第2話 古城に潜む闇

 目的地、エベリアの町は、村から二日ほど西に向かった場所にある。

 辺鄙なところにあるフィブレ村に比べれば街道に近く、人の行き来もずっと多い。ロードも何度も訪れたことがあったはずなのだが、古城を観光の売りにしているなどと聞いた覚えもなかった。

 けれど改めて訪れたその町の郊外には、確かに「古城」があり、町の観光ガイドにも看板にも、「謎の迷宮」だの「古城探検ツアー」だのの文字が躍っている。

 「ふうーん、いつ誰が建てたかも分からない謎の城なんですね。面白そう」

城に続く道の入り口に建てられた看板を読みながら、ヒルデが呟く。

 「あっほら。宝探しツアー、なんていうのもやってますよ」

 「そうだな…」

ロードは眉を寄せたまま、じっと、町と隣接する郊外に見えている石造りの城を眺めていた。


 やはり違和感がある。

 本当に、全く記憶にないのだ。


 二つの丸い大きな丘の間にすっぽりと挟まるようにして作られた城。

確かにそれは、ずっと昔からそこにあったかのように見える。町の様子からしても、昔から観光に使っていたような雰囲気がある。

 だが、記憶にある限り、この町で「城」など、見た覚えがないのだ。

 「…本当にこんな城、ここにあったっけな」

 「え?」

 「いや、何でもない。とりあえず行ってみよう」

城の入り口には、おみやげ物屋にツアーガイドに、探検に必要なランプや食料を売る店まである。見取り図も売られていて、おまけに入場料が必要だという。

 「完全に観光名所だな。」

ロードは呆れてしまった。

 外から見る限り、「城」はそれほど大きくはない。このぶんでは、"隠されたお宝"などとものが本当にあったらとっくに発見されているに違いない。

 「いいじゃないですか。お城を探検するのって楽しいでしょ」」

 「…あんたの実家も、城みたいなもんじゃなかったっけ」

 「自分の家じゃ探検にならないでしょ。よそのお城だからいいんですよ」

そういう問題ではない気がしたが、敢えて反論はしないことにした。


 今回のこれは、仕事ではない。ロードとしてはあくまで「気晴らし」、そう、ヒルデを外に連れ出す口実の一つのつもりだった。

 あの手紙を置いていったのがレヴィにせよ他の誰かにせよ、どんな意図があったにせよ――彼女が楽しんで、満足してくれるならそれでいい。


 しきりと声をかけて来るみやげ物屋の客引きたちをかわしながら、ロードは、城に向かって歩き出した。




 不思議な気分だった。

 何度も来ていた町なのに、覚えのない風景がそこにある。

 城を挟みこむ二つの丘さえも、初めて見る光景としか思えなかった。エベリアの町の郊外は、だだっ広い草原だったはずだと記憶しているのに――それとも、自分が何か思い違いをしているだけなのだろうか。


 考えているうちに、城の目の前についた。 

 門の前に立って見上げると、灰色の城が山を背にずっしりと迫ってくるような感じがある。無骨で、窓がほとんどない。入り口は三階部分についていて、地上には出入り口さえないのだ。

 「お城っていうよりは、まるで要塞ですね」

見上げながら、ヒルデが呟く。「住みづらそう…」

 「そうだな」

ロードの目には、石で何かに蓋をしたようにも見えた。まるで墓場だ。

 観光客たちは、手にロウソクやカンテラを持ち、肝試しのようなノリでぞろぞろと中に入っていく。

 「わたしたち、明かりはどうしましょう」

 「これがあるから問題ない」

ロードは、太陽石の短剣を抜いた。以前レヴィに貰ったものだ。

 太陽石は魔石の一種で、常に微熱とほんのりした輝きを放っていて、明かり代わりにも使える。

 「ほう、いいものを持ってるじゃないか」

ふいに、隣から陽気な声が聞こえてきた。


 振り返ると、浅黒い肌の若い男が立っている。

 年は二十半ばくらいだろうか。見慣れない異国風の格好だ。肩に巻いた赤いスカーフには、手の込んだ透かし織りが施されている。どこか遠く――多分、西の方からの裕福な観光客だろうか。

