第2話 暴走

「エ、A・Pが人殺しをしようとするなんて

 ……そんなのあり得ないですよ~!」

「いや、A・Pの暴走の事例は

 過去にないわけじゃない……

 もっとも、人殺しや殺人未遂になるほどの

 ものではなかったようだがな……。」

タナカは大分驚いた様子である。

自分と同じく日々の業務で忙殺されている

であろうジンヤが業務上有意義な知識である

とはいえ、はしっこく情報収集している

ことに衝撃を受けたのである。

もっとも、そこには懐疑と信頼という、

ジンヤとタナカのA・P……ロボットに

対するスタンスの違いも手伝ってはいるのだが。


(さて、奥方にはもう少し話を

 聞く必要はあるが……)

早急に警察と然るべき機関への連絡をする

必要があるため、状況の把握が必要であると

判断し、ざっと周囲を見回す。

改めて見るまでもなく、

ソファーやらテーブルやらの家具が

薙ぎ倒されている点や床についた大型獣の

ソレかと見紛う爪跡、そしてそれに

付随する生々しい血痕があり、よほどの

凄惨な事件が起こったことが窺い知れる。

(奥方のあの様子では、110番や

 119番への通報はできなかったわけか)

ジンヤはサヤカに視線を注ぎながら、

タナカに110番とこの辺りで最大手の

A・P管理会社であるマドラス・システムズ、

そしてジンヤたちの上司である筐島市役所の

機器情報管理課長に連絡を入れるように

指示した。


次にジンヤはサヤカの目の前にかがみ込んで、

床にへたり込んでいる彼女の頭と目線に

高さを合わせるようにして語りかける。

「サイカさん、酷なことをしなければ

 ならないのですが……。」

ジンヤはできるだけ穏やかな声音で

語りかけたが、サヤカは放心状態で

目の焦点さえ合わせることができない。

彼女の心情を考えれば無理なからぬこと

ではあるが、かといってこのまま手を拱いて

事態を悪化させるわけにはいかない。

「これから貴女はご主人とA・Pとの間で

 起こったことについて、警察やA・P

 管理会社に詳細を聞かれることになる

 でしょう……。貴女にとって辛いことが

 続くのは心苦しく思います。ですが、

 必要なことなんです。そこで……

 もしできるのであれば、私に貴女が

 見聞きしたことを教えてくれませんか?」

「……。」

サヤカは力ない虚ろな表情のまま、ジンヤの

方を見やる。どうやらかろうじて頭の中に

ジンヤの言葉が届いているようであった。

「警察や管理会社には私からお聞きしたこと

 を伝えます。辛いでしょうが……状況を

 考えると、今こうしている間にもご主人の

 身が心配されます。どうか俺に何が

 起こったのか打ち明けてほしい。

 それで少しでも貴女とご主人の助けに

 なるのであれば……どうか、お願いします!」

冷静に言葉を選んでいたジンヤだが、

思わず語気が強まる。今までの日常業務では

あり得なかった異常事態に対しての興奮も

少なからずあるとはいえ、彼という人間の

持つ本来の正義感と秘めたる使命感が

ジンヤを突き動かしていた。

しかし、依然としてサヤカは言葉を

紡ぐことができないようだ。

タナカは110番にかけ終わった後、

マドラス・システムズに直ぐさま電話した

ようだが、彼の様子を見るにどうやらこの

異常事態について根掘り葉掘り先方に

聞かれて会話が長引いているようだ。


(さてどうするか……)

断りを入れて家の様子を調べさせてもらうか?

