37話 俺の居場所も
どのくらい時間が過ぎたのだろう?
目を瞑っていても眠ることなく、頭の中には塗りつぶされていく幼い頃の思い出。
何をいまさら。
すでにわかっていたことじゃないか。
俺は切り捨てられたのだって。小さい子ならまだしもすでに思春期すら迎えてた俺なんて新しい生活には邪魔なだけだって。
こんな状況に陥っても家庭を顧みない父親。
金を稼いできてくれるだけマシか? それならそう割り切ればいい。
バイトをしていたって生活費全てを賄えるわけじゃない。
所詮は扶養家族。
金のかかるクラブチームで好きなようにサッカーやらせてもらえてるだけマシか?
頭も身体も重い。
まだシャワーすら浴びてないけど、このまま眠ってしまえればどれだけ幸せなことか。
ブブッ ブブッ
枕元でスマホが震え、画面には柘植真理亜の文字が照らし出されている。
『英語の宿題やった? ちょっとわからないところがあるんだけど教えてもらえないかしら?』
かや姉め、こんなときに宿題なんて出しやがって。
左手を伸ばして徐ろに通話をタップすると、『もしもし?』と心地よいマリアの声が聞こえた。
天井を見上げながらその声に意識を集中する。
『ねぇ? ちょっと? 自分からかけてきておいて無視ってどういうことよ?』
呆れたような声色に変わったところで話しかけた。
「よう。まだ起きてたんだな」
『そりゃそうよ。まだ22時前よ? それよりあんた、どうしたの? 元気なさそうだけど体調悪いの?』
「いや、別に何も」
『なくはないわよね? それくらいはわかるわよ?』
俺の反論は即、否定された。最近のマリアとの距離なら仕方ないか。
「体調は悪くない。まあ、少しすれば戻るようなことだ」
そう、こんなもんは時間が解決してくれる。あの時だってそうだった。
お袋が出て行ってからしばらくは空虚感が漂っていた。何をしていても、誰といても何も感じない。
上辺だけ取り繕って、妙に明るく振る舞っていたあの頃に戻っただけだろ。
『……ねぇ。顔、見たい、な』
「ん? ビデオ通話にするか?」
『えっ、とね? じゃなくて、直接会いたいの。今から行ってもいい?』
「いや、だめだろ」
話してるうちに22時を回っている。マリアが1人で出歩いていいような時間帯じゃない。
『えっ? あ、そ、そうだよね』
電話の向こうから、少し気落ちしたような声が聞こえてくる。
「当たり前だろ? 俺が行くよ。出れるのか?」
『う、うん! お父さん出張でいないし、お母さんはさっき海外ドラマ見始めたところだから』
「まあ、マリアの家の前でかな。着いたら連絡する」
『わかった。気をつけてきてね』
準備と言ったけど、特にやることはない。
ジャージ姿でも大丈夫、だよな?
洗面所にいき冷水で顔を洗ってから家を出た。
ケッタに跨り15分。
住宅街にあるマリアの家に着いた。
ケッタを止めて、スマホでマリアに連絡をしようとすると『ガチャ』と控えめな音がした。
「
スマホから声のする方に目を移すと、マリアが小走りで階段を駆け下りてきた。
すでにお風呂に入った後らしく、タンクトップの上に半袖パーカーを羽織り、ショートパンツからは白い生足がさらけ出されている。
「
目の前にきたマリアは、俺が返答をしないのをおかしく思い、小首を傾げながら顔を覗き込んできた。
「あ、ああ。髪の毛縛ってないの新鮮で、その……見惚れてたや」
「ふぇっ? あ、ありがとう」
髪の毛を指でクルクルと巻きながら照れ隠しをしているマリア。ちなみに俺も言った後に恥ずかしくなり頬をかいて誤魔化した。
しばらく微妙な空気が流れていたが、照れから回復したマリアが俺の顔を見るなりハッとした表情になった。
「疲れた顔してる。珍しいわね。試合の後だって飄々とした表情
左手を伸ばし俺の頬にそっと触れる。向けられる眼差しは優しく、頬に触れられているだけのはずなのに、全身を優しく抱きしめられているかのようだ。
「どうしたの? 私でよければ聞くわよ? 話したくなければ無理には聞かないけど。でも、……いつも頼ってばかりだから、たまには頼ってくれるとうれしい、かな?」
「……そう、だな。1人で抱えてても仕方ないから聞いてくれるか?」
肩をすくめながら、軽い感じで聞いてみた。
「うん」
♢♢♢♢♢
「そう。宮園さんがね」
先程までのひなとのやりとりを話すと、マリアは少し考えるように空を見上げた。
「俺としては罪悪感抱かせる結果になって悪かったなって思ってる。あいつは優しいから俺のことを放っておけなくなってしまった。せっかく彼氏ができたのに俺のせいでダメになったら申し訳ないだろ」
「それはね
愛? 愛情の情だけなら理解できるんだけど。
「えっと、最後の方よく聞こえなかったんだけど?」
「べ、別になんでもないわよ。そ、それよりね?」
なぜか慌てて手を振り誤魔化すような素振りをしたマリアが、一転して真剣な表情になる。
「私には、
俺との距離を縮めたマリアの両腕が首の後ろに回されグイッと引っ張られた。
距離がなくなった俺たちは……初めてのキスをした。
シャンプー匂いと柔らかい唇の感触に戸惑いながらも、マリアの優しさは十二分に伝わってきた。
「……マリア?」
「話してくれて、頼ってくれて、ありがとう。私はね? いつでもゆーとの隣にいるから。それだけは、忘れないでね?」
至近距離で見つめるその顔は、街灯に照らされていなくてもわかるんじゃないかと思うほどに赤くなっている。
いま目の前にいる彼女が精一杯の勇気を出してくれたことをわからないほど鈍感ではない。
マリアにとっても大事なファーストキスだったはずだ。
そこまでしてくれたマリアをお袋と比べるのか?
「マリア」
「えっ? きゃっ」
俺は恥ずかしくて俯くマリアの腰に左手を回して抱き寄せ、右手で頬に触れながらキスをした。
ただ、唇が触れるだけのキス。
少し驚いていたマリアも、俺の身体に両手を回して抱き締めてくれた。
時間にすれば1、2分くらいの僅かな時間だったはずだが、俺にはゆっくりと時間が流れているように感じられた。
やがて唇が離れると、涙で瞳を潤ませたマリアが見上げてきた。
「ゆーと?」
「いつの間にかさ」
「うん」
「俺の居場所も
小さな身体を包み込むように、まりあをギュッと抱きしめた。
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