 「兄さんたち、この辺の人?」

 「近所っていえば近所だけど…来たのは初めてかな」

答えながら、ロードは、男が指に嵌めている大きな石のついた指環に視線をやった。無骨な作りではあるが、感じからして由緒のありそうな骨董品だ。それに、はめこまれている石はただの宝石ではなく、魔石だった。


 魔石というのは、その名の通り、魔法を使うための媒介として使用する特殊な鉱石だ。

 産地はごく少数に限られていて、その中でも良質なものは滅多に手に入らない。下手をすれば、そのへんの貴石などよりずっと高価な代物だ。それを、単なる装飾用の宝石に使う者などいないし、一般市場に出回ることはまず無いから、意味を知らず身につけていることはあり得ない。

 「あんたのほうは? アステリア人じゃなさそうだけど」

 「オレは、ソランから来たんだ。知ってる? ソラン王国」

その国名には、微かな聞き覚えがあった。

 小国が勃興しては滅亡する不安定な西方においては珍しく政権の安定している国の一つで、アステリアとの正式な国交もある…はずだ。

 「聞いたことはあるよ。西の海沿い…だったかな。確か、ポルテの港町から一ヶ月に一回くらい定期船が出てたはずだ」

 「そそ、その船に乗ってきたんだよねえ」

男は、愉快そうに笑う。

 「次の船は半月も先だし、少しゆっくりしてるのさ。ここんとこは、ずっとこのお城の探検でね」

 「ずっと?」

ヒルデが驚いている。

 「一週間くらいかな。それでも、いまだに迷う。面白い城だよ、ここは」

 「狭そうに視えるのに…広いんですか。」

 「ああ。地下部分がね。噂に違わずの迷路さ。面白いぞ」

くすくすと笑って、男は手を振った。

 「おっと、デートの邪魔をしちゃ悪いか。それじゃあオレはこれで。楽しんでいくといい」

 「いや、デートじゃ…」

 「またな」

言うだけ言って、男は馴れた足取りで城の入り口に続く階段を昇って行ってしまった。

 「何なんでしょう、あの人。一人旅だから、話し相手が欲しかった、とか?」

ロードは小さく首を振る。

 「違うな。たぶん、探りを入れられたんだと思う」

 「え?」

 「あいつ、魔石を持っていた。ただの飾りにしちゃあ上質だったし、魔法使いなんだろう。――それで、こっちは太陽石を持ってたから。」

 「魔法使い仲間だと思われたってことでしょうか」

 「かもしれない」

階段を登ってゆく男の後姿は既に他の観光客の群れの向こうに見えなくなっていたが、姿は人ごみに紛れても、男の持っていた魔石の輝きはまだちらちらと見えている。


 魔石の輝きの強さは、石の持つ力の強さ、つまりは引き出せる魔力の量に比例する。扱える魔力の大きい魔法使いほど、強い力を持つ石を身につける。


 ソラン王国から来た、と男は言った。

 定期船で順風に乗っても一週間かかる距離だ。そんな遠方の魔法使いが、一体何をしにこんなところまでやって来たのだろう。




 それから少し後、ロードたちも城の入り口に辿り着いていた。

 目の前にぽっかりと空いた入り口の奥は完全な闇で、明かりがないと何も見えない。奥の方からは、悲鳴にも似た声が響いてくる。


 輝きを放つ太陽石のナイフを掲げながら、ロードは、廊下を形作る石組みを見回した。古そうな作りで、確かに最近出来たものではなさそうだ。壁に手を触れると、ひんやりとした感触とともに妙に湿っぽい感じがある。

