36話 バカだなぁ
「ふい〜。食った食った。ひな、ご馳走さま。やっぱ、ひなの作るメシはどれもうまいな」
「ふふふ。お粗末さまでした。ゆうくんのために腕を磨いたんだもん。しっかりと胃袋掴まないとね」
俺の胃袋掴んでないで彼氏の胃袋つかめよ。まあ、相手は料理のできる光輝だからな。俺で練習しておくくらいがちょうどいいのかもしれない。
「ゆうくん。片付けしてくるからちょっと待っててね」
食後にドリップコーヒーを出してくれたひなが、黙々と洗い物を始めた。その表情にはなぜか鬼気迫るものがある。
「ひな、手伝おうか?」
「う、ううん。ゆうくんは、ゆっくりしていて」
いつもは手際良く片付けているイメージのひなが、今日に限っては手元がおぼつかない様子だ。
いつもより長い時間をかけて片付けを終えたひなが俺の正面に座ると、俯いたまま身体は小刻みに震えていた。
「ひな?」
怪訝に思い声をかけるが、一向に顔を上げる様子はない。
「ごめん、ね。ちゃんと覚悟してきたつもりなのに、いざとなると弱気な自分が出てきちゃう」
震える身体を両手で抱きしめて止めようとしているが、残念ながら止まる気配はない。
「大丈夫か? 別に今日じゃなくても」
「だめっ! 今日じゃなきゃだめなの! 今日じゃなきゃ、だめなの。……これ以上、もう無理なの」
顔を上げたひなは、今にも泣き出しそうな表情で叫んだ。
「ゆうくん。ゆうくんは、ひょっとしたら聞きたくない話かもしれない。けど、どうしても話しておかないといけないの。だから、今日だけは、許してください」
よほど思い詰めているのだろう。いまのひなには心の余裕が全くないようだ。
「わかった。別に怒ったりしないから、落ち着いて話してくれ」
ひなが取り乱さないように諭すように話しかけると、ふぅと一息ついたひながゆっくりと話し始めた。
「ありがとう。話っていうのはおばさん、ゆうくんのお母さんのことなの」
「お袋?」
ひなからお袋の話だって? 街中で見かけたとかいうような話だろうか? 再婚して子どもがいるとか?
「うん。あのね? ……あの、ね? ……おばさんの不倫は、私の、せいなの」
「は、はぁ?」
お袋の不倫の原因がひな? なんだ? 全く話の方向性が見えてこないぞ。
「おばさんの、再婚———、不倫相手はね? 私が小学校の頃通っていた塾の先生で、私を通して知り合ったの」
「……ああ」
「……うん。ほらっ、おばさん、スーパーでパートしていたでしょ? バーベキューの買い出しを先生と一緒に行ったときにおばさんに会ってね、先生は一目惚れだったみたい。で、ね? あの頃のおばさん、よくさみしいって言ってたから、先生に狙ってみたらって。軽い、冗談のつもりだったの。……後になって、それが冗談で済まないレベルの話だって、知りました」
時折、涙声になることもあったが、ひなはここまで淀みなく説明をしてくれている。
ひなの話を聞いて、これまで想像したくもなかったお袋の現状が朧げながらみえてきた。
「確かに、聞きたくもない話かもな。紙切れ一枚残して消えたお袋だぞ? まあ、実際には親父とは話し合いくらいはしたんだろうけど、俺には一声も掛けずに出て行った。浮気していたくらいだ。そりゃ再婚くらいはしてるだろうよ。幸せな家庭でも築いてるんじゃね? そのためにさみしい過去を切り離したんだろ? うちの親父は家のことなんてなんにもしないし、それこそ家にいないからな。1人で家事も育児もしていたお袋は辛かっただろうよ。そして、その辛かったことには俺の存在もあったわけだ」
「ッ! そ、それはっ」
ひなが否定しようとなにか言おうとするが、言葉が出てこない。
「そうだろ? 現に家を出て行ってからなんの連絡もねぇんだ。本人からすれば忘れたい過去なんだろうよ? だから、ひなが罪悪感なんて抱く必要ねぇよ。そんな子どもの冗談を真に受ける大人が悪いだろ? 既婚者だって聞いてるんだし。言い寄られて受け入れたお袋だって自分で判断したんだろ。こっちの方が幸せになれるって。辛い現実から抜け出せるって。ひながお袋をそそのかした訳でもないんだろ?」
「うん。先生の話はしたことなかった」
「じゃあ、ひなは何も気にするな。罪悪感を抱くべきなのは浮気をしていた当事者だ。俺はお前に謝られることは何もない。だから許す許さないもないぞ? むしろ俺はひなに感謝してるくらいだ」
これまではひなの行動原理が幼馴染だからと言われてもしっくりこなかった。メシの準備をしたり、部屋の掃除をしたり。およそJKがただの幼馴染にするようなことじゃないだろ? 明らかに幼馴染の範疇を越えて一人暮らしの彼氏のために尽くすJDだ。
でも、罪悪感を抱いていたのなら理解ができる。
バカだなぁ
優しいひなのことだ。彼氏がいたって放っておけなかったんだろう。
「……感謝されるようなことは、してないよ? ご飯やお家のことだって、ゆうくんがサッカーに集中できるようにお手伝いしたかったからだし。それに、その……」
さっきまで泣き出しそうだった、ひなの顔が赤に染まり、モゾモゾと身体を揺らし出した。
「わ、わたしはゆうくんのことが———」
「まあ、ひなが優しいのは昔からだからな」
ひなが否定をしようが、その行動原理が罪悪感からきていることを知ってしまった以上、これまで同様に甘えるわけにはいかない。
「おっと、もうこんな時間か」
ふと視界に飛び込んできた時計を見ると、すでに21時を回っていた。いくらお隣さんでもおじさんが心配するだろう。
「えっ? あっ、お母さんにはこっちにいるってはなしてあるよ」
「おじさんには話してないだろ?」
「ぐっ! ま、まあ、ね」
そりゃ、男の部屋に行くなんて言えないよな。
「この話はこれくらいにしておこう。今日はご馳走さん」
「えっ? あっ、う、うん。あっ! 待って、ゆうくん。まだ話しが———」
正直なところ、今回の話はこれっきりにして欲しい。俺にとっては胸糞悪い話だ。
だから、ひながまだ何かを話したがっていたを無理矢理追い出した。
「はあ〜、なんかモヤモヤする」
ひなを帰した後、ベッドに仰向けになりながらひとり呟いた。
♢♢♢♢♢
「あっ!」
パタン
慌てて振り向いた時には、すでに扉は閉ざされた後だった。
大事なことをまだ伝えられていない。
私が今日伝えなきゃいけなかったのが、浮気の原因を作ったことと、私の気持ち。
焦って伝えてもしょうがないか。
私は引き返すことをせずに自宅に帰ることにした。
その選択を、一生後悔するとも知らずに。
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