第8話 しはつ

 始発の時刻が近づいてきた。


 ……できる事なら、彼女の保護者に連絡をとって、迎えに来てもらいたかった。だが、今日は大雪警報が九時に発令されていた。もし今の始発に乗らなければ、りんはしばらく帰れない可能性があった。


 りんは再び僕の膝に乗ってぼんやりしていた。ぽんぽん、と優しくりんの頭を撫でる。びくっ、とちょっと体をはねさせ、こちらを向く。


「ごめんよ、おどろかせちゃったね」


 ふるふると首を振る。そして、傾げた。


「そろそろ列車が来るんだ」


 彼女はこくん、と頷き、ぴょん、と膝から降りた。

コートを脱ごうとする。


 「寒くないかい? 持って帰っても……」あまり使ってないものだし(取り出したときホコリを被っていた)そう提案してみる。


 半分脱ぎかけた手を止める。考えているようだ。やがで首を二度横に振り、脱ぎきる。丁寧に畳んで、お辞儀をしながらコートを差し出した。


 手袋も脱ごうとしたので手伝う。縛っていた紐を解くとするりと脱げた。手袋を受け取り、引き換えにバッグを手渡す。

 

 りんは再度、深くお辞儀をして、バッグを前に背負ってとことこと駅長室を出ていった。


 僕も準備をするためにホームに向かった。


 やがて、始発の列車がやってきた。始発なこともあって直ぐには出発せず、十分ほど停車する。


 僕は列車の車掌と、少し打ち合わせをした。内容は今日の雪に関してだった。それと「私用で申し訳ないんだけれど」と一言断り、彼に提案した。


 もし雪の影響で列車が運行停止してしまったら、彼女を気遣ってあげて欲しい、保護者に連絡を取るだけでいいから、と。


「ええ、良いですよ、乗客もほとんどいないでしょうし」と彼は快諾してくれた。「あの子ですかね?」とまだ電車に乗らずホームに立っている彼女を見て言った。


「そう、名前はりんというんだ。訳あって喋らないけれど、ちゃんと質問すれば身振り手振りで答えてくれるから」と注意を付け加えた。


「わかりました」と彼は言った。


 僕は彼女の所に行く。りんはじっと雪だるまを見つめていた。

 

 僕は彼女の横に立ち、ちらと横顔を見る。りんの目線は崩れた雪に注がれていた。その瞳は泣いてこそいなかったけれど、ちょっと潤んでいた。そっと彼女の肩に手を置く。手の甲で両目を拭い、こちらを見る。


「もうすぐ出発するんだ。名残り惜しいだろうけれど、もう乗らないと」


 首を少しかしげた。少し考えてかしげた理由がなんとなくわかった。


「もうすぐ出発するんだ。さみしいだろうけど、もう乗らないと」ぼくはもう一度言いなおす。


 りんは納得したように首を二回振る。この年齢で「名残り惜しい」なんて言葉をわかるわけもない。


 バックの中から何かを取り出し、僕に向かって両手を差し出してきた。何かを持っている。


 僕はそれを受け取る。それは、手編みのクマのストラップだった。


「僕にくれるの?」


 彼女はこっくり、と深く頷いた。そして「ありがとう」というように深くお辞儀をした。


 僕がそれに対して返答をする前に彼女はくるり、と背を向けて列車に乗ってしまった。


 僕はホームの真ん中で最終確認を終え、先頭の車掌に合図を送る。列車はゆっくりと出発した。


 窓越しにりんはふりふり、と手を振っていた。その顔はいくぶんか笑顔だった。僕も手を振り返す。無事に家に帰れればいいな、と願いながら。

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