8話 幼馴染でいいんじゃね?
「はあ、はあ、はあ、んっ、はあ」
すぐそばで美少女……、いや、美女の艶かしい声が聞こえてくる。なにかを我慢しているかのような切なさを孕んだ声色は俺の耳に突き刺さる。
上気した頬を汗がツツーっと伝い、首筋から背中や胸元に滑り落ちていく。彼女はその汗を拭うことをせずに俺と同じリズムで激しく動く。
「はぁ、はっ。ゆ、
上目遣いで俺を見つめる、みっちゃんの右手が伸ばされ、触れてはいけない大事な部分を押す。
「はっ、はっ! はっはっはっ、ははははっ、くっ!」
激しさを増した俺の動きに、みっちゃんはまだまだ満足していないようだ。
「足りない。まだ、足りないよ
『ピピピッ』
「ちょっ! まっ、やり過ぎっ、だー!」
強制的に動かされる両脚は、容易に止めることを許されず俺はひたすらに脚を動かし続けた。
「ふふふ。さすが
足元では『ダッダッダッ』とランニングマシーンと戦っていたAdmiralのシューズが左右に跳ねた。
「だ〜! もう無理!」
みっちゃんによってスピードを上げられたランニングマシーンから緊急避難した俺に、みっちゃんは不満気な表情をする。
「
一足先にランニングマシーンを降りたみっちゃんは、続けろと言わんばかり。
「せっかくオープニングは『あれっ?まさかの濡れ場』から始まったのに台無しだよ!」
「ふふふ。何を言ってるんだい? 2人とも汗びっしょりで濡れ濡れじゃないか」
シャツの胸元をクイッと引っ張り、汗でくっついているとアピールをしてくる。
周りには堅い人間だと勘違いされてるみたいだけど、みっちゃんはこの手のジョークにも普通に乗っかってくるくらいノリがいい子だ。
「それとも……この後はプールに行くかい? 私の競技用の水着はかなり際どいよ」
「なっ、なにっ⁈」
みっちゃんと競技用の水着のコラボだと? ハズしようのない神企画じゃないか!
俺たちが今日来てるのは市営の体育館。一回300円でマシーンを使いたい放題。そして、同じ敷地内のプールは……。
「屋外プールだから、まだ使えないじゃんか!」
「ああ、そうだったね。私としたことがうっかりしていたよ」
クスクスと笑うみっちゃんは、からかいが成功したのを喜んでいるいたずらっ子のような表情をしている。普段、学校ではほとんど見せることがない表情を見せてくれるのは、内心すごくうれしい。それだけ、俺には心を許してくれているということだからな。
「ふ、ふん! 別に悔しくなんてないんだからね!」
「まあまあ、そんなに不貞腐れないでよ。そうだなぁ。
「まじっ? それは……、あ〜」
ものすごくうれしいんだけど、ふとキッチンに立つひなの姿が頭に浮かんだ。
「ん? どうし———、ああ、ひょっとして、陽菜乃のことかい? まだ今なら間に合うだろう。私から連絡をしておくよ」
「お、おお」
みっちゃんにはなんでもお見通しというわけか。お互いに親友と言ってもいいくらいの間柄。あのマイペースなひなが、みっちゃんの手にかかればしっかりとコントロールされてしまう。
「さあ、そうと決まれば行動だ。まずはシャワーを浴びてくるよ」
「ああ、俺も———」
「一緒に浴びるかい?」
今日のみっちゃんはご機嫌のようだ。
♢♢♢♢♢
「いらっしゃい———、ってなんだ三千代と
美味い処 みっちゃん
昼間は定食屋、夜は小料理屋のこのお店の2階がみっちゃんの自宅である。小学生の頃からちょこちょこお邪魔しているので、おじさんもおばさんも顔馴染み。
いま出迎えてくれたのが大将、みっちゃんの父親の
「ゆーちゃん! 久しぶりだねぇ。最近、全然来てくれないからみちよにフラれたのかと思ってたわ」
ちょこちょこという擬音とともに現れたロリば———、ちびっ子は
「そろそろ、ちゃん呼びはやめてくださいよ。高校生だし、
