誕生5話 ひとっぷろ -4-

「最っ高だぁああー!」


 泡まみれのハビエルが、冷えたビールを持ち込んで上機嫌で吠える。

 熱燗どうしたよ。

 湯船に盆を浮かべて風流とか、こいつには無縁なのかねぇ。


 つーか、泡!

 風流が台無しだわ!


「あいつら……どんだけ泡だらけにしてんだよ」


 レジーナが新たに作ったらしい泡の入浴剤。

 俺が泡の風呂を作ったと聞いて、ちょこちょこっと材料を厳選して調合して、これを生み出してきたらしい。


 あいつ、天才か?

 よく又聞きでこんなもんを生み出したもんだ。

 泡、全然へたらねぇ。


「ウーマロ氏、ウーマロ氏! タートリオ・コーリン氏のマネでござる!」

「ぶはぁはははは!」


 ベッコが泡を頭にこんもりと載せて、ボンバーヘッドの情報紙発行会会長、タートリオのマネをしている。

 要は、泡のアフロだな。

 なら俺は――


「ジネット!」

「発想が卑猥ッスよ、ヤシロさん!?」


 この粘り気のある強い泡だったら、どこまでも盛れる!


「バカなことやってんじゃねぇよ」


 ざばぁーっと、ハビエルが俺の背中から湯をかける。

 もっこもこに盛り上がっていた胸元の泡が一瞬で洗い流されていく。


「……あぁ、ジネットが一瞬でエステラに」

「オオバくん? 怒るよ~?」


 湯に浸かって、泡に溺れそうなほど埋まって、デミリーがぴくぴくと青筋をヒクつかせる。

 親ぶりやがって。


「しかし、気持ちがいいねぇ。泡は、こんなになくてもいいけどね」


 若干、泡まみれ過ぎて、男がゆったりと浸かるのには不向きかな。


「よし、泡を流しちまうか」

「手伝うッス!」

「拙者こう見えて、掻き出すのは得意でござる」


 俺とウーマロとベッコ、三人がかりで湯船に浮かぶ泡を洗い場へ掻き出す。

 って、バカベッコ!

 そんなじゃぶじゃぶ水面を揺らしたら、また泡が立っちゃうだろうが!

 この湯の中に、泡の素が溶け込んでるんだからな。かき混ぜればいくらでも泡は復活するんだよ。


「お~ぅ、随分と見晴らしがよくなったなぁ」


 ある程度泡がなくなると、ファンシーな印象はなくなり、落ち着いた銭湯の面持ちが顔を覗かせる。

 うん、やっぱ寛ぐならこっちだな。


「あ~、どっこいせいっと」

「ジジくせぇ声出すんじゃねぇよ、ヤシロ。酒も飲めないお子様のくせによぉ」


 飲めないんじゃなくて飲まないんだ。

 俺が飲まないことを、こいつはずっとイジってくるな。

 そんなに俺と飲みたいのかよ。

 まぁ、あと二年くらいしたら付き合ってやるよ。


「ヤシロさ~ん! おつまみの追加、こちらに置いておきますね~!」


 脱衣所の向こうからジネットの声が飛んでくる。

 まるで計ったようなタイミングだ。

 ちょうど、ハビエルがツマミを食い尽くしたところだ。


「んじゃ、取ってくるか」

「あ、ヤシロ氏! 外に出るならいろいろ隠す必要が! ここは拙者たちにお任せを! ウーマロ氏!」

「分かったッス!」


 と、二人して湯船をじゃぶじゃぶかき回し、折角取り払った泡を復活させ、もこもこ出来た泡を俺の下腹部に盛っていく。


「「これでよし!」ッス!」

「よしじゃねぇよ」


 なんだこの泡のパンツ。

 防御力皆無だな。

 つか、タオル巻いていくわ!


 若干酔っぱらっているらしいアホ二人に盛られた泡を洗い流し、タオルを腰に巻いてツマミを取りに向かう。

 念のため、そっとドアを開けて廊下に誰もいないことを確認して、料理を運び込む。

 うわぁ、メッチャ気合い入ってんじゃん。

 ここって、料亭?


「ほいよ。お待たせ」

「おぉ、待ってたぞ」


 持ち込んだ料理を見て、ハビエルが嬉しそうに笑う。


「月の揺り籠より、陽だまり亭の方がよっぽど高級宿屋だな」

「ははは。あそこの料理は、ちょっと独特だからね」


 さすが領主とギルド長。

 オールブルーム随一の高級宿(笑)に泊まったことがあるのか。

 そういえば、あそこの飯ってどんなだったっけなぁ…………ダメだ、一切記憶に残ってない。

 大したことなかったんだろうなぁ、きっと。


「ヤシロぉ、今度温泉に行かないか?」

「言葉通じないんだろ? 無言でオッサンと湯に浸かって、何が楽しいんだよ」

「言葉なんぞ交わさなくても、酒は美味いもんだぞ」


 じゃあ、たまには黙って飲め。

 お前、ずっとしゃべってるじゃねぇか。


「私も、休みが取れたらついて行こうかなぁ、温泉」

「あ~ぁ。比較的真面目に仕事してる数少ない領主がついに遊びを優先させるようになっちまったかぁ……エステラに関わるとみんなダメ領主になってくな」


 ルシア然り。

 トレーシー然り。


「あはは。気を張らずに平和に過ごせるなら、それが一番なんだけどねぇ」


 恵比寿顔で、湯に溶けてしまいそうな表情のデミリー。

 随分と無防備な顔を晒すようになったものだ。

 こいつは、にこにこしていても、その裏で何を思っているのか分からない薄ら寒さを常に持ち合わせていた。

 出会ったころのエステラのような、分かりやすい警戒とは異なる、もっと厄介で老練な気配をまとっていた。


「大衆浴場もよかったけれど、ここはもっといいね。オオバ君の家にお邪魔しているって感じがして、ちょっと得した気分だよ」

「ここは、ジネットの家だけどな」

「それでも、だよ」


 ちゃぷんと、湯を掬い上げて顔にかける。

「はぁ~」っと長い息を吐いて、デミリーは思ってもみないことを口にした。


「あの時、君を潰そうなんて思わなくて、本当によかった」


 ……俺、潰されかけてたのか?


