第9話 決断
クマは駅長室にある僕の机の上に飾っていた。
でもこのストラップ、りんが作ったにしては少し変だった。形がそんなに良くないのだ。編む順番をところどころ間違えているようだった。かえってそのお陰で手作り感がとてもよく出ているのだが、やはり彼女が作ったようには見えない。
ゆきだるまをあんなにきれいに作れる子なのだ。
不器用な男性が作ったようにみえる。僕も不器用なので、大方こんな風になる気がする。
僕は仕事の合間、少し時間が余っている時、たまにこのストラップを眺めていた。りんちゃんは無事に帰れたのだろうか、と少し不安になる。やっぱり、保護者に連絡を取るべきだったとも考えた。
少し心配しすぎかも知れない。歳の所為だろうか。今更心配しても仕方が無かった。そして彼女の事を頭の隅に追いやり、僕は仕事に戻る。
─そうして、一ヶ月がたった。
僕は悩んでいた。このまま仕事を続けるかどうかを。
北野山駅があと三ヶ月ほどで廃止されると言われたのだ。廃止の話はそれとなく聞かされていた。ただいつなくなるのかは聞かされていなかった。
ただ今回初めて期間を示され、廃止になった後はどうするか、と尋ねられた。
上層部から言われた方法は二つだった。養成機関で後輩を指導し定年まで勤めるか、または駅の廃止を機に退職するかという事だった。
僕が勤めている鉄道会社は、最長で六十歳まで勤める事ができた。けれども、人の命を運ぶ職業柄、五十台を過ぎた辺りから退職する人が多かっだ。なので五十五歳の僕は会社の中ではかなり高齢の方だった。
会社としても、僕の年齢から退職と言う案を出しただけらしく、できれば出勤日数を減らしてもいいから養成機関に勤めてほしいと言われた。
自分としては退職したかった。妻とゆっくり過ごしたかっからだ
僕は今まで仕事にかかりきりで、妻と二人きりで過ごせた時があまり無かった。三十前半の時、仕事の方は少し落ち着いてきたが、その時には娘が生まれていたので、僕も妻も娘に気が行ってしまい、互いを気にする事ができなかった。
そして、娘が小学校に行くのとほぼ同じタイミングで僕は北野山副駅長に抜擢されたので、再び家に帰ることが少なくなってしまった。結局そのまま、この歳まできてしまった。
今のところ僕も妻も、大きな病気はしていない。青春を取り戻す、なんてのは言いすぎだけれど、少しだけでも失われた二人の時間を取り戻したいと思った。
経済的に言えば、今退職しても全く問題なかった。貯蓄は十分あったし、退職金も三十年と少し勤めていたのでかなりの金額をもらうことができる。恐らく年金が無くても九十歳まで生きていく事が出来そうだった。
でもやはり、仕事を最後まで続けたいと言う気持ちも多少ならずあった。会社からやめろと伝えられたら踏ん切りはついたけれども、残ってくれと頼まれると退職したい、とは中々言い出せなかった。
もし退職の理由を聞かれ、「妻と一緒に過ごしたいから」とは言い辛い。妻を愛している事は確かなのだけれど、それを理由にするとなると僕の性格からなのかやっぱり気が引けた。
かといって適当な嘘も言いたくなかった。会社は僕を信じてこの歳まで雇用してくれたのだ。それを最後に裏切るようなことするのはどうしても嫌だった。
妻に相談してみたが、「後で後悔すると思うのなら最後まで続ければいいじゃない。私の事はいいから」と仕事の方を薦めてきた。
「一緒に過ごしたくはないのかい」と聞くと「もちろん過ごしたいわよ。でもそれは定年退職してからでもできるじゃない」と言われてしまった。
妻の言うことはもっともだ。けれども、どちらかがガンのような重い病気に罹り、この世から去ってしまう事があったら、悔やんでも悔やみきれないだろう。心配し過ぎかもしれないけれども、可能性がないわけではないのだ。
僕はそれが嫌だったから、こうして悩んでいるのだ。
会社からは駅廃止の一ヶ月前までに返事をして欲しいと告げられた。
何か辞める事のできる理由が欲しかった。嘘ではなく、真実の理由が。
けれどもそんな理由が簡単に見つかるはずもなく、時は過ぎ、決断の日がゆっくりとせまって来る。
そして駅廃止まであと二ヶ月、残り一月で返事をしなければいけなくなった時だった。
駅長室のドアを誰かがノックした。
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