 「ヒルデ、あんまり離れるなよ。光がないと迷って出られそうに無い」

 「判ってます」

入り口あたりは人も多いが、奥に入っていくにつれて人の気配と光が消える。

 歩いているうちに気がつくと、周囲はしんとした静けさに包まれ、いつの間にか全く光の無い完全な暗がりになっていた。濃い闇の色。ぴったりと作られた石組みは、明かりの差し込む隙間も、小窓の一つさえない。

 「これじゃあ、人は住めないですね。何のために作った城なんでしょう」

 「さあ…、本当に迷路のつもりだったのかも」

明かりを掲げたとき、視界に、何か青白いものがちらりと光った。

 「ん?」

近づいてみると、壁に小さな石がはめ込まれていた。輝きは弱いが、魔石のようだ。

 「どうしたんですか」

ヒルデが後ろから覗き込む。

 「魔石だよ、ほら。壁にはめ込んである。あっちにも…ずっと続いてる」

ロードの眼には、石の輝きが通路の奥へと連なって見える。その目は、”海の賢者”の持つあらゆるものを見通す力、<真実の眸>の力の一部を受け継いでいる。

 余計なものが見えすぎるのは厄介だが、使いようによっては便利だ。


 部屋をいくつも通り抜け、廊下を渡り、光は、フロアの端にあった目立たない階段へと誘っている。

 「行ってみよう」

妙に気になって、彼は迷路のような廊下を、魔石の輝きに従って奥へと入っていった。まるで道しるべだ。ちょうど目の高さのあたり、青白い輝きは、眩しすぎず見失わない程度の絶妙な光でいずこかへ導いていく。


 しばらく歩いたところで、目の前に階段が現れた。

 階段の下は何も見えない。見えるものといえば、階段の脇にぽつりと輝く、魔石の小さな輝きだけだ。人の気配もなく、妙に空気が埃っぽい。おそらく、滅多に人の来ない場所だ。

 「どうする?」

 「行ってみましょうよ! 何かあるかもしれませんよ」

ヒルデは乗り気だ。

 「大丈夫ですよ。お城の中なんですよ、お化けが出るわけじゃないですし。それに太陽石なら、明かりが尽きる心配もないでしょう」

 「まあ、…そうなんだけど」

 (こんな判りにくい道しるべ…、一体どうして作ったんだ?)

魔石の輝きの視えるロードならともかく、普通の人間の眼では、この小さな石の粒を探し出すのは簡単ではない。


 明かりを掲げて階段を見下ろしながら、彼は、何か居心地の悪い釈然としない思いを抱いていた。

 (こんな、誰も来なさそうなところに、どうしてこんな手の混んだ仕掛けを…)

だがその予想は、階段を降り切ったところで早くも裏切られることになった。

 突然目の前に、光の塊が現われたのだ。

 「うわっ」

 「えっ?」

とっさに太陽石のナイフを翳すと、光の中に、見覚えのある顔が浮かび上がった。

 「あんた、さっきの…」

ソランから来たと言っていた、あの男だ。左手のあたりに光がある。

 ランプやロウソクの光ではない。何もないところに、ぼんやりとした輝きの塊が浮かんでいるのだ。

 「発光の魔法…」

ロードは思わず呟いた。

 男の左手にはめた指環は、内側に回されて石が手のひらに触れるようにされている。魔法を使う時には魔石に触れている必要があるからだ。

 「やっぱりあんた、魔法使いだったのか」

 「大した魔法は使えないがね」

男は肩をすくめる。

 だが、魔法は誰にでも使えるものではない。安定して実用的な魔法を使える時点で、十分魔法使いと名乗る資格がある。それに、ここにいるということは、入り口からここまでずっと、光を灯し続けていられたはずなのだ。

