ふうん。面白くなってきたぞ」

ヤシの実を片手に携えたまま、レヴィは、にやりと笑う。

 「謎の<影憑き>発生に、突如現われた城。おまけに触れない魔石だって? ロード、相変わらず厄介ごとに首を突っ込むのが巧いじゃないか。このぶんだと、話の最後の一つにも期待できそうだな」

 「狙ってやってるわけじゃないんだけどな…」

小さく溜息をつきながら、ロードは、口を開いた。

 「三つ目は、大した話じゃないよ。春先からずっと、誰かに見張られてる感じがするんだ。気配はあるのに姿は見えない。魔石の気配はないから、魔法使いが姿を消してるわけじゃないみたいだけど…」

 「……。」

 「って、…どうしたんだ、二人とも」

 「ヒルデが同居しはじめてから、か。だとしたら…ふーん」

 「ロード」

珍しく、ハルが硬い声を出した。意外なほど真剣な顔をしている。

 「誰か女の子の告白を断ったりした? 恨みを買った心当たりは?」

 「……。いや、おれ、真面目に言ってるんだけど。」

 「お前、自分の外見とか判ってないし、そーいうの疎そうだからなぁー」

手の上でヤシの実をボールのように弄びながら、レヴィはどこか楽しそうに言う。

 「絶対知らないところで女の子を泣かせてるクチだと思ってた。」

 「ロード、本当に心当たりはない?」

 「二人してわけの分からないこと言わずに、真剣に聞いてくれよ。誰かにつきまとわれてるような気がして、ずっと――」

 「ロードの近くには、怪しい者は誰も居ないよ。居たら気がついてる」

と、ハル。

 「だろうな。ほんとにちょっちゅう、覗き見してるからさ。この親バカは」

 「な、…」

 「実害は無いんだろ? だったら気にすんな。そのうち正体も判るさ。」

意味深に片目をつぶって、レヴィはにやりとした。


 どうやら、これ以上は説明しても無駄なようだった。それに説明しようにも、ロードにだって、何と言っていいのか分からないのだ。

 単なる"思い過ごし"でないことだけは確かだった。根拠を尋ねられても答えられないが、直感的に、そう断言できると思っていた。ただ、少なくとも、「ハルにも視えていない」ということだけは、確認出来た。

 「とりあえず、エベリアには行くしかないね」

視線を海の彼方に向けながら、ハルが言う。

 「<影憑き>が外に漏れないうちに、早めに処置をしたほうが良さそうだ。それ以外のことは、その後。」

 「やれやれ。休み無しか。ま、仕方ないんだけど」

 「おれも手伝おうか?」

 「いや、いい…手伝われると、余計にやることが増えそうだし」

 「どういう意味だよ」

 「厄介ごとに首突っ込みすぎるんだよ、お前は。その挙句に、読めないタイミングでいきなり死に掛ける! 見てるほうの気にもなれ」

後ろで、ハルがくすくす笑っている。

 「どうせなら、レヴィ、君の抱えてる用事のほうをロードに代わって貰ったら? ほら、例の人探し」

 「ええ?」

 「そっちは別段、危険も何もないだろう」

 「うーん、まあ、…そうだけどさ」

迷うような表情を見せ、しばし考えたあと、レヴィは、ロードのほうに向き直って言いづらそうに切り出した。

 「…面倒なら適当に切り上げてもらっていいから、出来るとこまで調べてもらえると、助かるんだが…」

 「何だよ、もったいぶって。誰を探すんだ」

 「ぼくの兄弟子たち――ジイさんの弟子だった三人のうち二人の、家族、ないし現存する親戚か知り合いだ。名前はイングヴィとジュリオ。イングヴィのほうはノルデンの貴族出身、ジュリオはアステリア人。それ以外の情報は殆ど無い。」

