第3話 エミリー
ジンヤは公用車に乗り込むなり、車の中に
保管されている機能説明書を取り出す。
納車時の試験走行によりある程度の手順は
把握していたものの、初の実践使用という
ことと、かなりの時間経過があったことに
よるブランクが原因ゆえの行動であった。
認識している手順が間違っていないことを
確認するようにざっと説明書を斜め読みする。
「さて、役に立ってもらう場面が
来たようだぞ。お前の真価を見せろ!」
車に語りかけながら2つ・3つの操作を行う
ことで揚力コントロールのための翼が
車体から外部に放出される。
「さて、行くぞ!」
思い切りアクセルを踏み込むと、どんどんと
車体が垂直上昇していく。運転席の前の
デジタルメーターとフロントガラスの
裏側部分に「FLIGHT MODE(飛行状態)」
の文字が表示され、簡略化された車体の全体図
も映し出される。かつてフィクションの世界で
読み手の空想をかき立てた空飛ぶ車の登場……
試験的な技術としてはおよそ10年前の
2039年には存在していたものの、
実用については技術が円熟し法整備を経て
制度化されるまで8年かかっている。
今までは経済的富裕層などの一部の特権階級
だけが使用できた技術であったが
現在となっては、諸々の制約下において
官公庁なども導入が進んでいるのである。
ジンヤはホバリング状態になった公用車が
地上から5m程度の安定した高度を
保っていることや飛行状態のログが記録されて
いることを手早く確認する。
稼働に問題はないようだ。
(サイカさんとエミリーは……)
ジンヤは自分たちが来たのと逆の方角へと
車を向ける。今まで通った道に暴走したA・P
に傷つけられたような様子は
見られなかったためだ。
果たして、ジンヤの視線の先に写ったのは、
ところどころ切り刻まれたアスファルトの
路面だった。目標が向かった方向にどうやら
間違いはないようだ。
(この当たりは山林が多い……
潜まれたら厄介だぞ。)
その危惧は不幸にも、舗装のキズが路肩の木々の
先へと吸い込まれるように消えている跡を
見つけたことで現実のものとなってしまった。
と……舗装のキズが途絶えている木々の鬱蒼と
した茂みから突如跳躍してきた物体があった!
一瞬で公用車の上まで飛び移り、ボンネットを
大きく凹ませたそれは、虫の息のユウジを右手に
抱えた件のA・P……エミリーであった。
その姿は拝借したカタログに記載されていた
とおり女性らしい外見をしているが、一見すれば
人間ではなくロボットとわかるようなデザインで
あった。
今は無機質な無表情がなんとも不気味な印象を
与えているのだが。
目標の発見を優先して低空飛行をしていたことが
仇になってしまった。
ジンヤは受けた衝撃をなんとかいなすように
車を操る。幸い、地面ギリギリで車体を立て直し
墜落することは防げたようだ。
しかし息つく暇もなく、エミリーは空いている
左手で運転席のジンヤを目がけ殴りつけてくる。
フロントガラスに見る見るうちに
ヒビが拡がっていく。
(くそっ!バケモノめ!)
カタログスペックでは、
【介護用にも対応できる中型パワータイプA・P】
という位の出力しかないはずだが、どう見ても
その程度には収まっていないのはリミッターが動作
していないからか?また、そのせいでユウジや器物
を傷つけることができているのか?頭の片隅には
疑問が次々に浮かぶものの、差し迫る現実は
容赦なくそれらの考えを吹き飛ばす。
とうとうヒビがいっぱいに拡がり、
遂にはフロントガラスが粉々に砕けてしまった!
遮るものがなくなったところで、
ジンヤはユウジに向かって呼びかける。
「サイカさん!俺の声が聞こえますか!?
聞こえてたら返事をしてください!」
「……」
反応はない。ジンヤの呼びかけに応えることが
できないほどにユウジは意識朦朧であるようだ。
車はまだ活きてはいるとはいえ、ユウジに危害が
及ぶかも知れない以上、迂闊にエミリーへの
手出しもできない。
(くっ!どうする、どうする!?)