「もちろん、今はそんなこと微塵も考えてないけどね」

「いつそんなこと考えてたんだよ」

「四十二区に街門を作ろうという話になった時にさ」


 デミリー曰く、エステラは少々頼りないけれど調和を大事にする娘だった。

 そんなエステラが、近隣の区に大きな影響を及ぼす街門を作るなんて言い出すはずがない。

 エステラに入れ知恵をした者がいる。


 そして、その人物はエステラとリカルドの仲を引き裂き、近隣三区の連携をぶち壊そうとしている。


「――ってね、一応は警戒していたんだよ」


 傍から見りゃ、あれだけのスピードで改革を進めるのは異様に映ったかもしれない。

 また、それを主導して権力者であるエステラを操っている俺は、脅威に映ったかも、しれない。


「君を警戒するあまり、エステラの気持ちを慮ることを見失ってしまっていた。いやぁ、君に指摘された時は肝が冷えたよ。あんなに悲しそうなエステラの顔は初めて見たからね」


 リカルドと衝突した時、デミリーは最初リカルドの肩を持った。

 エステラの思慮が足りていないと、エステラを突き放した。

 あの時のエステラの顔。俺もはっきり覚えてるよ。


 きっと、父親が病に倒れた時でさえ、あんな顔はしていなかっただろう。

 エステラは、信頼している者に拒絶されることに耐性がない。


「君が私を叱ってくれて、なんとかエステラを失わずに済んだよ。……ホント、あの時に君がいなかったらと思うと、今でも胃がしくしく痛むんだ」


 湯船の中で胃を押さえて、青い顔をするデミリー。

 エステラは勘違いしたまま自分を責めて閉じこもってしまうタイプだから、あの場で本心を伝えられてよかったのだろう。

 そうでなければ、エステラはデミリーを避けるようになっていたかもしれない。あの頃リカルドを避け続けていたように。


「あの時に確信したんだよ。『あぁ、この彼は利己的な目的でエステラに近付いたんじゃない。エステラのために本気で怒ってくれる人なんだ』ってね」

「……言ってろ」


 あの時は、お前らがあまりに四十二区の現状に目を向けてなさ過ぎたから、俺までイラついちまっただけだよ。


「けど、……うん。君を信じて正解だったよ」

「答えを出すには早計じゃないか? 最後の最後で裏切るかもしれんぞ」

「そうしたら、その時に改めて潰しにかかるまでだよ」


 とっても貴族らしいことを、とても貴族とは思えないような柔和な笑顔で口にする。


「もっとも、私が全力で潰そうとしても、潰せるかどうか分からないけどね」


 自称、人を見る目はある領主、デミリー。

 俺への評価が適正なのか、過大なのかは分からんが……


「引退しそうな雰囲気醸し出してんじゃねぇよ」

「あはは。若い世代が眩しく見えてね」

「大丈夫だ、デミリー。昼の眩しさはお前がナンバーワンだ」

「うるさいよー」


 夜のナンバーワンは、ウェンディな。


「お前には、まだまだこれからいろいろ働いてもらわないといけないからな。もう二~三十年はゆっくり出来ると思うなよ」

「あはは。じゃあ、スチュアートも道連れだね」

「おいおい、勘弁しろよ。ワシは、もっと早くに引退して、四十二区でのんびり余生を過ごすぞ」

「え、待って待って。四十二区に引っ越すの?」

「余生は娘のそばでと決めてるからな」

「えぇ~、困るぅ~」


 オッサン二人が風呂場でイチャイチャ。

 なんだこの地獄絵図。


「ウーマロ氏は、ヤシロ氏とデミリー氏が争ったら、どちらに付くでござるか?」

「マグダたんにつくッス!」


 こいつらも、すっかり出来上がってやがる。

 のぼせられると、後処理が面倒だな。


「ほら、ツマミを食ったらもう出るぞ」

「お~う、風呂上がりの三次会だ!」

「私も、今日は飲んじゃおう」

「付き合うッス!」

「拙者も!」


 言いたいことを言ってすっきりしたのか、デミリーがいつもより柔らかい表情をしていた。

 今の話、エステラに聞かせてやったら喜ぶだろうな。


「あぁ、そうだ、オオバ君」


 湯船の中で、ビールを片手にデミリーが言う。


「エステラが私を親のように慕うみたいに、君も私を父親として慕ってくれてもいいからね」


 そんなことを、上機嫌に。

 エステラは、お前を親ではなく叔父として慕ってんだろうに。

 そもそも、お前が父親だったら……


「遺伝的に怖いから、遠慮しとく」

「他に言いようなかったかなぁ!? 割といいこと言ったつもりだったんだけどなぁ、今!」


 むぅむぅと文句を垂れるデミリー。

「今日はもう飲んじゃう!」とか言って、ビールをぐびぐびあおり始めた。


 まぁ、わざわざ親と思って慕わなくてもな。

 デミリーとは、今くらいの距離感と関係が、一番心地いいからな。






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