報労記99話 おでぇと -4-

 レジーナを派遣した後、俺たちはトムソン厨房に向かった。

 ランチはここで食うのか。


 ……夜景の見えるお店とは?


「あら、お久しぶりですね、英雄様、領主様」

「英雄様やめろ」

「では、ヤシロさん」


 くすくすと笑いながら、トムソン厨房店主、レーラが俺たちを迎えてくれる。


「ちゃんと手洗ってんだろうな?」

「まぁっ! やですわ、もう、そんな古い話」


 と、レーラが俺の二の腕をペしりと叩いた。


「ひぃいい!?」

「ヤシロ、大丈夫かい!?」

「もう、大袈裟ですよ、お二人とも」


 旦那以外の男には触れられない、極度に恋愛感情の偏った、潔癖とは到底呼べない変な思想に凝り固まっていたレーラ。

 手に触れただけで旦那と結婚したのが、このレーラという女だ。


 そんなレーラに触れられたら、俺の残りの人生大変なことになっちゃう!


 ……だが、レーラはちょっと困ったようにくすっと笑うのみ。


「どうした? 病気か!?」

「いや……どっちかっていうと、以前の状態の方が病的ではあったんだけどね」

「本当にお恥ずかしいわ」


 口元を隠すようにして微笑み、レーラは自身の中で起こった変化について語り始める。


「実は最近、シラハさんと仲良くしていただいているんですけれど、シラハさんに教わったんです。誰かに触れた、触れられた、そんな些細なことで揺らぐほど、真実の愛というものは脆くはないのだと」


 カウンターの中に飾られている前店主の大きな肖像画を見上げ、レーラは憑きものが落ちたようなすっきりとした表情で言う。


「以前の私は、ゼロか百でしか物事を考えていませんでした。でも、シラハさんと出会って、今この生活があるのは私たち家族のために力を貸してくださったみなさんのおかげなんだと、今さらながらに気付いて……モーガンさんや、ヤシロさん」


 レーラの瞳が俺を見る。

 今まで伏し目がちで、目が合ってもすぐにそらされていたのに。

 じっと俺の目を見て、優しく微笑む。


「そんな大切な恩人を避けるような態度は、しちゃいけないって。そんなの、主人に叱られちゃうって」


 そして、ゆっくりと手を伸ばし、俺の手に指を添えるように触れる。


「あれから、私、いろいろなことに挑戦しているんです。その中で、異性の方とお話をしたり、時には触れ合ったりすることもありました。それでも……主人への愛情は少しも減っていないって気が付いたんです」


 異性に触れても身が穢れるわけではない。

 異性と共に過ごす時間が増えようと、夫を裏切るわけではない。

 それどころか、何をしようと、どう変わろうと、主人への愛は一切減らないのだと、そんなことに気が付いて、レーラは変わったらしい。


「ヤシロさん」


 ぎゅっと、レーラの両手が俺の手を包み込む。


「改めて、私たち家族を、この店を、救ってくださったこと、心から感謝申し上げます。あなたがいなければ、このお店はなくなっていました」

「俺だけの力じゃないけどな」

「はい。でも、あなたも、私の大切な人の一人です」


 やつれ、影を背負い、薄幸な雰囲気を纏っていたレーラの面影はもうどこにもない。

 今は、ただの綺麗なカーチャンだ。


「いい顔になったな」

「そう思われますか?」

「あぁ。きっと、次に旦那に会った時には惚れ直されるだろうぜ」

「いやん! 恥ずかしい! でも素敵! 絶対ですね!? 嘘だったらカエルにしますからね!」


 怖ぇよ、だから、その思考の飛び方が。

 感謝とかいらないから、もっと普通の人になってくれ。


「でも、本当に素敵になったよレーラ。素敵な出会いがたくさんあったようだね」

「はい。それもこれも、あの日このお店に来てくださったみなさんのおかげです。今日はうんとサービスさせていただきますね」


 楽しそうに言って、レーラは奥へと引っ込んでいく。


「おにーちゃん!」

「にーちゃん!」


 入れ替わりにここの娘と息子、カウとオックスが出てくる。


「おう、ちゃんと手伝いしてるか?」

「うん! もう計算もばっちりだよ!」

「お皿のおかげだけどね~」


 肉の量り売りで、端数の計算が出来ないと苦慮していたこいつらのために、回転寿司形式の計算方法を導入してやったんだよな。

 つまり、グラムいくらではなく、一枚いくらという計算方法だ。

 それなら端数は出てこない。


 お子様二人も、以前よりもいい表情をしている気がする。


「お母さんは随分変わったみたいだね」

「うん。あのね、お父さんに素敵って言われたいからって、お休みの日に素敵やんアベニューに通ってるんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、次のハロウィンが楽しみだね」