 「兄さんたちは、どうやってここに?」

 「どうやってって…、壁に魔石がはめ込まれてたから、それを追いかけて」

 「ははん、探知の魔法だな」

 「……。」

違う、と否定するつもりだったが、説明するのが面倒なので、そういうことにしておく。

 「あんたのほうは、何でまたこんなところに?」

 「そちらと同じさ。宝探し、といったところか」

男は、壁の方に向き直った。

 「この城の言い伝えとやらに興味があってね。実際に来てみるまではどうせ何もないと思ってたんだが――。どう思う?」

 「どうって…」

 「城にしちゃあ、人が暮らせる要素が何もない」

 「…それは、確かにそうだけど」

 「ことによっちゃ、本当に宝があるんじゃあないかって、そんな気分にならないか?」

悪戯っぽく、妙に生き生きとした表情。

 「判ります」

ロードが何か言うより早く、ヒルデが力強く頷いた。「わくわくしますよね!」

 「だろう? というわけで、だ。どうかな? 目的が一緒なら、この先は一緒に行ってみないか」

 「いや、おれは別に宝とか興味な…」

 「宝探し! いいですね!」

 「……。」

ロードは、渋い顔で口をつぐむ。

 男は笑顔で手を差し出した。

 「よーしそれじゃ、改めて自己紹介といくかな。オレはヤズミン。よろしくな」

 「…ロードだ」

差し出された手を断るわけにもいかず、ロードは、名乗りながらその右手を受けた。「こっちはヒルデ。ノルデンから来てる友人の妹」

 「よろしくお願いします」

 「ロードにヒルデか。よろしくな!」

正体の分からない異国の魔法使いと暗闇で同行するのはあまり得策ではない気もしたが、無理に断るだけの理由も思いつかない。


 こうして、一行にはなし崩し的に三人目が加わった。

 「ちなみに、この先はあと二階、階段を下ることになる」

先に立って歩きながら、ヤズミンが軽快な声で言う。

 「よく知ってるな」

 「何日も歩き回ったからな。しかし、その先がよく分からない。突然道しるべが消えてしまう」

 「消える?」

 「正確には、多すぎて判らなくなる、というべきか。そこに行けば意味がわかる。」

二つの光源が照らし出す廊下の端に、確かに階段が現われる。周囲は完全な静寂に包まれ、三人の足音と声だけが反響していた。誰も来ない真っ暗な通路は、しん、と静まり返って、まるで、世界全体が闇に包まれてしまったかのようだ。


 胸の辺りがざわめく。

 暗がりそのものが怖いわけではない。「常に闇の中にある」ということ、闇に閉ざされた迷宮であるということ。その二つが、何か嫌な予感をさせるのだ。

 ――この城を作った誰かは、一体どうして、こんな構造にしたのだろう。これでは、まるで、かのようだ。

 「お、ここだ」

最後の階段を降りてしばらく歩いたところでヤズミンが足を止めた。光を生んだ左手を掲げると、八本の通路が交差する丸い広間が、闇の中に浮かび上がる。

 「天井を見てごらん」

 「天井?」

 「わあ」

ヒルデが声を上げた。半円型に作られた天上には、星を象るように夜光石がちりばめられている。夜光石はその名のとおり暗がりでぼんやりとした光を発する石で、太陽石より輝きは弱いものの、逆にそのお陰で夜空のような見た目を作り出すことに成功している。ずいぶんと凝った作りだ。

 「ここから先、どの道を辿っても最終的には行き止まりだ」

言いながら、男は八本の道を見回した。

 「ここでもう四日も考えてるんだ。さて、ここからどうすればいいのやら。」

 「四日……、」

成程、この男がロードたちに声をかけてきた理由が何となく見えてきた。

 自分一人では解決できないから、同じような興味を持ってここへやってくる、別の魔法使いを待っていた、ということか。


 ロードも、通路をぐるりと見回した。

 どこにも魔石の光はない。あるのは頭上の輝きだけだ。だとすれば、ヒントは天井にあるのか。それとも、ここから先は魔石以外の手がかりなのか。ヒルデも同じように、あちこち見回して歩き回っている。

