44話 開戦

 残暑厳しい9月後半。


 リーグ前半の天王山、首位川崎とのアウェーでの試合は戦前の予想通り、俺たちステノクは劣勢を強いられていた。


「ユウ、ディレイ! まだ焦る時間じゃねぇぞ!」


 試合開始早々、ショートカウンターからの失点は俺たちを動揺させるのには十分だった。

 勝ち点差3、ここで負けると一気に離されるばかりか3位に後退する可能性のある中、アウェー独特の雰囲気に知らずのうちに呑まれていたのかもしれない。


 修さんの指示に右手で応え、相手との距離を保ちながら守備ブロックができるまでの時間を稼ぐ。


「もうちょっと焦ってくれてもいいんだぜ? せっかくの首位決戦なんだから派手にいこうや」


 右手でクイクイと煽ってくるのは年代別の代表に何度も選出されている小久保嘉男こくぼよしお

 裏への飛び出しと高い決定力で得点ランキングのトップに君臨している。

 

「お前、最近注目されてるらしいぜ? ひょっとしたら代表で一緒になるかもな」


 小久保自身も味方の上がりを待ちながら間合いを詰めてくる。

 

 それにしてもよくしゃべる男だ。こうやって自分のペースに持ち込むことが目的だろうけど、こっちが応対したところで仕掛けてくることは明白。ダンマリでこいつの動きに集中する。


「こらこら。俺の方が先輩だぜ? ダンマリ決め込んでないで挨拶くらいしろよ、っと」


 ニヤリと笑いながらヒールで後ろに下げた小久保は、一瞬動きを止めた後、何かに弾かれたように俺の横をすり抜けていった。


「くっ!」


 後ろに預けて飛び出してくることは想定できてたとは言え、このスピードは想定以上のものだった。


「OKユウ、チェンジ」


「げっ! 修。戻りはえーよ」


 修さんがサポートに入り事なきを得たが、相手の力量を見誤っていたことが悔やまれる。


「あざっす」


「体感したな? 次は頼むぞ」


 修さんはポンポンと俺の肩を叩いてポジションに戻った。


 こいつの対応はなんとかなるだろう。しかし、川崎で1番厄介なのはフィールド中央に君臨しているヤツだろう。


「ヨシ! 周りをもっとよく見ろ!」


 決定機を作れなかった小久保に檄が飛ぶ。


 戸村優剛とむらゆうご


 川崎の司令塔にして、年代別代表のキャプテン。


 この人がいるために修さんは代表ではCMFとしてプレーしている。


「やっぱりキーマンを潰さないとな」


 川崎の決定機には必ずと言っていい程に戸村が絡んでいる。先制点の起点も戸村のパスから生まれたものであった。


 流れる汗を袖でグイッと拭い、戸村対策を練り直した。


♢♢♢♢♢


 体育祭当日。


 朝ごはんを食べた私は大切な試合を控えたゆーとにメッセージを送っていいものか迷っていた。


「ゆーとのことだから、もう集中モードに入ってるかしら? う〜ん? 迷惑にならないかしら?」


 これまでは前日夜に電話をしていたが、今回は遠征と言うこともあり電話を控えた。


 ブブッ、ブブッ


 スマホ片手に葛藤していると、みっちゃんからメッセージがきた。


 おはよう真理亜。今日は大事な一戦だ。友人ゆうとのことだ。心配はいらないと思うが声をかけてあげて欲しい。

 優しい真理亜のことだ、迷惑かもって思っているだろ? 大丈夫さ、君は友人ゆうとの特別な人だからね。

 それじゃあ、また後で。


「……」


 さすがみっちゃん。なんでもお見通しね。


 みっちゃんが黒と言えば黒、白と言えば白なのだ。


「やっぱり、みっちゃんには敵わないわね」


 ベッドの上に正座をし、躊躇なく通話をタップした。


♢♢♢♢♢


 晴れた空、そよぐ風。


 本日は晴天なり……、いや、たしかに晴れて欲しいとは思ったわよ? ゆーとの大事な試合の日だし。でもね? ……このドピーカンは何? ここまでは望んでないわよ? 大丈夫かしらゆーとは? この天気の下で試合するのよね? あっ、でも川崎の天気はどうなのかしら? 


「何、難しい顔しちゃってるのよ?」


「あ、あら、アヤ。おはよう」


 突如現れた日陰に驚きつつも、しばらくそこにいてくれないかと思ってしまう。


「ダーリンがいなくて気が抜けてるって訳ね? うんうん。仕方ないわね。今日は私が柘植ちゃんの相手をして———「結構よ」


 一人でウンウンと頷いているアヤをしっしっと右手で払い除けると、わざとらしく寂しげな表情を浮かべる。


「ひ、ひどい。毎晩、遅くまで共同作業をしてきた仲だって言うのに。カッシーとは身を結んでも私には身体をゆるしてはくれないのね」


、ゆーとにだって許してないわよ!」


「ほぉ、不純異性交遊ではないと? そんなに立派なミサイルを搭載しながらも?」


「……殴るわよオッサン?」


「い、いやだわぁ。朝の軽い挨拶じゃない? 今日はあの旗の下、一致団結しなければならないのよ? 私たちが争ってる場合じゃなくってよ?」


「キャラぶれぶれだけど大丈夫?」


 ガチの体育会系のアヤは、体育祭にテンションが上がっているらしく、いつもにも増しておかしな言動だ。


 壊れ気味のアヤを意識の外に追いやり、クラス最後部に掲げられたクラス旗に目を移す。体育祭に出られないゆーとと一緒に作った思い入れのあるクラス旗。


♢♢♢♢♢


「クラス旗?」


 体育祭に出られないゆーとに与えられた役割がクラス旗の作成だった。


「うん。カッシーならクラブ旗だったり応援幕だったり、いろいろ見てるでしょ? だからアイデア出しくらいなら出来るでしょ?」


「ああ、なるほど。OK。じゃあこんなのはどうだ?」


 鞄からルーズリーフを取り出したゆーとがその上にペンを走らせようとしたところで、アヤはその右手をガッシリと掴んだ。


「ア・イ・デ・ア出し。って言わなかった?」


 貼り付けたような笑顔のアヤからは『お前、言葉わかるか?』と聞こえてきそうな雰囲気が漂っていた。


「いや、だから書いた方が伝わりやすいだろ?」


「普通はね? でもの絵はピカソよりも難解だから」


「へっ? ゆーと、そうだったの?」


 中学時代とは違い、私たちの高校で美術は選択授業。私もゆーともとってはいない。


「ああ、柘植ちゃん知らなかったの? 今からでも遅くないから鞍替えしとく?」


 まあ、絵が下手くらいで嫌いになったりするわけないし、それを補い過ぎるくらいにいいところ知ってるし。


「遅れてごめん。パソコン部室に取りに行ってたんだ」


 ニヤニヤとしていたアヤの背後から大人しそうな男子が声をかけてきた。


「あ、海野」


 うれしそうな表情を浮かべたアヤに、今度はゆーとがニヤニヤしながら反撃をした。


「は、はーん。実行委員の権力使ってチャンスを伺おうって訳だ」


「う、うっさい! 適材適所でしょ! デザインはプロに任せればいいから、アンタは口だけ動かせばいいの!」


 あらら。照れたアヤも思いのほかかわいい。


「こらこら。なに撮ろうとしてるんだよ、まりあ」


「かわいいは正義よ?」


 ギャップ萌え? 記念に一枚くらい残しておくべきだわ。


「このメンバーで大丈夫なの?」


 呆れ顔の海野くんからはすでに疲れた様子が伺えた。


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