19話 陽菜乃のおもい
練習試合が終わり、スクールバスで学校まで戻ったこうくんから連絡があったのは1時間前。
『お菓子作りしない?』
なんでも無心になるにはお菓子作りが一番らしく、弟子である私に白羽の矢が立ったというわけだ。
待ち合わせはこうくん家の側のスーパー。松本先生とデートだと言うお姉ちゃんに途中まで乗せてもらい目的地までやってきた。
「ひなちゃん」
こうくんが階段下のベンチで手を振っていた。
「あ、こうくん、お疲れ様」
試合帰りに直行してきたらしく、未だジャージ姿。行き交う同年代の女の子がチラチラと横目でこうくんを見ていく。
「いやいや、ひなちゃん。お疲れ様って。今日に関しては皮肉に聴こえちゃうよね」
苦笑いも絵になるなぁ
「あははは。実際にお疲れだったもんね」
「ホント、たぶん見た目以上に疲れたよ。全く気が抜けないからね。よそ見しようものならその隙にシュートが飛んでくるんじゃないかって感じだったから」
外から見ているのと実際にゴールマウスに立っているのとでは感じるプレッシャーが段違いなんだろう。
「で、待望のゆうくんとの真剣勝負はどうだった?」
ずっと心待ちにしていたステノクとの試合。練習試合とはいえ、ゆうくんも真剣だった。団体競技だし、ゆうくんに一点獲られたとはいえそれは2人の評価に直接繋がるわけではない。
「……想像以上だった。技術云々よりも意識の高さがハンパないね。試合前に声かけようとしたんだけど、全然」
「そっか。こうくんから見てもそうなんだ」
「まあね。あ〜も〜、思い出すだけで自己嫌悪に陥る。あわよくばとか思ってた自分が情けない。もっと頑張らないとね」
自分の立ち位置がわかっただけでもよしとするよ、と振り返ったこうくんは買い物カゴを腕に引っ掛けて食品売り場へと歩いて行った。
「お〜い、ひなちゃん? 置いてっちゃうぞ〜」
「あ〜! ちょっと待ってよ!」
♢♢♢♢♢
「お邪魔します」
こうくんのお家にお邪魔するのは何回目になるだろう?
「あらっ、ひなちゃんいらっしゃい。今日は何を作るのかしら?」
出迎えてくれたのはこうくんのお母さん。
「
「ははぁ〜ん。ってことは予想通り今日は負けたってことだな?」
顎に手を当てながらウンウンと頷いた佳代子さんはチラリとこうくんに視線を向ける。
「まあ、そういうこと。着替えてくるからひなちゃんはリビングで待ってて」
「了解」
階段を上がるこうくんに敬礼しながら答え、佳代子さんとリビングへと移動した。
「お茶淹れてくるからちょっと待っててね」
「ありがとうございます」
キッチンに行く佳代子さんの背中を見送りながら、今日の試合を思い出していた。
「光輝に付き合わせてごめんね」
「いえ。こうくんのおかげで女子力アップ中です」
こうくんに料理を教わる前もできなくはなかったが、教えてもらってからはお母さんも驚くほどの腕前になった。ゆうくんも褒めてくれたもん。
「ねぇ、いっそのこと光輝と付き合っちゃわない? ひなちゃんなら大歓迎よ?」
「母さん? 余計なことはいいから火止めなよ」
ヤカンが『ピー』とお湯が沸いたと知らせている。
「はいはい。甲斐性なしの息子で困るわね」
揶揄うような笑みを浮かべながらコンロの火を止めに行くお母さん。
「全く。さてと、こっちも始めようか」
「うん。師匠お願いします」
「うむ。今日もしっかりと学びたまえ」
エプロンのヒモをキュッと縛り気合いを入れる。
♢♢♢♢♢
私とこうくんの学校での関係は偽りのもの。
本当は付き合っていない。キスは疎か手だって繋いだことはない。
あれは年明けのこと。
「ねぇ、なんで
ゆうくん繋がりで話をするようになったこうくんが、いつまでも煮え切らない私に疑問をぶつけてきた。
「えっ、と。なんでっ、て———」
「ひなちゃんが
こうくんの申し出が善意だったのか打算だったのかは今ではどうでもいいこと。それでもこのときの決断は私たちの関係性を大きく変えた。
