報労記62話 そして、こうなる -4-
俺の一日ぶりの夕飯が済み、ジネットたちが二階へと眠りに行った後、俺はフロアで絵を描いていた。
ベッコが張りきって描いたデカい陽だまり亭従業員たちの絵画。
それを、二回りほど小さくして、飾っていても圧迫感や違和感を与えないサイズに描き直す。
こういうのは、もっとさりげなくでいいんだよ。
美術館じゃねぇんだから。
親方も、作業場に家族の写真を飾っていた。
気付かない者は気付かないし、気にしない者は気にしない。
でも、それを目にした者は例外なく優しい笑みを浮かべる。
そういうものでいいんだよ、こういうのは。
構図はそのままに、全員をエプロン姿にしていく。
そして、まぁ、要望があったとおりに、俺の顔も笑顔にしておく。
詐欺師が獲物と初めて接する時に浮かべる、極上のスマイルだ。
そういう観点で見れば、俺のこの笑顔もなかなか悪くない。
うん。実に詐欺師らしいといえる。
この笑顔を見れば、百人が百人「まぁ、なんて素敵な人! この人なら信用できるわ!」と思うことだろう。
さすが俺。
詐欺のスキルがカンストしてんじぇねぇの?
「……胃がもたれてきた。ちょっと氷室でも見に行くか」
ウーマロが特急で建てた氷室は、厨房の中からと、陽だまり亭の外、二ヶ所から入ることが出来る。
調理する時に厨房から出入りでき、発注したものをダイレクトで氷室に運び込める、そういう造りだ。
外の出入り口にはきっちりと施錠がされており、その鍵はカウンターの中に掛けてある。
その鍵を持って、外から回って氷室の中へ入る。
「……寒っ」
氷はまだ入っていないだろうと思ったのだが、氷室の中はすでに寒かった。
アッスントか、氷を用意したのは?
これなら、今からでも冷蔵庫として使用できるな。
「にしても……でっけぇなぁ」
氷室の中は広く、いろいろな使用方法がいくつも思い浮かぶ便利な棚が作り付けられていた。
棚板を好きな高さに調整できるようで、これなら何を保管するにも重宝するだろう。
う~っわ、天井にはフックも取り付けてあるわ。
これで、牛肉の熟成も出来そうだな、ここで。湿度の管理が難しいから、一緒くたには出来ないだろうとは言え。
「お、この氷室、中からも鍵がかかるのか」
外から入り、そのまま厨房へ抜ける――なんて用途のためか、中からもしっかりと鍵がかけられるようになっているらしい。
中から施錠して、厨房へと抜ける。
「……温けぇ」
外に出るとほっとした。
つまり、それだけ氷室の中が寒かったというわけだ。
夜の四十二区は、どう見繕っても『温かい』気温ではない。
それが温かく感じるのだから、おそらく氷室の中は氷点下、といったところか。
「こんなもんを、一日で作ったのか…………アホじゃねぇの、あいつ?」
なんかもう、すご過ぎて逆に呆れてしまった。
「じゃあ俺も、負けじと腕を見せてやるか」
ちょっとした対抗心から、面倒だと避けていた金平糖の試作を始める。
な~に、時間は十分ある。
金平糖を育てながら、絵の具が乾くのを待って描き進めていけばいい。
どっちも、待ち時間が発生する作業だ。
同時進行も出来るだろう。
「ま、なんちゃって金平糖だけどな」
本物の金平糖は、デカい鍋でじっくりと砂糖の結晶を育てていかなければならない。
だが、もっとお手軽に作れる金平糖もどきが存在する。
こいつなら、フライパンを使ってご家庭でも簡単に出来る。
もっとも、綺麗な形にするのは至難の業で、大体丸くて歪な砂糖の塊になっちまうけどな。
やっぱデカい鍋で大量生産しないと、金平糖のあのトゲトゲは生まれないのだ。
……ま、俺なら簡易版でも綺麗な金平糖が作れるけどな。
「というわけで、ゴマかザラメを……お、ザラメがあるか。じゃ、ザラメで始めよう」
最初に、金平糖の格となるものを用意する。
粒の大きなザラメか、ゴマ。
ゴマで始めると案外簡単に出来る。
食った時も、ゴマならさほど邪魔にならないしな。
しかし、ザラメなら、ちょっとコツは必要だが、食った時の違和感がまるでない。
「じゃあ、絵を見ながらじっくりやりたいんで……」
まずはたっぷりの糖液を作り、赤と青の食紅で色を付け、透明、赤、青の三種類の糖液を作ってそれぞれをボウルに入れる。
七輪に炭を入れて、大きめのフライパン、木べらと糖液の入ったボウルを持ってフロアへと出る。