「うん」


 エステラと楽しそうに話すガゼル姉弟の姉・カウがにや~っとイヤラシイ笑みを浮かべて弟を見る。


「……オックスも、楽しみなんだよねぇ~?」

「そ、そんなことないもん!」


 赤い顔をして厨房へと逃げ込むオックス。

 なんだ、あいつ?


「うふふ。オックスってば、あの日からずっとテレサちゃんに夢中なの。次のハロウィンではどんな仮装するんだろうって、わくわくしてるのよ」

「ほほぅ……ちょっと話をしようじゃねぇか、オックス」


 まずは、お前の年収と将来性についてだ。


「怖い顔しないの、ヤシロ。……君は、一体何人の保護者になるつもりなんだい?」


 バカタレ。

 テレサは未来の三十区領主付き給仕長なんだ。

 悪い虫は払っておかなきゃいけないだろうが。

 まかり間違って「やきにくやしゃん、なりゅ!」とか言い出したら損害は甚大だろうが。


「なんにせよ、君たちが元気そうでよかったよ」

「うん。あのね、お母さんね、最近モテモテなの」


 ガキでも、やっぱり女子。そーゆー話が好きなんだろう。

 カウが声を潜めてそんなことを暴露する。


「でもね、『下心を持って触れたら、内臓を引きずり出してもつ煮込みにします』って言って断ってるんだよ」

「怖ぇよ」


 又聞きでもブルっちゃう怖さだよ。

 近年聞いたどの怪談より怖ぇわ。

 何より、ついさっきまでそいつに手を握られてたって事実が恐ろしさを倍増させるよねぇ~。


「それじゃ、お肉を持ってきてくれるかな?」

「は~い! 少々お待ちください。絶対美味しいから、期待してくださいね」


 小生意気にウィンクをして厨房へ駆けていくカウ。

 あれが、この店の定型文なのか。

 なかなか、いいじゃないか。オリジナリティ出そうと努力しているようだな。


「人って、変われば変わるもんだね」

「だな。ドーナツを教えてくれって陽だまり亭に来た時は、悲愴感丸出しだったもんな」


 まぁ、楽しくやってるなら、それでいいだろう。


「お待たせしました~!」

「こっちもお待たせやで~」


 肉の載った皿を持ってきたカウと同時に、ウェンディの往診へ行っていたレジーナがトムソン厨房にやって来た。


「早かったな」


 肉を受け取りつつ、レジーナに席を勧める。


「とりあえず状況は把握してきたわ」

「それで、ウェンディは?」

「あぁ……まぁ、ご家族の希望で詳細はまだ伏せとくけど、心配あらへん。容態は安定しとるし、数日中には元気な顔見せに来はるわ」

「そっか」


 ほっと、エステラが息を漏らす。

 レジーナが大丈夫だというのなら、それはもう絶対的に大丈夫なのだろう。


「せやからまぁ、今日、明日は一旦レンガはんらぁのことは忘れて、楽しぃ過ごしとったらえぇで」


 と、何かしらの意味を込めてウィンクを寄越してくるレジーナ。

 明日、何かあるんだもんな、俺。


 そこに心配事は持ち込まなくていいぞってことか。

 じゃあ、そういうことにしておくよ。


「けど、なんであんなに反発されたんだろう?」


 ほっとしたら、今度は疑問が膨れ上がってきたらしい。

 エステラが眉毛を曲げてやや不服そうに呟く。


「それは、アレやなぁ……」


 にへらっと笑って、レジーナが俺とエステラを指さして言う。


「自分らの、日頃の行いが悪いさかいやな」

「お前にだけは言われたくねぇよ」

「君にだけは言われたくないよ」


 俺とエステラの声は、綺麗に揃っていた。






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