第5話 スザンカの住人達3

「あ。お嬢様」


 一階に続く螺旋階段のところから、ひょっこりメイド服姿のサラが顔をのぞかせた。


「今日、業者さんが来る日だよね」


 私と同い年ぐらいだと思う。

 お仕着せの、黒いワンピースに白いエプロンをつけただ。

 栗色の髪を頭の後ろでお団子にし、顔には薄いけれどちゃんと化粧をしている。


 何故、男の子なのにメイドのお仕着せを着ているのか。彼はフットマンではないのか、と、私はいまだに理解ができないが、新参者の私にも、気安く声をかけてくれる良い子だ。最近、ふと思う。


 ハロルドが言っていた、侍女とは、彼のことだろうか、と。

 ……いや、この子、男の子だしなぁ……。


「何か足りないものある?」

 私が尋ねると、モップの柄に顎を乗せ、眉をしかめてみせた。


「床用ワックス。まだあると思ってたのになー」


 サラに近づくと、ぷん、とワックスの匂いが立ち上る。

 なるほど。

 今朝は階段のワックスがけをしてくれているらしい。彼がもたれているモップの先は、しっとりと茶色に湿気ていた。


「頼んでおくわね。なにか種類があるのかしら。銘柄、とか」

 首を傾げると、ぷ、と噴出される。


「何でもいいよ。『いつもの』って言えば、それで通じるっしょ」


 そんなことを言うけど、業者によっては、世間慣れしていない私でも、「これでこの値段!?」という商品を納めようとしてくる輩もいる。顔を顰めると、意図を察したのか、どん、とサラは私の肩を叩いた。


「だーいじょうぶ」

 そう言って、かんらかんらと笑った。


「もし変なモノを持ってきたら……」

 にやり、と笑うサラの口元からは、くっきりと獰猛な犬歯が現れた。


「喉元に食らいついて、殺してやるから」

 いつもとは違う低音に面食らったものの。


「……サラ。耳。耳、出てる」

 思わず私は冷静に指摘をしてしまう。


 頭につけたホワイトブリムの両端からは、にょっきとばかりに、栗茶の狼耳が飛び出ていた。「いやん」。サラが両手で耳を押さえるものだから、持っていたモップが音を立てて階段を転がり落ちた。


「がああっ。せっかく拭いたのにっ」


「サラ。声。声も戻ってる」

 私は苦笑いしながら階段を降りた。


「ワックスは頼んでおくわ」

「よろしくー」

 今度は愛らしい彼の声を聞きながら通り過ぎ、私は一階の東端にある、厨房に向かう。


 この建屋は、螺旋階段を中心に、東館と西館に分かれている。


 二階は、寝室と客室が並んでいる。東館は私の寝室があり、主に女性用の客室が。

 西館には、ハロルドの寝室と、主に男性用の客室が。


 そして、東館一階は、玄関、食堂、ホール、図書室があり、東館には厨房、食器保管室、リネン室、使用人控え室なんかが並んでいる。


 私はコツコツと木靴を鳴らして一階廊下を歩く。


 螺旋階段を降りたすぐそこは正面玄関であり、ホールにも続くことから、大理石の床になっているが、西館に入ると、そこからは木目の美しい床板が続いた。


 リネン室、食器保管室前を通り、厨房に着く頃には、ブイヨンの良い香りが廊下にまで漂ってきていた。


「マーク、おはよう」

 開けっ放しの扉から中に入ると、熱した油の匂いと、じゅっという音が響いた。


「おう。嬢ちゃん、おはよう」

 フライパンに顔を向けたまま、ちらりと一つ目を私に向ける。私の位置からは見えないけど、この匂いはベーコンだ。


「出来上がっているもの、持って行くけど」

 声をかけ、銀色のワゴンを見遣る。


 そこには白磁のティーセットと銀色のティーポット。それに、コンソメスープが入っているとおぼしき銀色のスープチューリンが見える。パンはまだ、焼いているのか、ほんのり甘い匂いは漂っているものの、準備はされていなかった。


「旦那は起きたのかい?」

 マークはトングでベーコンの焼き色を見ながら、私に尋ねる。


「起きた。もう、うんざり。なんで私が彼の寝室まで起こしにいかなきゃいけないんだか」


 私はワゴンに近づき、彼に向かって肩を竦めてみせる。マークは厚い口唇を歪めるようにして嗤うと、ぐるり、とベーコンをひっくり返す。


 再び、じゅう、という音が立ち、更に濃く香ばしい匂いが厨房を充満した。なんだろうなぁ。このベーコン、めちゃくちゃ美味しいのよね……。実家で食べてたベーコンと味が違うのよ。口に入れた瞬間、燻った匂いが鼻から抜けるんだけど、それが、『焦げた』とか『煙い』ってわけじゃないのよねぇ。


「一緒に寝れば良いじゃねえか。起こす手間は省けるぜ」


 けっけ、とマークは笑う。


 顔の三分の二を占めるかと思われる彼の一つ目は、きゅっと細まって、綺麗な朱色の瞳にいたずらっぽい色が滲んだ。


「だいたい、お嬢よ。ここに来て、二ヶ月は経つだろ。もう、いいんじゃねえか?」

「なにが良いのよ」


 私はマークを睨む。マークは、ぎゅい、と今度は口をへの字に曲げて見せた。


「寝てやれよ、旦那とさぁ。新婚なんだぜ、あんたら」


 ベーコンを皿に移し、それから腰に両手を当ててみせる。古いけれど清潔そうな真っ白のコックスーツをまくり上げた彼の二の腕は、立派な筋肉が張っていた。男らしいといえば、男らしいし、あの筋肉がないと、確かにあんなに早くメレンゲができあがらない。


「いやよ」

 私は短く吐き捨てる。マークは、再び「けけっ」と笑うと、籠から卵を数個、掴み揚げた。


「旦那、良い男だろ。情もあるし、腕もたつ。おれが女なら惚れるね」

「じゃあ、マークじゃなく、マーシャになったときに、どうぞ」

 よせよ、とマークは顔をしかめた。


「サリエリじゃあるまいし。おれは生粋の女好きだ」

 それはそれでどうかとおもうなぁ、と思いながらも、私はワゴンの取っ手部分を握った。


「じゃあ、先に運んでおくわね」

「よろしくな。こっちの料理もすぐあがるから」

 マークの声に、振り返らず手だけ振ってみせる。


 私はワゴンを押しながら、ゆっくりと食堂まで進む。からからと鉄のコマは廊下を滑り、途中、階段を磨き終わったサラとすれ違った。


「すぐ手伝うよー」

 そんな風に声をかけてくれるから、「じゃあ、マークの方を」と厨房を指さした。サラは頷くと、お仕着せのスカート裾を翻して駆けていった。


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