20話 アネゴ
白鷺早苗。
この学校の生徒ならば一度は名前を耳にしたことがあるくらいの有名人。
トレードマークの黒縁メガネの奥には優しい眼差し。
「ん、
花巻さんを押しのけるようにして教室に入ってきた有名人に、教室内はにわかにざわめき出す。
「白鷺先輩⁈ なんでこんなところに?」
「おいっ! いま柏原のこと名前呼びしたぞ⁈」
「しかも会いたかったって⁈ まさか元カノか? 元カノなのか?」
周りの騒動なんてお構いなしのこの女。
「げっ! アネゴ」
思いもよらない展開に頭を抱えたくなる気分だ。
「……」
瞳からハイライトの消えたアネゴは俺の目の前までくると、無言で右足を踏み込んできた。
「んっ!」
サッと右足を引いて逃れると、固い床を踏みつけたアネゴが苦痛の表情を浮かべながら睨みつけてきた。
「男の子は女の子の思いを受け取るべき」
「やだよ。足は商売道具だ。怪我したらどうしてくれんだよ」
「むっ、それもそうか。ごめん」
「お、おう。わかればいいよ」
意外と素直に謝ってきたなぁ。
「ゆうくん、お弁当忘れ———、白鷺先輩? それに花巻さん?」
悪いことは重なるもので、混沌とした状況にまた場を乱しそうな、ひなが弁当を持って現れた。
「ちょっと早苗先輩! なんで柏原選手と仲良さげなんですか⁈ 」
不満気な表情の花巻さんが両手を腰に当てながらアネゴに詰め寄ると、ひなも切迫したような表情で問い詰めてきた。
「元カノなの? ゆうくん、白鷺先輩と付き合ってたの?」
月曜の朝から騒がしい。
みっちゃんは興味深そうに微笑み、真理亜はポカンと口を開けて固まっている。
「紗智が怪しい動きしてたから監視してた」
「ストーキング⁈ 私、ストーキングされてました? っていうか質問に答えてください!」
頬を膨らませてアネゴに詰め寄る花巻さん。
ん? 早苗と紗智か———
「
思わず漏れた独り言にアネゴが反応した。
「ん、ワタシニホンジン」
「なんで片言なんだよ。9って数字に異様なこだわりないか?」
「1と8の間に+を入れるほどの執着心はない」
ふっ、相変わらず博識なこった。
「なんの話してんの? ねぇ、ゆうくん。白鷺先輩と知り合いなの?」
机を両手で叩きながら詰め寄るひな。前屈みになったせいで胸元が艶めかしい。
「それより
「あ? ああ早苗だからだよ」
ひなの質問に被せるようにキヨが話しかけてくるもんだから、思わず答えてしまった。
「その呼び方はヤメテと何回も言った」
「じゃあ白鷺先輩」
「それもいや」
「相変わらずワガママだな」
こちらも花巻さんの追及をスルーしたアネゴが反応してきた。
「なあ
スルーされていた、ひなと花巻さんを見かねたのだろう。みっちゃんがフォローをいれてきた。
「ん? アネゴ? ああアネゴは———」
「一緒にお風呂も入ったし一緒に寝たこともある」
俺の言葉を遮りドヤ顔でひなと花巻さんに言い放ったアネゴ。
いや、まあ間違いではないけど。
「そ、そんな」
顔面蒼白で崩れそうなひな。
「くっ! ま、まだです。まだ希望はあります」
なぜか悔しそうな花巻さん。
「……クズね」
「おい真理亜、誰がクズだよ。アネゴもからかうなよ」
他のクラスメイトからも冷ややかな視線を送られる。
「ウソは言ってない」
「言葉足らずだろ。小学校低学年までの話じゃねぇか」
「むぅ! 別に今でも大丈夫」
「な、訳ないだろ! 羞恥心どこに捨ててきたんだ!」
アネゴは不満そうにするがさすがに無理だぞ?
目の前で固まったままのひなに視線を移すと、ハッとして真剣な表情に変わった。
「
♢♢♢♢♢
「陽菜乃ちゃん、じゃあね〜」
「はい、お疲れ様でした」
同じパートの先輩が一足先に音楽室から出て行く。
今日はみんなで駅前にいる移動販売の新作クレープを食べに行くらしく、みんなソワソワしていた。もちろん私も声かけてもらったよ?
