25話 大きな背中

 迂闊だったとしか言いようがない。まさか、こんなことになるなんて……。


「離して、ください」


 恐怖から身体が竦み、思うように力が入らない。


「ぐふふ。恥ずかしがらくてもいいから。さあ、俺の助手席はまりあたんのものだよ」


 ピピっと電子音がし、ガチャっと扉が開かれた。


♢♢♢♢♢


 バイトが終わり賄いを食べている友人ゆうとと話しているとお母さんから電話が掛かってきた。


「あ、ちょっと出てくるね」


 店長や薫さんがお店のことを話し合っていたこともあり、スマホを持って裏口から外に出た。


「朝食用のパン? あ〜、うん。帰りに適当に買っていくね」


 通話を切り中に戻ろうとすると、突然右手を引っ張られた。


「えっ?」


 思いがけないことで思わずスマホを落としてしまう。反射的に拾おうとするが右手を掴まれているのでしゃがむことができず、視線を掴まれた右手の先にやる。


「お疲れ様、まりあたん。お腹空いたでしょ? いまからごはんでも食べに行こうよ」


 気持ち悪い笑みを浮かべてるのは、先日、この店からいなくなったはずの人間。


「き、木本さん。そ、その手を離してください」


「ああ、久しぶりに聞くまりあたんの声! 尊い。でも遠慮しなくてもいいんだよ。俺はアイツと違って大学生で車もあるし、いろんなところに連れて行ってあげるよ」


 アイツ? まさか友人ゆうとのことだろうか? 


「あいつでもいいなら俺だっていいはずだ。一緒にバイトしてた仲だし。イケメンならまだしもフツメンのガキよりも大学生の方が楽しませてあげれるよ? さあさあ、早く乗ってよ」


 店の裏にあるコインパーキングに引きずってこられた私は、駐車場の一番手前に停めてあった痛車に連れ込まれるところだった。


 恐怖ですくむ身体で必死に抵抗するが、小柄な私が男の腕力に敵うわけもなく開け放たれた助手席に押し込まれようとしていた。


「あっ!」


 もうだめだと思ったときだった。


 突如として解放された身体が後ろに倒れそうになった。


 トン


 しかしながら私の身体はアスファルトに叩きつけられることなく、大きな身体に優しく抱きとめられた。


「なにしてるんすか?」


 振り返った私が見たのは、右手で木本さんの腕を掴みながら、今までに見たことがないくらいに怒った様子の友人ゆうとだった。


♢♢♢♢♢


 マリアを追って裏口から店を出ると、扉の下でスマホが光っていた。


「マリアのか?」


 落ちた時の衝撃で所々スパンコールが取れてしまっているが、自作したと言って自慢していたマリアの物に間違いなかった。


 慌てて周りを見渡すと、裏のコインパーキングから争うような声が聞こえてきた。


 あそこか!


 そう思った俺は持っていた鞄をバンと投げ捨てて走り出した。


 近づくにつれはっきりとわかるようになった二つのシルエット。小太りな男が小柄な女性を無理矢理、車に乗せようとしている。

 

 その光景を目の当たりにして、木本アイツに対して憎悪を抱いた。


 心は熱く、頭は冷静に


 溢れ出しそうな感情にフタをしながらマリアの元に駆け出し、木本の手を力任せに払い除け、倒れそうになったマリアを左手で抱きとめた。


「いってぇ! あ、お、おまぇ! なんでこんなとこにいるんだよ!」


 マリアと木本の間に身体を割り込ませて、少し距離を取ると俺を認識した木本が感情を露わに喚き散らしてきた。


「俺がいるのはおかしくないでしょ。それよりもバイトをクビになったあなたがいることの方がおかしいんじゃないっすか?」


「はん! お前には関係ないだろモブ! それよりもさっさと消えろよ。最近、一緒にいるみたいだけど、お前みたいなのがまりあたんに見合う訳ねぇだろう。身の程を知れってんだよ!」


 まあ、こいつの言う通りマリアに釣り合うかと聞かれれば俺だってノーと言うだろう。でも今はそう言う問題ではない。


「別に友達に釣り合うとか関係ないでしょ。それに、マリアが嫌がってるのわかりません? 良識があるならわかりますよね? 最近付き纏ってるのもわかってますよ? これ以上続けると警察沙汰になるかも知れないですよ?」