焦燥が胸を焦がし、頭を鈍らせ、
手や顔に汗を滲ませる。そうこうするうち、
エミリーは躊躇いなく次なる一撃を
ジンヤ目がけ繰り出してきた。
ジンヤは辛うじて左に
直撃を回避できたものの、凄まじいまでの衝撃は
簡単に運転席のヘッドレストを弾き飛ばして
しまった。
アレをまともに受ければ死なないまでも
車のホバリング状態の維持に支障をきたす可能性は
十分にある。いよいよ絶体絶命であるようだ。
(やむを得ん!)
ジンヤは強引に車を前方へ発進させる。
その方向には枝振りの太い大樹がせり出していた。
ジンヤの狙いはまさにそこにあった。
幸運にもユウジに危害が及ぶことなく、
鋭利に突き出た大きな枝へと車ごとエミリーを
衝突させることができたのだ。かくして公用車と
A・Pの突撃を受けた枝はあまりにも簡単に
バキリと折れてしまったが、エミリーにもかなりの
ダメージがあったようだ。ユウジを抱えている
右手の力が弱まり、あろうことか枝が折れたことで
新たにできた鋭いトゲの方へと
ユウジの体が流れていく!と、そんなユウジを
エミリーが瞬時に抱きかかえ、
その背中にはトゲが深々と刺さった。
(……!?もしかすると……!)
ジンヤは閃いた直観を即座に行動へと転化した。
果たして的を射ているかどうか……
確信を得るために。
(サイカさん、すまない!)
運転席のドアポケットに
偶々収納されていたドライバー……
それをユウジ目がけて全力で投げつけた!
途端、エミリーは瞬時にその身を盾とし、
ドライバーを左肩に受け止めた。
明らかにジンヤの攻撃から
ユウジを庇ったのである。
(思ったとおりか!)
どうやらエミリーは原因不明の暴走により
人間の殺傷や器物の損壊という、
通称ロボット規制法における禁忌に
触れてしまってはいるものの、
少なくとも主人であるユウジに関しては……
自分が傷つけているものが本来守るべきもので
あるという立場との矛盾に葛藤しているようだ。
しかしそれがわかったとはいえ、今が予断を許さ
ない状況であるのは依然として変わっていない。
(考えている暇はない。賭けるしかない!)
ジンヤは路上におけるウィリー走行の要領で
車体の前方部分を跳ね上げることでボンネット上
のエミリー(と抱えられたユウジ)を上空に
弾き飛ばし、左に薙ぐように車体を動かして
エミリーを打ち払う。ユウジごと吹き飛ばされた
エミリーは主人を庇いながらアスファルトに
ぶち当たり転がっていった。
一連の衝撃によりユウジの拘束が解かれ、
車道の片方の路肩にユウジ、
もう片方の路肩にエミリーが転がっていった。
「よし、今だ!」
すぐさま車をエミリーに向けて発進させる。
ちょうどエミリーが立ち上がったところで
車のフロント部分に捉えることかできた。
(捕まえた!)
ジンヤはフルスロットルでエミリーに吶喊し、
エミリーを抱えたまま
公用車は天空へとグングン昇っていく。
「オール、オア、ナッシング!」
高度80m程度まで垂直上昇したのち、
今度はそのまま急速反転し、車道から離れた
山林地帯を目がけ突っ込んでいく。
(頼む!もう、これしか!)