でも、今日はその誘いを断ることにした。
「まだやってるかなぁ?」
校舎の3階にある音楽室から、オレンジ色に染められたグラウンドを見ると、障害物のコーンを飛び越えた後、小柄な少女の投げるボールを横っ飛びでキャッチしたこうくんの姿が目に映った。
「そういえば、いつもこうくんの練習付き合ってるのって白鷺先輩? ひょっとして……、もしそうなら申し訳ないなぁ」
ステノクに負けてから、こうくんは全体練習の後も黙々と個人練習をしている。
そして、その傍らにいつもいるのは白鷺先輩。
しばらくするとこうくんが白鷺先輩にお辞儀をしてからランニングに向かった。
「そろそろかな」
私は鞄を肩に掛けて音楽室を後にした。
♢♢♢♢♢
校門を背に空を見上げていると、お目当ての人が通りかかった。
「あの」
私の呼びかけに一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに納得した様子で応えてくれた。
「沢村ならもうくる」
「いえ、白鷺先輩を待ってました」
「宮園妹が?」
「妹呼びはちょっと」
苦笑いで応えると白鷺先輩は顎に手を当てて考えた後「じゃあゾノ」と言った。
「で、何?」
真っ直ぐに向けられた視線に少し気圧されそうになるが、私は意を決して口を開いた。
「おばさんは、ゆうくんのお母さんは今どうしてますか?」
「ん、ゾノは
ワントーン低くなった先輩の声音に場の空気が凍りつく。
「たぶん、ゆうくんは連絡を取ってないと思います。きっとおじさんも。おばさんは今のゆうくんの状況を知ってるんですか? 家ではほとんどの時間をひとりで過ごしているゆうくんのことを」
行き交う生徒がすれ違いざまにチラチラと視線を向けてくる。
「場所変える。着いてきて」
そう言われて連れてこられたのは普段は通らない裏道にある小さな喫茶店。
「早苗、お帰り。お友達と一緒とは珍しいね」
「ん、後輩。おじいちゃんウィンナーコーヒー。ゾノは?」
突然のことで咄嗟に答えられない私に、おじいさんは優しく笑いかけてメニューを渡してくれた。
「ゆっくりで構わないよ。この子はせっかちだからね」
そう? とでも言いたげな表情の白鷺先輩。
「あの、アイスティーをお願いします」
あまり待たすのも悪いし、話の続きを早くしたかったので、メニュー表で一番に目についたアイスティーをお願いした。
「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」
おじいさんが席を離れたのを見計らって私は話の続きをし始めた。
「あの———」
「ん、先に聞く。ゾノは離婚のことどこまで知ってる?」
「……おばさんが浮気をして離婚」
「ん、間違いない。これは一般には身内の恥。それでも聞きたい?」
窓から差し込む夕陽に照らされる白鷺先輩の表情は真剣そのもの。
浮気は文化だとか、芸の肥やしになるだとか聞いたことあるけれど、そんなのは
「はい」
白鷺先輩の目をまっすぐに見て答えた。
「ん。おじいちゃん」
「お待たせいたしました、アイスティーとウィンナーコーヒーになります」
目の前にそっと差し出されたアイスティー。喉は渇いてるはずなのに口をつける気持ちにはなれない。
「どうした早苗?」
不意に呼ばれたおじいさんがウィンナーコーヒーを置きながら白鷺先輩に声をかけた。
「この子、
「……‼︎
身を乗り出すようにして矢継ぎ早に質問を投げかけられた。
「ステノクにいた。試合も出てた。ちなみに同じ学校だった」
「ステノクに? そうか! 頑張ってるんだな。良かった。ああ、申し訳ないね。こちらから連絡を取るのも憚られてね」
おじいさんの勢いに言葉を失っていた私に代わり、白鷺先輩が答えた。
そしてそれを聞いたおじいさんは安心したような、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「ん、さっきの質問。おばさんは今、子育てをしてる」
「……それは、再婚して子どもが生まれたってことですか?」
「ん、
ゆうくんを捨てておきながら! ひとりだけ幸せになったって言うの⁈
「ゾノ?」
感情を言葉にしないように、テーブルの上で拳を握りしめながら必死に堪えた。
「……そうですか。幸せなん、ですね」
「……ん。そう見える」
ふと、先輩の視線が窓の外に向いた。
つられた私も視線を向けると、懐かしい顔がそこにあった。
「
子どもをしっかりと抱きしめながら微笑むその顔は、記憶のまま。
「先生? 知ってるの?」
視線を私に戻した白鷺先輩が不思議そうな顔をしている。
「……はい。小学校の時に通ってた塾の先生です」
そして……
「私がおばさんに引き合わせました」
浮気の発端を作ったのは私だった。
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