 その足元に何気なく視線をやったロードは、はっとした。

 「ヤズミン、もうちょっと光を大きく出来ないか」

 「ん? …こうか」

魔法で生み出された輝きが大きくなり、床全体を照らし出す。床面の石はなめらかに磨かれて、幾つもの小さな石をはめ込んで作られたようになっていた。

 ロードは、その一画に近づいてしゃがみこむと、手の平ほどの四角い石に触れた。

 「ここに何かある」

言いながら石の表面を押してみたとき、どこかで鈍い音がした。

 「あ」

振り返ると、壁の一部が崩れて、今まで見えなかった通路が口を開けていた。

 「おおお!」

ヤズミンが雄たけびを上げた。

 「すごいっ、兄さんあんた天才か。いやプロだな。さてはプロのお宝ハンターか!」

 「ロードさんすごいです! さすがですね」

 「……。」

隠し通路の存在に驚いているのは、誰よりもロードだった。まさか本当に、この城が何か隠していたとは。おまけに、こんな簡単な仕掛けだとは。

 (床に魔石が埋め込んであっただけなんだけどな…)

どうしてヤズミンは気がつかなかったのだろう。

 そう思いながらナイフを翳して床を見た時、ロードにもようやく理由がわかった。

 床の表面に見えていた石はごく普通の石で、その下に小さな魔石を隠してあったのだ。


 魔石の輝きの視える者でなければ、それには気づかない。探知の魔法を使ったとしても、よほど繊細な探知をかけない限りは、天井の、無数にはめ込まれた魔石のほうに気を取られて、足元まで注意が向かないはずだ。

