たまには優しくしてくださいっ!
水無月やぎ
たまには優しくしてくださいっ!
朝と夜は比較的乱暴で、昼はちょっと優しい。
なんでも朝晩は心に余裕がないみたいで。……もう行かなくちゃっていうタイムリミットに急かされて、私の扱い軽くない?! と考えちゃいそうなくらい乱暴になることが多い。
朝なんか特に酷い。
体重をかける感じでこちらに押し付けて来たり、全く私に触れようとせずに無視したり。私が「ちゃんとしてよ」って意味で顔を赤くすると、ちゃんとしてくれることもあるけれど、時には怒り出して舌打ちなんかもして来て、さっきよりも乱暴になることだってある。そういう時は特に余裕がないんだな、とは思うけれど、もう少し思いやりを持ってくれてもいいじゃない? 私だって、あなたと同じくらい重要な仕事してて忙しいんだから。
昼は心も落ち着くみたい。お昼ご飯を食べて、ちょっと疲れが取れるからなのかな?
私に触れる時はだいたい優しい。一方、触れそうで触れない、絶妙な距離で焦らされることもあるけれど、そういう時はツンデレなのかな? と思って、なんだかんだで許してしまう。私、甘いかしら。でも私が顔を赤くしても無視されるよりは全然マシ。それに、あまりに触れてくれなければさすがに怒る。
夕方はまた朝みたいに酷くなる。なんでそんなに気性がコロコロ変わるのよ?!
疲れ切った顔や、嫌そうな顔、その一方でほっとしたような顔、楽しそうな顔の時もある。「どこへ行くの?」なんて聞いてみるけれど、答えてはくれない。明るい顔の時には私も連れて行って欲しいと思うけれど、そんなわがままは通用しない。私はここにいないといけないんだって。あなたを見守ることも、私の仕事らしい。
夜も23時を過ぎれば、そろそろ私も寝られるかしら。
私の元に来る時は、私が怒った時と同じくらい赤い顔をしている時もあるし、何か吹っ切れたような顔、眠そうな顔の時もある。……ちょっと、まだそこで寝ちゃダメよ。帰らないといけないでしょう?
中には私を前にして、すごい慌てた顔をする時もある。「あれ、ない! ないない!」とポケットや鞄を漁り始めて、たまに腕時計なんかもチラチラ見ながら、ヤバいヤバいと連呼して何かを必死に探す。……それは、私と触れ合うために絶対必要な物。早く見つかるといいわね。
*******
今日もたくさんキスをした。
1日におよそ8300回。……とんだキス魔だと思うよね。
今日最後の、つまり8352回目のキスのお相手はペンギンさん。私の相手はだいたいペンギンさん。ピンクのロボットさんも有名らしいけど、私とキスする時には出て来てくれない。恥ずかしがり屋さんなのかしら?
今、私とキスしたペンギンさんの飼い主は、青いシャツを着た若い男性だった。彼は、私の隣の子とキスをしたペンギンさんの飼い主の、白いシャツを着た男性とお友達らしい。
青シャツ君は泣いていた。それを白シャツ君が慰める。
「ついに、ついに行っちゃったんだよ……俺、好きだって、言えなかった……」
「甲府ならすぐまた会えるだろ。多分あいつも、お前の気持ち薄々気づいてると思うよ」
「終電まで粘って一緒に飲んだのに……チャンスなら何時間でもあったのに……」
「よしよし。……今度こそ、伝えような。何なら俺が飲みセッティングしてやろうか? とりあえず、今日は帰ろ」
甲府か。確か23時発の特急かいじが最後だったかな?
私は連れ立って歩く2人を見つめて、そんなことを考える。
想いを伝えるって、大変だよね。と私も青シャツ君を慰めたいけれど、何せ動けないし喋れないのでそれは無理だ。だからせめて、心で応援する。そしてペンギンさんに、「あなたは青シャツ君のことを見守っていてね」と心で伝える。
青シャツ君の鞄からチラリと見えたペンギンさんは、「分かったよ」とでも言うように少しだけ微笑み、片手を上げた……。
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新宿駅の西口改札は、たくさんの人が行き来する。
利用者数は、1日に約14万2千人。西口には17の改札機があるから、改札機1つあたり、1日に約8300人と触れ合う計算。
朝は通勤・通学ラッシュ。昼はちょっと落ち着いて、夕方は帰宅ラッシュ。深夜は終電との戦い。改札機と呼ばれている私は、icカードと呼ばれる方々と毎日年中無休でキスをする。
私はただのキス魔じゃないのよ? 使用料をきちんと払っていただくための、重要なお仕事なんだから。
青シャツ君の後は本当に誰も来なかった。
このキスは業務用だけれど、いつか本気で恋できる日は来るのかな。
しばらくすると駅員さんがやって来て、私の視界は真っ暗になる。
明日も朝から忙しい。ゆっくり、たっぷり眠るために、私は一度深呼吸をした。
明日の8300回のキスのどこかに、奇跡が紛れていることを願って。
たまには優しくしてくださいっ! 水無月やぎ @june_meee
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