 「それって…」

以前、レヴィが話していた、十年以上前に”風の塔”で暮らしていたという兄弟子たちのことだ。

 「ジイさんももう、長くない。心残りは少しでも減らしておきたいんだ。もしまだ家族が存命なら、あいつらが死んだことを伝えて遺品を返してやりたいんだよ」

 「判った。そういうことなら協力するよ。」

ロードは頷く。人探しの依頼なら、何度も請けたことがある。お手の物だ。

 「あとで、お前の家に情報のメモを置きに行く。悪いな。これは、本当はぼくが何とかしなきゃならない話なのに」

 「たまには人を頼ってもいいだろ。それに、レヴィたちにしか頼めないこともある。おれの心配ごととレヴィの心配ごとを交換だ。それでいいだろ?」

 「そうだね」

ハルも頷く。

 「<影憑き>のことと、突然現われた城のことはこっちの役目。役割分担。じゃあ、行こうかレヴィ」


 二人が去りかけたとき、ロードはふと、もう一つ、聞きたいことが残っていたことに気が付いた。

 (そうだ、あの手紙…)

慌てて声をかける。

 「レヴィ。おれの家に手紙を届けたりしたか?」

 「手紙?」

ヤシの実を傾けて果汁をすすっていた黒髪の魔法使いが、振り返って首をかしげる。

 「何のことだ?」

 「…いや。だと思った」

やはり、あれはレヴィが置いていったものではないのだ。

 だとしたら、一体誰が? あの視線の主? でも、ハルは誰もいないと言っていた――ハルに"視え"ない存在など、この世界にはいるはずもないのに。

 「ロード」

 「ん」

顔を上げたとたん、白いものが覆いかぶさってくる。

 「わっ、な、何」

 「――ふふっ。じゃ、またね」

ぎゅっと抱きしめたあと、かすかな潮の香りとぬくもりを残して、ハルは、先を歩くレヴィとともに崖に空いた洞窟の奥に姿を消した。


 その奥にはレヴィが<旅人の扉>――”風の賢者”の固有の能力で空間を繋ぐためにしつらえた、何処にも繋がっていない、ただの扉がある。

 扉さえあれば、世界中のどこへでも繋ぐことが出来る。

 レヴィがいる時は何処にでも繋がるし、逆に、どこからでもここへ戻って来ることが出来る。

 それが、<旅人の扉>という能力なのだ。


 「…休みもせずに行くのか。本当に忙しいんだな」

 「もう少し、お話ししてたかったですね」

と、ヒルデ。

 「あと、あの――びっくりしました。ハル様って、ロードさんにそっくりなんですね」

 「え、そう?」

自分では全くそうは思っていないのに、

「おれは、どっちかというと母さん似だと思うんだけどな…。あ、ごめん、そういえば、ヒルデのこと紹介してなかった」

 「いいんですよ。会うのは初めてでしたが、ご存知だと思いますから。それに、またお会いできるでしょう?」

 「まあね。近くだし」

言いながら、ロードはほんの少しだけ、物足りないような、少し寂しいような感情を覚えていた。

 (もう少し、ハルと話がしたかったな…)

 一年前までは、自分の父親がまだ生きていることも、それがどんな人物なのかも知らなかったし、想像もしていなかった。出会った直後は、あまりの不甲斐なさに怒鳴りつけたりもしていた。

 けれど今は、以前なら抱くはずもなかった感情が、芽生えつつあった。




 結局、ハルたちに会って話しても、分からないことは分からないままだった。それどころか謎は増えた。

 エベリアの城の地下にいた、あの<影憑き>たちのことを伝えられたお陰で一つは心配ごとが減ったものの、世界中のあちこちで、同じようなことか起きているというのは、気にかかる。それも、単純にハルが見落としていたわけではなく、「最近になって、突然に」というのが。

 けれど、そちらについて今出来ることは無い。レヴィとハルに、任せておくしかない。


 シンの家に床を借りて島に一泊したあと、ロードたちは、翌日には予定どおりポルテに向かって帰路を辿った。

 やるべきことは、人探しの依頼だ。



 

フィブレ村の家に戻ると、二階の机の上にレヴィの字で書かれたメモが置かれていた。どこか旅先から<扉>を繋いでロードの家にやって来て、置いていったのに違いない。

 書かれていたのは、外見とおおよその年齢、得意だった魔法、持ち物。

 あまりにも断片的な、――だがそれが、十年と少し前にどこかで死んだ二人の魔法使いの手がかりの全てなのだった。

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