 「簡単な仕掛け」だと思ったのは、それがロードだったからだ。特殊な眼でも持たない限り、気づくのは困難だ。

 この仕掛けを作った何者かは、きっと、「余程のことがない限り見つからない」という自信を持っていただろう。


 「凄いぞ! こいつは、本当にお宝があるかもしれない」

ヤズミンは、興奮した声で言う。振り返ると、男は、ヒルデと一緒になって隠し通路の入り口のあたりで騒いでいる。

 「そこの奥、何か、あるか?」

 「何も見えないです。光でも照らせなくて――深いですよ、ここ!」

二人の後ろから覗き込んでみると、確かに、行く手には真っ暗な世界が広がっていた。ヤズミンが魔法で目一杯に光を大きくしても、床も壁も、天井すらも見えない。


 相当に広い空間なのか。

 何も見えないぽっかりとした空間、床が切れ落ちている先には、闇しかない。


 いや。

 一つだけ、"視え"るものがある。


 「……何だろう、あれ」

 「あれ、って?」

二人は、不思議そうな顔をしてロードの指差す方角を眺めている。

 「何も見えませんよ」

 「そんなはずないだろ、ほら」

ロードも、壁に開いた穴から飛び降りた。後ろでヒルデが小さく悲鳴を上げる。

 だが、落下はしなかった。

 足元が妙にふわふわして、地面ではないもののうえを歩いているような感覚だが、床のような”何か"があるのは確かだ。

 彼は手を伸ばすと、闇の中から無造作に石を掴み取った。

 「これだよ」

戻って手を開くと、滑らかな表面を持つ青い石が一つ、載っている。

 覗き込んで、二人は目をしばたかせた。

 「ほんとだ…綺麗な石ですね」

 「変わった石だが、これは、魔石なのかい?」

 「だと思うけど」

表面にぼんやりと見えている輝きは、間違いなく魔力を帯びているものの光だ。けれど、その輝きは不安定で、普通の魔石のように一定の周波数ではない。

 「でも、これだけ? お宝は?」

 「うーん、他には、何もなさそうだけど…」

振り返って、ロードはもう一度、闇の中を見回した。


 と、その時だ。


 違和感とともに目尻をチクリと刺すような感覚に襲われた。

 「…っ」

手を上げて目元を押さえる。

 こんな感覚は、<影憑き>が頻繁に出回っていた時いらいだ。間違うはずもない。今まで何度も、この感覚の正体と戦ってきた。

 「――急いで、ここを閉じないと」

 「え? 閉じる?」

闇の奥がざわめいている。ロードは、ヤズミンとヒルデの腕を掴んだ。

 「<影憑き>だ!」

叫ぶのと同時に、ギチギチ、と耳障りな低い音が聞こえてきた。生きた動物が発することのない、生命なき者の声だ。

 二人の表情が変わる。ヒルデが剣を抜くのとほぼ同時に、闇の中から闇の気配が迫ってきた。

 「光!」

ロードが怒鳴る。

 「時間稼いでくれっ」

駆け出すロードの後ろ手、ヤズミンは、自ら持てる力いっぱいに光を生み出していた。まばゆい白い輝きが、彼の握りこぶしを光源として部屋一杯に広がっていく。

 「ギィッ」

通路の入り口まで差し掛かってそこを乗り越えて来ようとしていた獣が一匹、光にまともに打たれて一瞬にして干からび、穴の向こう側に転がり落ちていく。

 <影憑き>は、影を生命としている以上、光に当たると元の躯に戻ってしまう。光を嫌い、決して光の下では動くことの出来ない存在なのだ。


 ヤズミンが時間稼ぎをしているすきに、ロードは、さっき隠し通路を開いた床の石にところに駆け戻って石の表面を叩いてみた。巧くいくかは分からない。が、何とかしてここで食い止めなくてはならない。

 穴の向こう側にいる<影憑き>の気配は一匹や二匹のものではなかった。ここで逃がしてしまったら、城の上の階にいる観光客も、近くの町も、被害をこうむることになる。

 「うへえ、なんだあの数…」

ヤズミンの悲鳴が聞こえてくる。開いたときと同じように石を押し込んでいるのに、隠し通路の壁は動かない。ロードは苛立ちとともに拳で石を叩いた。

 力いっぱい体重をかけたとき、どこかで鈍い音が聞こえた。

 「閉まっていきます!」

ヒルデの声。

 振り返ったロードは、隠し通路が元通り壁の向こうに閉ざされていくのを見た。ギチギチという不快な声が遠ざかっていく。背内を冷たい汗が流れ落ちていく。


 なんとか――なった。

 石が完全に閉ざされきると、三人はほっと大きく息をついた。

 「危ないところだった」

 「ああ、びっくりした…」

ヒルデは片手を胸に手を当てながら剣を鞘に収める。

 「<影憑き>を見るのなんて、いつぶりかしら」

<影憑き>は、世界の裂け目からやって来る<影>が、死に瀕した生き物に取り憑いたときに生まれる。本来は、世界の管理者である”賢者”たちが人知れず処理しているから、人目に触れることはほとんどない存在だ。

 少し前に、大陸の東側に広がる国々、ノルデンとアステリアに、大量の<影憑き>が現れたのは、その”賢者”に問題が起きていたせいなのだが、それも解決して、もう大量の<影>が紛れ込むことなど、起きないはずだったのに。

 「まさかあれが、財宝を守る…守護者、とか?」

 「そんなわけないだろ。<影>なんだから。」

ぶっきらぼうに言って、ロードは、小さく首を振った。

 隠し通路の向こう側の空間は、とてつもなく広く感じられた。それこそ、丘全体をくりぬいたくらいに。

 きっと、その中のどこかに世界の裂け目が新しく生まれていて、最近になって<影>が紛れ込んだのだ。――そうでなければ、自分たちが見たものの説明がつかなくなる。


 ヤズミンが、ぽつりと呟いた。

 「…帰ろう。そろそろ、太陽の光が恋しくなった」

それには、他の二人も同意した。

 「あの<影憑き>たち、まさか壁の向こうから出てきたりしないですよね」

 「今までエベリアの近くで<影憑き>が出た話は聞いたことがないから、大丈夫だと思う。」

それに、あれだけ大量に居れば、千里眼を持つ”海の賢者”、ハルが、すぐ気づくはずだ。

 (…まさか、まだ気づいてない、なんてことは、無いよな?)

