26話 おかしい距離感

 初夏となり、ジャケットを羽織ったままでは授業もまともに聞いていられない季節となってきた。

 クーラーが入るのはもう少し先になるらしく、教室内の男子はワイシャツ姿が定番となりつつあった。


「へ〜、やっぱり鍛えてるだけあって引き締まってるわね」


 席に座っている俺の背後に立っていたマリアがおもむろに首を触ってきた。


「はうっ! こらっ、くすぐったいから急に触るなよ」


 マリアの小さな指先にビクッとさせられた俺は、左斜め後ろに立っている小さな少女を仰ぎ見る。


 いつもと同じ、明るい笑顔だ。


 あの夜、店長によって拘束された木本は警察ではなく、隣の県からやってきた両親の元に連行されて行った。

 あまり大事おおごとにしたくないというマリアの意向に沿ったものだ。


 元々、学生時代に空手の有力選手だった店長の後援会長をしていたのが今も県会議をしているという木本の父親で、バイトもせずにフラフラとしていたバカ息子のために店長に頼み込んで働かせてもらっていたらしい。


 完全にメンツを潰されてしまった父親は、店長からの連絡を受けて激怒したらしく、高速で片道2時間かけてやってきたらしい。


 事件を起こした息子を放置しておくことはなく、早々に実家に連れ戻されたとのこと。


 大学はどうするだろう? まあ、本来なら警察沙汰になっていた案件だ。退学で済めば御の字だろう。


 その日の帰り道。


 俺はいつものようにマリアを自宅まで送って行った。


 隣を歩くマリアは事件にショックを受けていたのだろう、口数はいつもよりも少なく足取りも不安定だった。


「大丈夫か?」


 そんな言葉を口にしそうになってしまうが、大丈夫なわけないのは承知済み。


「ね、ねぇ友人ゆうと


 消え入りそうな小さな声で呼ばれて振り返ると、不安げな表情のマリアが右手を差し出してきていた。


「お、おぅ」


 その行動の意図がわからないほど鈍くはない。


 マリアに一歩、歩み寄り小さな手を握ると俯いたまま「ありがとう」と言われた。


「さっきまで緊張しっぱなしだったから手汗で濡れてるかも」


 嘘だ。


 緊張してるのは今もだ。女の子と手を繋いで歩くなんて彼女持ちの奴らがすることだろ? 俺には無縁の行為のハズなんだが、緊急事態なので仕方ないよな?


 俺の手なんかで落ち着いてくれたのか、それからのマリアはいつも以上に饒舌だった。


 あの夜からマリアとの距離感がおかしくなっている。


 朝、いつものように隣の席のみっちゃんと話していると「おはよう〜」とマリアがやってきた。

 自分の席に荷物を置き、道すがらクラスメイトと笑顔であいさつを交わしながら近づいてきたマリアは、いつものようにみっちゃんに抱きついてから、なぜか俺の背後に陣取った。

 これにはみっちゃんも驚いたようで、「おや?」っという表情を見せたが特にツッコむこともなく、いつものように話し出した。

 

 左後ろから漂う柑橘系の匂いと、肩や首に触れる少し冷たい指先。

 それは俺の理性の壁を何度も攻撃してくる。

 

 斜め45度。


 さながらデルピエロゾーンならぬマリアゾーンなのだろう。


 昼休みになってもマリアとの距離感はおかしなままで、これまではマリア、みっちゃん、俺という並び順だったのが、みっちゃん、俺、マリアという両手に花という並び順になっていた。


 購買に行っていたキヨは自分の席がマリアに占領されていることに狼狽えながらも、みっちゃんとひなの間に座り、なんとなく幸せそうにパンを食べていた。


 時折、俺の弁当を覗き込みながら「くっ! 美味しそうね」と悔しそうに呟くマリアと、それを見ながら微妙な表情をしているひな。


 これまでの日常が少しずつ変わっていくのを感じながらも、マリアが無事だったことが1番の収穫だったのだろうと安堵している俺がいたりする。


 まあ、全く不安がないという訳ではないのでバイト帰りにマリアを送っていくことは継続していくことになりそうだ。


♢♢♢♢♢


 私を守ってくれた大きな背中は、私の心を安心させてくれるものとなった。


友人ゆうと。ありがとうね」


 木本から守ってくれた友人ゆうとにお礼を言うと「結局、助けてくれたのは店長だけどな」と申し訳なさそうに笑った。


 全く。こいつは自分のしたことをわかってないみたいね。


「守ってくれて、ありがとうね」


 そんな友人ゆうとに改めてお礼を言うと、今度は「おう」と素直に受け取ってくれた。


 これまでの付き合いで友人ゆうとの自己評価が辛口であることは知っている。

 あれだけ頑張っているサッカーに関してもまだまだだって言うくらいだ。


 あの日の帰り道。


 不安でいっぱいの心を安心させてくれたのは友人ゆうとだった。


 大きな背中と温かい手。


 触れなくても伝わってくる温もりが壊れそうな心を落ち着かせてくれる。


「ね、ねぇ友人ゆうと


 差し出した手を優しく包んでくれた友人ゆうと


 彼の優しさは恋心からではないことを理解しながらも甘えてしまう私。


 私が彼に甘えてしまうのは不安からだけ?


 これが巷でいう恋心と言うものなのだろうか?


 答えはきっと……。


♢♢♢♢♢


「お礼にどこかにご飯でも食べに行かない?」


 自分では極力、軽い口調で話しかけたつもりだけど、緊張からか声がうわずっていた気がする。


 これは断じてデートの誘いなんかじゃない。


 うん。これはお礼である。


 だから、そんな考え込まずにサラッとOKしなさいよ!


「お礼? あ〜、そんな気を使わなくても———」


「と、等価交換よ! してくれたことに対しての、お礼」


「ん〜、まあ、それなら」


 渋々ながらも言質を取ることに成功。


 内心ではガッツポーズをしながらも、意識してませんよと言わんばかりに装う。


「やっ———、う、うん。できればついでに買い物なんかもしたいから付き合ってもらうわよ?」


 あ、ダメだった。思った以上に意識してるみたい。


「ぷっ。いいぞ。荷物持ちくらいしてやるから存分に使ってくれよ」


 緊張している私を物珍しそうに見ている友人ゆうと。そうだよね。私だっておかしいって思ってるもん。


 きっとこの気持ちは吊橋効果だって思われるに決まっている。

 助けてもらったから気になり出したって。

 でも、それっていけないことかな? 理由としては充分だし、それはきっかけに過ぎずに彼のいいところなんて他にもいっぱいある。

  

 優しいって言ってしまうと陳腐な意見に聞こえてしまうかもしれないけど、優しいって言葉の中にはいろいろな意味が込められている。


 強さや思いやり、時には怒ってくれたり。


 甘やかすだけじゃなく、私のためを思ってしてくれることの全てが優しさだ。


 彼は、友人ゆうとを持ってくれている。


 でも、それは恋愛感情とは言えないのかもしれない。そして、私の抱いてる感情も……。

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