ジンヤがそう逡巡した刹那……

「……本気で死んでほしいなんて

 思ってなかった……。」

視線は正面のジンヤを通り越して虚空を

見つめたまま、サヤカがぽつりと呟いた。

ジンヤは間髪を入れず質問を繰り出したい

衝動を抑えて、サヤカの次の言葉を待つ。

こうした時、急かしたり問い返したりすることで

相手の感情を阻害してしまうことの弊害を

経験上身に染みて理解しているからだ。

「……結婚したての頃はあの人も

 いつも優しくて……でも、次第に私に

 あれやこれや家事労働を強いるように

 なったり、毎日毎日帰りが遅かったりしてた。

 確かに私、最近のあの人のことを理解できて

 いなかったかもしれない。疎んでいたかも

 しれない。それでもこんなことは

 望んではいなかった!」

ジンヤは目線をサヤカ、タナカ、部屋の中と

目まぐるしく動かしながらサヤカの話に傾聴する。

「昨日からちょっと引きずっていて……

 今日だって、ちょっとしたことで口喧嘩に

 なってしまった……その時に私言っちゃったの。

 エミリーに『あの人を殺して』って!」

「……っ!」

サヤカの言葉を静かに受け入れていた

ジンヤだが、衝撃的な告白を聞いた途端すぐにでも

嘴を挟みそうになった。が、やはりサヤカのことを

考え、できるだけ言葉の選択を行う。

「サイカさん、

 お話くださってありがとうございます。

 エミリーというのはA・Pのことですね?

 心情お察しします。お願いです、

 どうかご自分を責めることはしないで

 ください。ロボット規制法にあるように、

 管理者・人工知能付き機器のどちらとも

 何者をも傷つけたり壊したり……ましてや

 殺したりすることはできないんです。

 貴女のせいではありません。」

サヤカを落ち着かせるために言葉を発するが、

ジンヤは決して現実に起きていることを

無視しているわけではない。むしろ、

的確に把握しているからこそ身体の奥底から

沸き出てくる不安を消すことができないでいた。

……もしもシンギュラリティを経て人間の

知能水準を超えたロボットたちが法規制すら

超越するとしたら……法治国家である以上、

その理念の基、統治がなされるべきで

あるとはいえ、いざ眼前に迫る暴力や危険に

対して六法全書を持ち出して説法するわけにも

いかないということだ。


ジンヤは立ち上がりタナカを見やるが、どうやら

課長への報告を行っているらしい様子だ。

もう少ししたらタナカにここを任せ、

A・Pエミリーを捜索することができるだろう。

「サイカさん、もう少しだけお話を伺っても

 よろしいでしょうか?エミリーの外観や

 スペックが分かる取り扱い説明書のような

 ものはありますか?またこの部屋で暴れたで

 あろうエミリーはどこへご主人を連れて

 行ったのか?心当たりはありますか?」

サヤカは首を力なく右左に振る。意識が幾分かは

ハッキリとしたようで、彼女の目は正面に立つ

ジンヤのスラックスの辺りに焦点を合わせる

ことができているようだ。

「エミリーがあの人を襲った時、

 すごい衝撃で床がへこんだ。

 血も飛び散ったから、

 私腰が抜けて……動けなくなった主人を

 エミリーが攫って……玄関の方へ逃げながら、

 部屋の中もメチャメチャに荒らしまくって

 行った。私、本当に怖くて……。」

(恐らく奥方の言うとおりだろう……実際、

 この部屋の中から玄関、植え込みにかけて

 ひどい有様だったからな……。)

「取り扱い説明書なら……あそこの押し入れの中に

 小さなチェストがあってその中のどこかに

 保管されているはずよ。あの人はいつも大事な

 ものをそこにしまっていたから。」

「そうですか、ではお借りいたします。

 感謝します。」

ジンヤがお礼を述べながらチェストを弄り、

エミリーのカタログを手にした瞬間、サヤカの

瞳から今まで堪えられていた大粒の涙が

数滴の雫となって床に落ちていく。

そして声を絞り出して訴える。

「お願い……お願いします!あの人を助けて!!

 どうか、どうか……。」

「安心してください。必ず助け出す!」

(目の前で人命が失われるなどと……

 絶対にさせない!)

心を熱く燃やすジンヤが、来た路を戻るために

踵を返したその時、タナカが電話をかけ終えた

ところだった。


ジンヤはここに入った時からスイッチONに

しているICレコーダーを懐から取り出し、

タナカに声を掛ける。

「ここは任せたぞ、タナカ!」

タナカにICレコーダーを放り投げつつ、

短くそれだけ告げて急ぎ玄関へと向かう。

タナカはレコーダーをキャッチして、言葉を

発することができずに不安げな表情ではあった

ものの、ジンヤの意を察して、コクコクと首を

縦に動かす。彼もこの状況の異常さを

理解しており、ジンヤの判断を信頼してくれている

から指示を受容してくれているのである。

ジンヤはタナカへの感謝の念を抱きつつ、

玄関を出て車へと戻るのだった……。

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