ピクン
おばさんの纏う空気が変わり、おじさんもみっちゃんも首を横にブンブン振っている。
「……一度だけ、チャンスをやろう。
「ひぃっ」
その迫力に負け、額をカウンターにつけながら「二葉さんっ!」と叫んだ。
その呼び方に満足したのか、二葉さんは目が笑ってない笑顔を向けてきた。
「素直な男の子は大好きよ。まあ、ゆーちゃんは女心がわかってないようだからモテないでしょうけどね」
「その通りだよ! 放っておいてくれ!」
あははは、と笑いながらテーブルを片付けに行くおばさん、改め二葉の背中を見送ると、おじさんに声をかけられていた。
「
カウンターに身を乗り出してきたおじさんを、みっちゃんが押し戻した。
「ごめん、お父さん。
席を立ったみっちゃんはカウンターの一部を跳ね上げてキッチンに移動した。
「なるほど。他のお客様の目もあるから気をつけてな」
「うん。わかってる」
シンプルなエプロンを身につけたみっちゃんは、丁寧に手を洗いタオルでしっかりと拭き準備万端。
「
慈愛に満ちた笑顔を向けられると、なんとなくむず痒い思いだ。
「みっちゃんライス」
「うん。他は?」
「大盛りで、よろしく」
「わかった」
ガチャっと冷蔵庫を開けて食材を取り出し、トントントンと小気味いい包丁の音が聞こえてくる。
みっちゃんライスは小学生の時、みっちゃんがはじめて俺に作ってくれた料理。いまのみっちゃんに注文していいか迷ったが、俺にとっては思い出の料理だ。
いまとなってみれば、あの頃から始まったんだとわかる。
小学校6年の夏休み明けくらいから、お袋は家を空けることが多くなり、俺はカップ麺か袋麺、冷食を主食とすることが多くなった。
「
どこで耳にしたのか、ある日の放課後、俺はみっちゃんに捕まり、お店まで連れてこられた。
「最近、料理に凝っていてね。味見係をお願いできるかな?」
ピンクのフリフリのエプロンを身につけたみっちゃんが有無を言わさずに俺に作ってくれたのが『みっちゃんライス』。もちろん、俺が勝手に命名した。
「お待たせ」
コトンという控えめな音を立てて置かれたお皿には、俺の好きなきのこ類と小さめの軟骨の唐揚げを使ったチャーハンが湯気を立てている。
「サンキュー」
みっちゃんが隣に戻ってくるのを待ってから、食べ始めた。
「なあ、
「ひな? どうと言われても特に変わったことは……、あ〜、言い方が悪くなっちゃうかも知れないけど、前よりもお節介になったかな? 心配してくれるのはありがたいんだけど、ちょっとやり過ぎと言うか。彼氏持ちがするようなことじゃないだろってことを平気でするんだよ。指摘すれば「幼馴染だもん」って。あいつの幼馴染の定義がよくわからん」
まあ、洗濯物は溜めるし、掃除はろくにやらないけど、バイトのおかげで料理は少しできるようになってきた。
「幼馴染ねぇ。確かに陽菜乃の中での
「う〜ん。俺としては小学校入学当時からの仲のみっちゃんだって幼馴染って呼んでもいいと思うんだけどな」
幼いがいつまでかってことにもよるんだけど、俺にとってはみっちゃんも幼馴染のカテゴリーに含まれている。
「ふふ。陽菜乃が聞いたら血相変えそうな話だ。でも、
近しいというか、みっちゃんはなんでもお見通しだから隠し立てすることもない。そういう意味では特別なんだろう。
「まあ、幼馴染でいいんじゃね? ひなに断る必要はないんだし」
「ふふ、そうかもね。なあ
ひなの考えなんて俺にはわからないが、みっちゃんがあいつのためを思って俺に話していることは理解できる。そして、そのときのみっちゃんの表情もやっぱり慈愛に満ちたものだった。
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