「告白は、できないんだ。ゆうくんの彼女には、なれないから」
「ん? ひなちゃんがフラれるのは想像できないけどなぁ。何か訳ありっぽいね」
「うん。理由は……ちょっと言えないんだけどね。私がゆうくんの彼女になる資格なんてないんだ」
「資格? よくわからないけどひなちゃんなら十分資格あると思うけどね」
「あはは、ありがとう。わかってはいるんだけどね。彼女になりたいって思っちゃダメだって。幼馴染のままじゃなきゃって。でも、どうしても抑えられなくって。ねぇ、こうくん。どうすれば気持ち抑えられるかな?」
みっちゃんに相談した時は「抑える必要はないさ」と言われた。全ての理由を話した上で問題ないって。
「ん〜? じゃあさ、俺と付き合ってみる? ああ、もちろん
「えっ? でもそれってこうくんにメリットあるの?」
「有り体に言うと女避けかな? 中学時代、ちょっと苦労しまして。協力してもらえるとありがたいかな」
頬をかきながら苦笑いするこうくんは、学年でも人気が高い存在。
何があったかは想像に難しくない。
「……背水の陣だ」
他の女子から嫉妬されるなどのデメリットはある。でも、ゆうくんとの間にきっちりと線が引けると考えるとメリットと言うか、自分の中でケジメみたいなものをつけれるような気がする。
「……うん、いいよ。付き合おう」
こうして私たちの偽りの関係が成立した。
正直、まだ完全にはゆうくんのことを諦め切れていない。でも、この偽りの関係が私とゆうくんとの間に明確な壁を形成した。
♢♢♢♢♢
月曜日の朝というのはどうしてこんなにも憂鬱なのだろうか?
練習にバイトにと完全休養なんて年に数日しかない俺にとっても週の始まり———、まあカレンダー的には日曜日始まりとも言えなくはないんだけど、特に学校生活に楽しみを見出せてない俺みたいなヤツにとっては憂鬱極まりない一日である。
「もうっ、朝からため息ばっかり。そんなんじゃ幸せ逃げちゃうぞ」
目の前でおにぎりを頬張る幼馴染。休日に彼氏の家でお菓子作りするくらいのリア充には俺の気持ちはわからんさ。
「幸せねぇ。俺にも彼女ができれば幸せとか思えるのかな?」
「えっ? ゆうくん、彼女欲しいの?」
食べかけていたおにぎりをポトッと落としたひなは驚きの表情で俺を見てくる。
「いや、欲しいって訳じゃねぇよ。ただ、いたら違うのかな? って思っただけ」
「そ、そっか! うん。人それぞれだと思うから一概には言えないと思うよ、うん。ゆうくんは恋愛に幸せを感じるようなタイプじゃないんじゃないかな? ほらっ、サッカーでならいくらでも幸せ見つけられるんじゃないかな? 大会で優勝したり、代表に選ばれたり、Jデビューしたり」
「俺の幸せハードル高いな! まあ、45点の俺にそう簡単に彼女なんてできねぇよ」
俺の周りには他のヤツからすれば羨むような美少女が多い。だからと言って俺にとっては友達に過ぎない。
「無自覚鈍感主人公みたいだね」
ジトッとした目で見てくるひなから謂れのない非難をされた。
♢♢♢♢♢
「おはよう、みっちゃん。土曜はサンキューな」
「やあ、おはよう
朝、教室に入るといつものようにみっちゃんに声をかけた。土曜の夜に労いの電話をもらっていたけど、いつも応援してくれている彼女には直接顔を見てお礼を言いたい。
「そか。そりゃみっちゃんの相手も大変だ」
女子柔道部にみっちゃんの相手をこなせるような女子はいない。かと言って我が校の男子柔道部も強豪ではないため、みっちゃんの乱取りの相手はもっぱら顧問の先生だとか。
「それはそうと
昨日のバイトは入れ替わりのシフトだったので挨拶くらいしかしてないけど、一昨日か———。
「いや? 特には言われてないかな?」
「そう? 試合の感想なんかは言ってなかったかい?」
「はっ? あいつ来てたの?」