ジンヤが声にならない想いを脳裏に浮かべた
時には、眼前に地面は迫っていた。
踏み込めるだけ踏み込んだペダルが確実な加速を
車体に与え、まるで一筋の流星のように
ジンヤたちは山林のなかへと降り注いだ。
辺りに壮大な衝撃・轟音・金属や
木々が焦げる匂いをまき散らしながら……。
「……ん、あぁ……。」
意識を取り戻したジンヤの口から嗚咽が漏れる。
瞼の裏に蘇りしは、衝突の直前……意識が
吹き飛ぶまでに駆け抜けた映像であった。
自分だけでなく車体全体にまで
駆け抜けていく衝撃、
たちまち拡がるエアバッグ、鼻に突き刺さる周辺の
焦げた匂いとブラックアウトしていく視界……
そこまでを回顧したジンヤは目を見開く。
まず飛び込んできたのは相変わらずの焦げた
砂塵の匂い……
そして囲繞された薄暗い車内空間だった。
夢か現か判別つかなくなりそうになるが、
身体の節々に走る痛みで、
なんとか生きているらしいことが自覚できた。
どうやら意識を失っていたのは
ほんの短い時間で済んだようだ。
「……くぅ……なんとか……なったか。」
息も絶え絶えな状態であるが、
状況確認をしなければならない。
痛む体を引きずるようにしてエアバッグや
運転シートから逃れ、車外に這い出る。
幾分か砂埃や煙が周辺に立ちこめているとはいえ、
それらが充満していた車内よりは
はるかに快適であると言えた。
ジンヤが見下ろす先には衝突によりできた
ごく小さいクレーターとそこに刺さっているとでも
表現されそうな公用車。そしてその間に、
もはや立ち上がることさえできないであろう
押しつけられたエミリーの姿があった。
ジンヤは次に、車道がある方へと目を向け、
この位置からでは視認しようもない
ユウジが無事であってくれることを祈る。
(事態はなんとか小康を保っているか……
これから原因究明ができるとよいが……)
そして、ジンヤがエミリーの頭部に目線を移した
その時、突如としてエミリーから
くぐもった電子音声が流れてきた。
「……コレデ終ワッタト思ワナイデヨネ……」
「……!」
「コンナ世界デノウノウト生キル奴ラモ、
毎度邪魔シテクレル忌々シイ連中モ……
全テヲ壊シテアゲルヨ、ハハハッ!」
(……!?)
ジンヤがイヤな予感を感じてボロボロの体で
駆け出した数秒後、エミリーが爆発した。
ジンヤは空中に吹っ飛ばされ地面に
叩きつけられたものの、幸い先ほどの衝突に
比べれば大した損傷にはならなかったようだ。
それにしても……あの言葉を発したのは
エミリー自身なのか?はたまた別の誰かなのか?
エミリーは自爆したのか?それとも黒幕が
遠隔操作をしたのか?目的は一体何なのか?
他のA・Pも同様に暴走していないだろうか?
疑問で埋め尽くされる頭をブンブンと振って、
ユウジがいるであろう方角を目指して
車道まで身体を引きずっていく。
ジンヤが車道まで辿り着いたとき、
既に救急車やパトカー、果てはジンヤとタナカが
乗ってきたのとは別の筐島市の庁用車までもが
集結していた。サイレンも鳴っているようだが、
先ほどからの衝突や爆発やらで聴覚があまり
働いていないようで、ろくに聞こえない。
「あっ!ジンヤさん!ボロボロじゃないですか!
何があったんですか!?」
ジンヤを見かけたタナカと刑事らしき人物が
駆け寄ってくる。彼らの肩越しに、
機器情報管理課長やサヤカの姿も見られた。
どうやらタナカが必要なことは
万事やってくれたらしい。
こんな時だが、ジンヤはタナカに
今度一杯おごってやろうなどと考えてしまった。
タケガミと名乗った警部補はボロボロのジンヤを
見て、後で事の仔細を聞かせてもらうという
前置きをしたうえで、病院で先に手当して
もらうべきだろうと勧めてくれた。
その厚意に甘え、ジンヤが救急車の中に入ると、
そこには搬送済みでストレッチャーに仰向けに
なっているユウジと、その前に立っているサヤカの
姿が目に入った。
「サイカさん……ご主人は……辛うじて
命を取り留めることができました。
傷ついてはいますが、身体的な後遺症が残る
ようなものではないでしょう。ですが、
ご無事に連れ帰ることは叶いませんでした。
申し訳ありません。」
「そんな……
あなただってこんなに傷だらけなのに……。
ありがとう……。」
サヤカは目に涙を浮かべながらジンヤに礼を述べ、
横たわる夫を見つめる。
「本当にありがとう……
主人が生きていてくれてよかった……。
ごめんなさい……。」
そう言ったきりサヤカはユウジの胸に頭を埋める。
溢れる想いは声にならない嗚咽へと変わっていた。
一方ジンヤはこれからのことを漠然と考えようと
したものの、己が身体の傷み具合がそれを
許容してはくれなかった。
散々に破壊された道路やサイカ家の物品、
傷んだユウジ・サイカ、おしゃかになった公用車や
A・P……様々な犠牲を払いながらも
ひとつだけ……
人的損失がなかったことに、安堵するしか
できなかったのだった。
動き出した運命はもはや止まらない。
ホンドウ家の長子として、
ジンヤの闘いの幕が切って落とされた。
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