七輪にフライパンを載せ、粒の大きなザラメを一掴みフライパンへ落とす。
からからと、ザラメが溶けない程度の温度で炒めていく。
まずは透明の糖液でザラメの粒を大きくしていく。
ザラメをフライパンの縁へ避けて、フライパンの真ん中に糖液を500円玉くらいの大きさ分垂らす。
弱火なので時間がかかるが、しばらくすると糖液が沸騰して泡を発生させる。
そうしたら、素早くザラメを沸騰した糖液にからめる。
その後、再びフライパンの上でザラメを炒めて、糖液をザラメに馴染ませる。
これで一回。
あとは数十回これを繰り返す。
そうすることで、ザラメは糖液でコーティングされていき、どんどんとその粒を大きくしていく。
ある程度粒が大きくなったら、金平糖もどきを三等分にして、赤、青、白の三色を作っていく。
食紅を混ぜた糖液を絡め、炒め、落ち着かせて、また絡めていく。
金平糖に角が出来るのは、鍋の中で他の粒とくっつき、それがかき混ぜる過程で引き離されるからだ。
熱で粘り気を帯びた砂糖が引き離される時に引っ張り合って「うにょ~ん」っと伸びて角になる。
それがかき混ぜられるうちに角が取れて丸みを帯びる。
そうして直系が1.5cmまで成長した金平糖には24本の突起が出来ているのだ。
これは論文でも発表された事象で、おおよそ20~24個とされているが、検証する数を増やせば増やすほど24個の突起を持つ金平糖が増えていくという不思議な現象が起こったのだとか。
まぁ、中には突起を36個作るってプロもいるみたいだけどな。
俺がやったら、大体24個になるだろう。
「この調子だと、三時間くらいで出来るかな」
弱火で糖液を熱して搦めてかき混ぜて……
明日の朝にはそれっぽいものが出来ているだろう。
フライパンをからからと鳴らし、筆を握って絵を描きつつ、俺はのんびりと静かな夜を過ごした。
妙に静かで、妙に穏やかで、なんだか久しぶりに一息つけたような気になった。
なんだかんだ、気を張っていたらしいな、俺は。
もっと頑張ればもっといろいろなものが作れそうではあるが、のんびりとくつろぎながら作業を進めた。
なんかこういう、何をしてもいいし、何もしなくてもいい時間って、結構贅沢でいいな。
「あぁ、そうだ。レジーナがゴムの研究してるから、ノーマに言ってゴムを形成する金型を作ってもらうか」
そうすりゃ、ゴム製の型が出来る。
単純な半球でもいいし、動物にしてもいいし、人魚でも花でもなんでもいい。
氷を作る製氷皿。それをシリコンで作ったシリコントレーが日本でもよく売っていた。
バレンタイン前になると、ハートみたいな可愛い形のシリコントレーが出回って、そこに溶かしたチョコを流し込んで固めるだけで、手軽にハートチョコが作れる、的な商品だ。
それをゴムで作れば、いろんな形のチョコやゼリー、グミが作れる。
グミは寒天ゼリーをゼラチンで作るような感じだ。
果汁と砂糖、水飴を混ぜて煮詰め、冷水でふやかしたゼラチンを入れ、レモン果汁で臭みを取れば作れる。
可愛らしい型でもあれば、ガキが食いつくだろう。
駄菓子なんてのは、見た目が重要で味なんか二の次だしな。
いや、ガキに限らないか。
何の変哲もない味のチーズケーキだって、ネコの形しているだけで爆発的に売れたりするもんだ。
見た目は大切だよな、うん。
そんなことを考えながら、浮かんだアイデアを紙に書き出したりしつつ、『陽だまり亭従業員の肖像~エプロンバージョン~』となんちゃって簡易金平糖を完成させた。
すげぇ時間かけちまったなぁ~なんて思っていると、外から足音が近付いてきて、陽だまり亭のドアを開けた。
「ジネットちゃん、おはよう! ねぇ、ヤシロは――」
と、駆け込んできたのはエステラで、フロアに座って完成した絵画と金平糖を検分している俺を見ると目を丸くして、丸まった目を細めた。
「……ヤシロ。寝なよ」
「寝て起きたんだよ」
また徹夜していると思われたらしい。
まぁ、徹夜はしたんだが、今回のは仕方ないんだよ。
そんなことをやっていると、ジネットが起きてきて事の次第をエステラに説明してくれた。
やれやれ。
今日はまた、一段と騒がしい一日になりそうだ。
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