 付き纏いといまの拉致未遂でマリアが訴えれば警察沙汰は間違いないだろう。


「はぁ、恋愛のイロハもわからないガキには困ったものだ。嫌よ嫌よも好きの内ってのがわからないか? まりあたんは本気で嫌がってる訳じゃないんだよ! 俺を楽しませてくれるめに———」

「嫌です! ……本気で嫌です。だから、2度と現れないで下さい」


 ギュッと俺のシャツを掴みながらマリアが叫んだ。


 自分本位な解釈をする木本に明確な拒絶を突きつけると、それまでニヤニヤしていた木本の表情が変わった。


「そうか、……そうか! お前だな? お前が純真無垢なまりあたんにあることないこと吹き込んだんだな? そうだ、そうだ! お前なんだよ! お前みたいなヤツがまりあたんのそばにいるのが1番の原因なんだよ!」


 木本こいつがどんな答えに行き着いたのかは、全くわからないんだけど、どうやら標的がマリアから俺に変わったらしい。それ自体はウェルカムだ。最悪、マリアさえ逃がせればOKだからな。


「いや、元から芽がなかったじゃないっすか。しかもこの前なんて後つけてましたよね? そういうの、世間ではストーカーって言うんですよ? 知ってました? ストーカーって犯罪行為———」

「黙れよ! お前なんかに用はないんだよ! さっさとまりあたんから離れろよ! どうしてもどかないって言うなら———」


 キッと俺を睨みつけながら、木本はボディバッグをクルッと回してチャックを開けて中から四角いものを取り出して俺に向けてきた。


「……スタンガン?」


 背後のマリアは声を震わせながら俺に確認をしてきた。


 軽く振り返り肯首すると、マリアは俺のシャツを握りしめながら「……なんで」と零した。


「それっ、なんのために持ってるんすかね? まさか護身用じゃないっすよね? ひょっとして、マリアに使うつもりだったわけじゃないっすよね?」


「あ? そ、そんなわけないだ、ろ」


 目が泳ぎ狼狽えた木本を見て、今日こいつが来たのはじゃなく、マリアを襲う目的だったことがわかったとともに、改めて身勝手な行動に怒りを覚えた。


「最低だな」


 思わず呟いた俺の声が届いたらしく、背後のマリアの手にも力が入った。


 そうだよな。こんなやつのせいでマリアが傷つけられるなんて理不尽だよな。


 意識を前に移し、木本を視界に納める。


 怖さがあるわけじゃないが不安はある。


 俺、取っ組み合いの喧嘩したのっていつだっけ?


 基本、争い事になる前に適当に誤魔化すからな。記憶にあるのは幼稚園の頃。ウチに遊びにきたアネゴのままごとに付き合ってた頃か?


「な、なんだよ。やるって言うのか? でかいからって調子に乗るなよ」


 スタンガンを右手に構えながら緊張した表情で木本が強がる。

 強がるくらいなら、やらなきゃいいのに。


 緊迫した中、冷静に状況を読み取る。


 まずはマリアの安全確保。


 それから、見える場所には怪我をしないこと。学校はまあ仕方ないにしてもクラブに喧嘩がバレるのはまずい。


 ……ん? これって喧嘩か? すでに事件か? それならば大義名分があるからいいのか? 


「……ゆ、ゆうとぉ」


 小さな身体を震わせながら、普段のマリアからは想像できないような不安に満ちた声。


「おう、心配すんな」


 木本を見据えたままマリアに声を掛けた。


 腹は決まった。これは喧嘩じゃなくて犯罪行為だ。だから俺が手を出したとしても身を守るための正当防衛だ。相手は武器だって持ってるわけだし。


 頭の中で対処法を考えていると、睨み合いに痺れを切らした木本が動いた。


「さっさと、消えろって言ってんだよ!」


 重そうな身体を揺らしながら突進してくる木本の右手を払い除けて膝を入れてやろうと待ち構えていると、目の前に俺よりもデカい影が映り込んできた。


「ぐへっ!」


 右手に持っていたスタンガンを叩き落とされた木本は、大きな手で顔面を握りしめられそうになっていた。


「店長」


「おう友人ゆうと。鞄は静かに置けよ」

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