ふと、ロードは心配になってきた。

 以前のハルならともかく、さすがに今は、きちんと役目を果たしているはずだ。


 ――多分。




 追われるように足を急がせ、ようやく出口まで戻って外から漏れて来る光を目にしたとき、三人は、誰からともなく安堵の溜息をついた。

 楽しげに行き交う観光客たちは、誰も、奇妙な城の地下や<影憑き>を閉じ込めた広大な部屋があることなど気づいてもいない。ロードたちも、言うつもりはなかった。

 <影憑き>に知能はない。あのまま閉じ込めておきさえすれば、とりあえずは誰も被害を受けない。


 出口を出たところで、ヤズミンが思い出したように振り返った。

 「そうだ、さっきの…魔石? 持って帰ってきたかい」

 「ここにあるよ」

ロードはポケットから石を取り出す。

 太陽の輝きの下で改めてみてみると、それは、魔石というより多少魔力を帯びているだけの、ただの綺麗な宝石のようにも思えた。傷ひとつない真円の球体で、そして、見つめていると吸い込まれそうなくらい深く鮮やかな青い色をしている。

 「どこ産の魔石なんでしょうね」

と、ヒルデ。「すごく、綺麗。」

 「これが城のお宝なのか? "賢者の瞳"…」

ヤズミンは、ちらりとロードを見る。

 「…っていうより、あんたの瞳だな、ははっ」

 「おれ?」

 「あ、本当ですね。これロードさんの目とおんなじ色ですよ、ふふっ」

 「…そう、なのか」

ロードは、軽く眉をしかめながら石を光に翳した。

 (でも、確かに…ハルの眼はこんな感じだな)

鏡を頻繁に覗くわけでもなく、自分の眼の色など正確には覚えていない。けれど、”海の賢者”――ハルの瞳には似ている気がするから、だとしたら、たぶん自分とも同じ色だ。

 ("賢者の瞳"…偶然なのか? それとも、誰かが知ってて名づけた…まさかな)

考え込んでいるロードをよそに、ヤズミンは、先に立って歩き出した。

 「ああ、楽しかった。謎も解けたし、スッキリした。今日はありがとうな、兄さんたち。それじゃ」

 「え?」

ヒルデが意外そうな顔になる。「もう行っちゃうんですか」

 「ああ、本当はほかにも用事があって…、ここの城が楽しくてついつい遊んじまったんだけど、そっちも早く片付けないと帰りの船に乗り遅れるからな」

そう言って、ヤズミンは屈託ない笑顔をつくった。「その石は、あんたたちの記念品だな。楽しかったよ、ありがとう」

 「……。」

何日もかけて探検していたというわりには、宝に全く興味も執着もないようだった。去って行く男の後姿を、ロードたちは、あっけに取られて見送るしかなかった。

 「行っちゃいましたね。」

 「うん、変わった魔法使いだったな。」

石をポケットに突っ込みながら、ロードは、ちらりと城の方を振り返った。

 <影憑き>のことも気になったが、それ以上に、この城のことだ。

 (やっぱり、おれは、…この城のことは知らない)

中に入って歩き回ってみて、確信した。

 この城には一度も来た事が無いし、以前エベリアを訪れた時にも見た覚えがない。

 最後にここを訪れたのは、一年と少し前。その時、町の人々は誰も、古城の話などしていなかった。


 今、現実として目の前にある古城を前に、ロードは密かに混乱していた。

 ――記憶と世界、どちらが間違っているのだろう?

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