「相変わらずの集中力だ。櫻さんと真理亜と弟くんとで観戦させてもらっていたのさ。真理亜は
「みっちゃんの声援は聞こえてたけどね。なるべく観客席は見ないようにしてるんだよ。一旦気になり出しちゃうと試合中も見ちゃいそうでさ。で、真理亜? 真理亜に限らず俺がステノク所属ってのは高校では知られてないんじゃない? 別に言いふらすようなことでもないし、あの程度でステノクかとか思われたくないしね」
事実、セレクションに合格した中学時代には「なんであいつが?」なんてよく言われたしな。
「
「おはよう、みっちゃん!」
みっちゃんの言葉を遮るように真理亜がみっちゃんの背中に張り付いた。
「やあ、おはよう真理亜。いまちょうど土曜日のことを話してたんだ。
背中から離れて前の席に座った真理亜が俺には一瞥くれずに身体ごとみっちゃんに向き合う。
「ふへぇ? あ、ああ。感想? そ、そうね、やっぱりステノクの方が強いのね」
わざとらしい笑顔で応える真理亜に、みっちゃんが思わず吹き出す。
「あははは。そんなに意識しなくてもいいだろ。それに真理亜の目には
「ど、どんな風に、って、その……ん、まあ、良かったんじゃない?」
どこのツンデレキャラだよとツッコミたくなるくらい、真理亜は無自覚に胸を押し上げながら腕を組みソッポ向いた。
「はぁ、そりゃどうも」
真理亜にバレないように胸から視線を逸らして廊下を見ると、扉の影から教室内を伺う怪しい女子がいた。
「ん? あの子一年生か?」
キョロキョロと教室内を物色している女子は、その表情に緊張感が伺えた。
たぶん部活の先輩でも探しにきたのだろう。他の人にはバレないように秘密裏にコトを進めるために目立たないように。
でもあの姿、廊下側から見るとかなり目立つんじゃないか?
「ひゃっ!」
そんなことを思いながら見ていると、突然背後から話しかけられたらしく、小さな体をビクッと震わせながら悲鳴を上げた。
「ん? さっちゃん何してんの? ひょっとして俺を探しにきてくれた?」
後ろから覗き込むようにして声をかけていたのはキヨ。さっちゃんと呼ばれた女子は短いポニーテールを上下させながらキヨをキッと睨みつけた。
「もうっ! 驚かせないで下さい! なんで私が小倉先輩を探しにくるんですか! 自意識過剰ですか! キモいです!」
大衆の前でキモい呼ばわりされたキヨが胸を押さえ、よろめきながら教室に入ってきた。
「よ、よう、おはようさん」
「くっ! 朝からご褒美もらっちまったぜ!」
後輩からのキモい呼ばわりがご褒美か。こいつと友達だって思われたくないな。
「いた! やっと見つけました! あのっ! 柏原選手! 私、1年の花巻紗智と言います。小さい頃からステノクサポやってまして、ユースチームの試合もよく見に行ってます。それで、この前の練習試合で、あ、私、サッカー部のマネージャーやってるんですけど、柏原選手がうちの生徒だって知って、居ても立っても居られなくて、その、いろいろお話したいなって、できれば友達になって連絡先なんて交換しちゃって」
俺の前の席にへたり込んだキヨの影から姿を表した花巻さんは、両手をギュッと握りしめながらものすごい勢いで話しかけてきた。
「えっ? お、俺? ってか選手?」
突然知らない女の子に話しかけられた上に
「あ、すみません。私、かなり興奮してるみたいです。それでですね! あの、手始めにサイン———」
「紗智」
花巻さんが持っていた鞄から色紙を出そうとしたところで、背後から迫る手で口を封じられた。
「ん〜! ん、ンンん〜!」
「迷惑なことはしない」
抑揚のない話しかたで、花巻さんの背後から黒縁のメガネをした女性が現れた。
その顔を見た俺の表情はきっと引き攣っていただろう。しかしながら、その女性は優しい表情で口を開いた。
「ん、
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